• 締切済み

訳のわからない釈明に困惑

あるブログに誤った表記の記事がありました。私はそれをメールで指摘しました。しかし、それに対して返信はありませんでした。 そこで3日後に再度メールで指摘しました。そうしたところ、翌日になってそのブログの記事は訂正され、そのコメント欄に訳のわからない釈明がありました。 >大変失礼いたしました。 >実は、ここで返信したのには理由があります。 >なぜだと思いますか? 「翻訳」というキーワードを入れて長文でご回答いただければと思います。 メールで指摘したのにどうしてメールでの返信でなくブログのコメント欄で釈明したのか、その理由がこれです。 「なぜだと思いますか」と言われても、私はさっぱりわかりません。そもそも、「翻訳」というキーワードを「どこに」入れればいいのかがわかりません。 皆さんはおわかりになりますか。 そのブログの記事 ⇒ 「推敲の重要性」 http://ribosomaltranslator.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/post-c3b9.html

みんなの回答

回答No.4

No.3の訂正です。 「校訂」ではなく「校正」の誤りでした。 お詫び申し上げるとともに訂正させていただきます。

derwqq1122
質問者

お礼

満足できる回答がなかったためにベストアンサーを指定せずに質問を閉め切らせて頂きました。 3名の方から回答を頂きました。ありがとうございました。 別のサイトで同じ質問を投稿しました。よろしければ再回答頂ければと思います。 ⇒ 質問したのに逆に質問されました。その感覚が理解できません・・・ * http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11115915171

derwqq1122
質問者

補足

ご丁寧な回答ありがとうございます。 誰でも間違いはあります。 「書く」のにしても「話す」のにしても。 何の準備もせずにその場で素晴らしい言い方をすることは凡人には出来ません。 大勢の人を目の前にして話しをする(演説する)際には前もって下書きする必要があります。 下書きした原稿に間違いがあるのは当然です。だからこそ「推敲」が必要になります。 今日から使える「文章作成力」 第4回 「推敲のススメ」のポイント ⇒ http://jp.fujitsu.com/family/honbu/family/writing/index4.html

すると、全ての回答が全文表示されます。
回答No.3

文章を見直すことが「推敲」、誤記・誤変換を修正することは「校訂」です。

derwqq1122
質問者

お礼

すい‐こう〔‐カウ〕【推×敲】 [名](スル)《唐の詩人賈島(かとう)が、「僧は推す月下の門」という自作の詩句について、「推す」を「敲(たた)く」とすべきかどうか思い迷ったすえ、韓愈(かんゆ)に問うて、「敲」の字に改めたという故事から》詩文の字句や文章を十分に吟味して練りなおすこと。「―を重ねる」「何度も―する」 ⇒ http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/116340/m0u/ こう‐てい〔カウ‐〕【校訂】 [名](スル)書物の本文を、異本と照合したり語学的に検討したりして、よりよい形に訂正すること。「厳密に―した本文を底本に用いる」 ⇒ http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/74323/m0u/ 推敲の日々、添削の週末 だから、「校正」と「校閲」ってのは、テストでの「採点」と「添削」の関係に似てるんだけど、これらすべてに共通してるのは、「校正」も「校閲」も「採点」も「添削」も「誰かにやってもらう」って点だ。もちろん、自分の書いた原稿の誤字脱字を自分でチェックすることも「校正」と呼べるかもしれないし、自分で解いたドリルの採点を自分でする「自己採点」なんていう例外もあるけど、基本的には「誰かにやってもらう」のが一般的だ。そして、唯一、自分でやらなきゃならないのが、1200年前に賈島も悩んだ「推敲」ってワケだ。 ⇒ http://kikko.cocolog-nifty.com/kikko/2013/06/post-1d00.html 「文章表現の技法ー推敲の重要性について」 アカデミック・スキルズ ⇒ http://www.youtube.com/watch?v=pjyJvtFjxJs 文章の推敲とチェック/とっておきの上達法 ⇒ http://bunsyou.net/jotatsu3.html 推敲 ⇒ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8E%A8%E6%95%B2

derwqq1122
質問者

補足

>文章を見直すことが「推敲」 文章の何を見直すのでしょうか。 文章の「誤表記」を見直すことは「推敲」ではないのでしょうか。

すると、全ての回答が全文表示されます。
  • tarutosan
  • ベストアンサー率23% (1528/6449)
回答No.2

直リンクしない環境なのでリンク先は見ていません。 外国人の投稿ではないでしょうか? 翻訳ソフトを使うと意味不明な文によくなります。 書いた時点ではまともな話しだったけど、翻訳ソフトを使ったらそう変換されたのでは。 しかし質問者さんもおかしいですよ。 ブログは「日記」です。 他人の日記の誤字を複数回に渡って指摘すると言うのは、普通あまりしない行動です。 まぁテーマが推敲だったから、とかなのでしょうが…。 ちょっと質問者さんが怖くなって直接連絡を取りたくなかったのではないでしょうか。

derwqq1122
質問者

お礼

思いもしない回答を頂き考えさせられました。 また、あらためて様々な考えがあるものだと痛感しました。 頂いた回答を基にしてさっそくブログで取り上げさせて貰いました。 回答ありがとうございました。

derwqq1122
質問者

補足

ブログの主は紛れもない日本人です。ブログ名に名前を表示していて、ブログには顔写真も掲載しています。そしてそこで、様々な見解を表明しています。 それは、普通の人が個人の日記としてブログを活用しているのとは大きく異なります。批判を受けることは十分に了承してそれを公開しているはずです。 ですので、私の指摘に恐れおののいてその後の返信がないというのはどうかと思います。 ご指摘のように、私は「推敲の重要性」という記事であったことからその記事の誤りを指摘しました。ご理解いただければ幸いです。

すると、全ての回答が全文表示されます。
回答No.1

メールの内容が分かりませんが、他人様のメモ的なblogに対し長文で指摘をされたが、その内容の意味が理解できずに「翻訳」という言葉で皮肉り終了させたと思います。

derwqq1122
質問者

お礼

補足を訂正します。 27日付のコメントは私が誤記を指摘したことに対する回答でした。私は、その回答がブログのコメントという形であったためにそのことをそのコメントに返信しました。 そうしたところ、私のその返信のコメントに回答がありました。それが訳のわからないコメントだったという次第でした。 以下、私のコメントです。 平井さんから返信がなかったために私は、昨日、23:50、再度メールを送りました。しかし、今日になって平井さんのブログにコメントとしてその返信があることに気付きました。 それによると、私の指摘に間違いはなかったということです。推敲の重要性を訴える文章で誤記があったということは実にお粗末なことです。それは言行不一致ともいえるものです。 私は、自分の指摘に間違いはなかったということを確認できて取りあえずは一安心しました。しかし、別な面で納得できないことがあります。それは、どうして私の指摘(問い合わせ)に対してこのブログでのコメントによる回答だったのかということです。 私は、その疑問をメールで問い合わせしました(24日と25日)。それに対して何らの返信もありませんでした。そこで私は、昨日(27日)、電話しました。電話で新井さんは「すぐメールを見てみます」と言いました。そこで私は「よろしくお願いします」と返答して電話を切りました。 しかし、夜になっても何らの電話もメールもありませんでした。そのため私は、日付が変わる10分前(23:50)に再度メールを送りました。 私はブログにはコメントしていません。メールで問い合わせしました。ですのでメールで返信があるべきではないでしょうか。その点がどうにも納得できません。 以上です。 長文になり申し訳ありません。 回答ありがとうございました。

derwqq1122
質問者

補足

>私たちがしなければならないのは、推敲を繰り返すことによって、感性に向かい一歩一歩進もうとする動的モデルを身に付けることです。 この「感性」は「完成」の間違いではありませんか。 このメールを24日と25日に送りました。このメールに返信がなかったために27日に再度メールしました。そうしたところ、翌日(28日)にブログのコメント欄に訳のわからない釈明があることに気付いたという次第です(そのコメントは27日に掲載されていました)。

すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A