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神事でしてはいけない事かどうでもいい事か

播州地方の某神社の氏子なのですが、今年の6月に神主の本妻が、社務所で自殺した為、 その後、密葬されました。この事は事実であります。その後、この神社での神事やお祓い、 宮参りなど、事実を知らぬ人は、ご祈祷を受けておられます。 秋の大祭も、氏子総代会も知らぬふりをして、執り行う予定のようです。 神事を執り行う神主の個人の事ですが、場所が場所だけに、これでいいのかと疑問に思っています。 これに至ったのも神主の日ごろの行いに対する身内の恨み辛みと解釈します。 何か、公にお祓いの神事が必要と思いますが、ご存知の方教えて下さい。

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  • michael-m
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回答No.2

その神社が神社本庁の統括下にあればどうしようもないですね。 古来、神社の神主は必ずしも神職の免除を持つ必要はありませんでした。しかし江戸中期から末期にかけて公的認可を重要視するようになったのです。 いまでも村長や当番制で神職を務める地域は残っています。がほとんどはそうではなくなりました。 今の神社本庁は権力欲に取り憑かれており、宮司に人格的問題があっても無視するけど、上関原発のように国政に反対すれば氏子の讒言によって簡単に罷免してしまうような団体に成り下がっています。 ですから氏子役員が神社本庁に申し出なければ罷免されることはありません。 一般的に死者によって穢れているという風潮がありますが、人の死によって穢れるなどということはありません。 イザナギは約束を破って生きながらにして黄泉の世界に入った事によって穢れたので、イザナミの死によってではありません。事実ホノカグツチを殺しても穢れたなどとは言っていません。 社務所内で自殺すれば、それは穢れた事になります。不浄の血によって穢れたわけです。しかし清め払いは全ての罪を許す力があります。従って社務所も清め祓えをすれば穢れはなくなるのです。別にそのために大仰な儀式等する必要もありません。 問題は神主の人格的問題です。こればかりは氏子役員の良心に諮るしかありませんね。

prado56
質問者

お礼

理解出来ました。ありがとうございました。

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  • 177019
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回答No.3

「自殺された社務所にその奥さんの恨み辛みがある」、だから公にお祓いを、自殺であろうが病死であろうがその場所に問題があるという考え方は間違っています。自殺をしなくてはならないというこの奥さんの宿命です。神道という立派な信仰をしながら結局のところは人間の生死の意味すらも理解できなかった。又この神主も神に仕える身でありながら本当は凡夫だったと言えましょう。

  • ROKABAURA
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回答No.1

神の御霊は柱であり人のモノとは違う。 神主はその伝言役であって代理人ではない。 人が何千何万死のうと神はそこに在り続けるのであって 社務所は場であって神の本質とは無関係だ。 あくまで交霊の場所だ。 とはいえ死は穢れに通じるので お祓いは違うが清めはいるだろう。 あくまで神のために。 物質的な掃除をし 塩と水で清めれば 後は普段の儀式において 神威によって穢れは祓われるだろう。 もともと神は祓う あるいはもたらす存在なのだから 穢れるのは人でありモノだ。 神主が穢れていたとしてそれは神主自らが願い祓えば良い。 神主の役割として禊ぎが本来は必要だろう。 ただ自分に恨みを持った妻からの穢れを祓うのは 人としてはあまりにも非道な気がする。 甘んじて受けるべきとも思う。 判断に苦しむ。

prado56
質問者

お礼

ありがとうございました