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名鉄蒲郡線特急について
2005年まで名鉄蒲郡線に特急が走っていましたが、JR東海が発足し新快速や特別快速が登場して名鉄は名古屋~蒲郡間のシェアを奪われたのに特急は生き残っていたのですか?
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どうも、遅くなりましてごめんなさい。 もし吉良吉田直通だけが目的ならば、西尾線内のみ特急を充実させれば済む話です。 実際、2005年の蒲郡特急廃止以降、2008年に昼間帯以降の名古屋からの西尾線特急が 快速急行になるまでは、10時からの毎時1本(吉良吉田へは17~22時の毎時1本)、 特急が直通していたのですから。 その後西尾線特急は特急⇒快速急行⇒急行(一部線内準急)と段落ちに格下げされつつも 名古屋直通を現在でも維持しています。 http://www.nishnet.ne.jp/~andou/nishio-line/jikeiretu/h15-anjo.htm 【2003年3月改正 新安城駅 吉良吉田方面時刻表(蒲郡特急廃止前)】 http://www.nishnet.ne.jp/~andou/nishio-line/jikeiretu/h200-anjo.htm 【2008年3月改正 新安城駅 吉良吉田方面時刻表(西尾線特急消滅直前)】 http://www.nishnet.ne.jp/~andou/nishio-line/jikeiretu/h202-anjo.htm 【2008年12月改正 新安城駅 吉良吉田方面時刻表(昼間以降の特急が快速急行に)】 http://www.nishnet.ne.jp/~andou/nishio-line/jikeiretu/h23_12-anjo.htm 【2011年12月改正 新安城駅 吉良吉田方面時刻表】 >名鉄は名古屋~蒲郡間のシェアを奪われたのに特急は生き残っていたのですか? これは蒲郡特急の最晩年はほとんど形骸化していましたが、 直通列車は元々蒲郡までというより西浦などの三河湾観光地向けの 趣向が強かったため、その沿線住民向けの名古屋への通勤特急も兼ねた フラッグシップトレインだったものかと思われます。 一方急行は、休日の蒲郡行特急が1往復に減便された1989年以降 1991年までは朝名古屋方面から3本しか直通していなかったものの 1992年に西尾から各駅であるものの名古屋直通が大幅に復活し 1998年4月に西尾行きに短縮されるまで1時間に1本の割合で走っていました。 http://www.nishnet.ne.jp/~andou/nishio-line/jikeiretu/63-anjo.htm 【1988年3月改正 新安城駅 吉良吉田方面時刻表(蒲郡線直通列車大幅削減直前)】 http://www.nishnet.ne.jp/~andou/nishio-line/jikeiretu/h01-anjo.htm 【1989年7月改正 新安城駅 吉良吉田方面時刻表(蒲郡線直通列車大幅削減)】 http://www.nishnet.ne.jp/~andou/nishio-line/jikeiretu/h04-anjo.htm 【1992年11月改正 新安城駅 吉良吉田方面時刻表(蒲郡線直通急行1時間1本で復活)】 http://www.nishnet.ne.jp/~andou/nishio-line/jikeiretu/h10-anjo.htm 【1998年4月改正 新安城駅 吉良吉田方面時刻表(蒲郡線直通急行廃止)】 名鉄のダイヤには、地域密着で増発・停車増か、営利企業として 不採算の列車や途中駅停車を切り捨てるか、右往左往するかのような ダイヤ変遷がどの線区でも行われている形跡が見えますが、 こと西尾線や蒲郡線はその施策がことごとく裏目に出て顧客の信頼を失い JRやマイカーに逃げられているような印象を受けます。 三河湾の観光地の顧客をつなぎとめる目的が1992年から6年間の急行の増発から ほんの少しでもうかがえるのですが、あまりに中途半端だったんじゃないかと思われます。 特に、1989年から3年間の昼間帯直通列車大幅削減は、蒲郡線ダイヤの信頼性を損なった意味で 大きな痛手だったとつくづく感じます。 (1998年以降は、廃線問題の浮上でダイヤの信頼性維持どころではなかったと思います。) とはいえ、リゾート施設の維持管理は莫大な費用がかかり並大抵では維持できないことが わかってきた昨今、どの観光地でもその問題で苦心惨憺していることを考えますと、 名鉄さんのダイヤに係る試行錯誤は本当に精一杯の配慮だったんではないかと思われます。 ただ、地元自治体から少なからぬ支援を受けている現状を考えますと、現状のダイヤは 物足りなく感じます。地元利用者から不信感を抱かれても仕方ないでしょう。 http://okwave.jp/qa/q8231094.html 【OKWave(教えてgoo)「名鉄西尾線の車両編成」】 http://www.tonichi.net/news/index.php?id=27845 【「名鉄西尾・蒲郡線を3年間支援」(東日新聞)】 昭和63年11月にJRが蒲郡競艇場付近に「三河塩津」駅を開業して以降、三河湾観光地の 陳腐化で客足を落としていた蒲郡線は大きな痛手を受け、思えばそこから凋落の一途を たどったのですね。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%B2%B3%E5%A1%A9%E6%B4%A5%E9%A7%85 【Wikipedia「三河塩津駅」】 あと、この回答にかかる参考文献を貼付します。 http://www.nishnet.ne.jp/~andou/train.shtml 【西尾線のページ】 参考になりましたら幸いです。
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- FEX2053
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蒲郡線は大きく遠回りをしているので、ターゲットは 蒲郡ではないですよ。途中の吉良吉田などから、 名古屋に直通するのが目的です。 それに名鉄は昔、可能な限り名古屋に直通させるという ポリシーを持ってましたからね。JR東のように支線区 からの列車をブチブチに切ることはしなかったんです。 可能な限り「その支線の終点から名古屋まで通し」で 運転していた名残り・・・と考えていいかと。 まあ、直通させるのは効率がよくないうえに、併結 作業など「人的コスト」がかかりますからね。今では 名鉄も「直通」に拘ってないようですが・・・。