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人間の幸せに「インターネット」は必要ですか?
確かに便利で、経済も回せてるのかもしれませんが、社会的では無く、個人が幸せになる為に必要だと思いますか? 当然仕事では使わない職業に就いている前提でです
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質問者が選んだベストアンサー
必要ではないですね。 少なくても私の「幸せ/幸せでない」の判断基準に インターネットは無関係ですから。 でも世の中には色々な方がいますから、 幸せの基準にネットが関わる方もいるでしょう。 そういう人にとっては必要なのかもしれません。 **** 逆説的な考えなのですが、 インターネットが人間の幸せに必要なのだ、とすると ネットが世の中に登場する前に生きていた人間は 例外なく「幸せではない」となります。 質問者様はどう思われますか?
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- nitto3
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インターネットが蔓延したのはまだ十数年ですよ。 それまで人が不幸だったと思いますか?
お礼
100年も前に答えが出ていたようです 吾々は長い時日のうちに種々様々の工夫を凝こらし智慧ちえを絞しぼってようやく 今日まで発展して来たようなものの、生活の吾人の内生に与える心理的苦痛から 論ずれば今も五十年前もまたは百年前も、苦しさ加減の程度は別に変りはないかも 知れないと思うのです。それだからしてこのくらい労力を節減する器械が整った 今日でも、また活力を自由に使い得る娯楽の途みちが備った今日でも生存の苦痛は 存外切せつなものであるいは非常という形容詞を冠らしてもしかるべき程度かも知れない。 これほど労力を節減できる時代に生れてもその忝かたじけなさが頭に応こたえなかったり、 これほど娯楽の種類や範囲が拡大されても全くそのありがたみが分らなかったりする以上は 苦痛の上に非常という字を附加しても好いかも知れません。 これが開化の産んだ一大パラドックスだと私は考えるのであります。 夏目漱石 1911年 あなたの意見と逆ですねきっと
- missing24
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ネット婚も流行ってますので、一概に不要とも言えないのでは? そういう方達にとってはネットのお陰で・・・と思ってると思いますし。 色んな情報を得られる面では必要なのではないでしょうか?
- a-matuki
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こんにちは。 「幸せ」の定義ってあいまいなので何とも言えませんが。 インターネットはなくても生きてはいけますね。 生きていられれば「幸せ」な人にとっては不要ですね。 それはインターネットに限ったことではないと思うので 何が人を幸せにするのか、そもそも「幸せ」って何なのか その基準や価値観によって変化するものではないかと。 服やお金もそうですが、社会的に必要だというだけで、 本来の「人間としての幸せ」とはまた別だと考えています。 結婚=幸せ ・・・ではなぜ離婚するのでしょう? 子育て=幸せ ・・・ポコポコ産んで捨てる親もいます。 と同じではないかと。 人それぞれの価値観ではないかと思います。 あくまでも私個人の意見ですが^^;
- uitinka
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固いことを云わないで現代につきあってゆこう(^・^)
お礼
確かにそうも思うのですが、一旦思ってしまうともうダメです 今度は現代に付き合っていこう論が必要となります 要は便利になったことへの「感謝」が足りなかったのではないかと思いました では次はどうやってら感謝がもてるか、の話しになってきますが・・・
単にツールですからねぇ。 使い方によっては幸せにも不幸にもなるでしょう。 ナイフなどと一緒です。 便利であるだけに使い方を間違えば危険でもあります。 自分はインターネット以前のPC通信時代からこの手のものに触れてますが、多分10年インターネット普及が早かったら人生変わっていたと思います。 当時苦労して集めた情報が一発で見られますから…どれだけの無駄が省けるか。
お礼
それはやはり便利の話し、なんですよね で、苦労して集めた情報が一発で見れることが幸せなのか?と、いうことでの質問だったので、その先に何か思うことがあり再度回答いただけると幸いです
- troml
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私はインターネットが突如使えなくなったら、大パニックを起こして慌てふためきますが、ないと悲惨な状態になってしまうほど何かに依存するのは、とても恐ろしいことだし、幸せを脅かすことなんでしょうね。
お礼
その依存があったほうが良いか無いほうが良いか、という質問だったのかもしれません こっちのほうが分かりやすかったかも知れません 回答ありがとうございました
- ok-kaneto
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必要な人もいるし、必要でない人もいる。逆にあることで不幸になる人もいる。 絶対に必要→あったほうが良い→無くても良い→無い方が良い ですかね。使いこなせば強い武器にはなるのですが。
お礼
それは全てのコトに対してそうです ネットに限った意見ではないですね
お礼
ここに答えがありました 吾々は長い時日のうちに種々様々の工夫を凝こらし智慧ちえを絞しぼってようやく 今日まで発展して来たようなものの、生活の吾人の内生に与える心理的苦痛から 論ずれば今も五十年前もまたは百年前も、苦しさ加減の程度は別に変りはないかも 知れないと思うのです。それだからしてこのくらい労力を節減する器械が整った 今日でも、また活力を自由に使い得る娯楽の途みちが備った今日でも生存の苦痛は 存外切せつなものであるいは非常という形容詞を冠らしてもしかるべき程度かも知れない。 これほど労力を節減できる時代に生れてもその忝かたじけなさが頭に応こたえなかったり、 これほど娯楽の種類や範囲が拡大されても全くそのありがたみが分らなかったりする以上は 苦痛の上に非常という字を附加しても好いかも知れません。 これが開化の産んだ一大パラドックスだと私は考えるのであります。 夏目漱石 1911年 回答ありがとうございます