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…友がみな われよりえらく …
…友がみな われよりえらく 見ゆる日よ 花を買ひ来て 妻といたしむ… これは良く知られた石川啄木の短歌です。. 皆さまにも、かつてこれに似た思いをしたことがおありでしょうか….. 今日8月30日は、かつて、このわたしがとても誇りに思って頑張っていた仕事から離れた日。 31日の退職日を前に、ユニフォームやIDカードなどを返納した、その瞬間から背中の翼が消 えてしまった。同僚のみんなは何事もなく元気で搭乗勤務に勤しんでいるというのに、このわた しは体力的に潰えてしまった、その時ふとこの短歌を思い出したものでした。
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ご質問に、父を想い出しました。 父の場合は定年退職でしたけど、父の同期が再雇用契約で勤続する姿を尻目に、40年近い現役生活にピリオドを打つことは、仕事人間だった父に、思いがけない喪失感を与えたようです。 父は、自宅の書斎で、お気に入りの座椅子でくつろぎながら、窓越しの景色を眺めるのが日課でした。 しかし、仕事を辞めてからの父は、自身の定位置を、書斎の窓際から中央へと移しました。 父は、近隣住民達から、自身が失業中であると悟られることを恥じ、極力、人目を避けようとしていたのです。 私は、そうした父の挙動を不自然に思いました。 「高度成長期の恩恵をさんざん受けてきた世代が、還暦を迎えてまで、未練がましくキャリアにしがみつき、若年層の未来を阻むような真似はすべきではない」というのが父の信念であり、父は自らの意思で、後輩に道を譲ったと、私は母から伝え聞いていたからです。 「『還暦』とはよく言い表されたもので、人間、50歳を過ぎれば、体力も視力も聴力も、次第に自分の思い通りにいかなくなり、若い世代と肩を並べて働くことに無理が生じ始める現実を、まず自分が素直に認めなくてはならない」 「『生涯、現役』という言葉は、表面的には美談に思えるが、そういう言葉にすがって、会社にしぶとく居座りたがる人間に限って、それなりの仕事ぶりに甘んじており、自分の目には、本気で働いているようには映らない」 「逆に、『こんな会社、時機が来れば、さっさと退職してやる』『仕事が楽しいわけないじゃん、給料は我慢賃だよ』などと夢のないことを語ってみせる人間ほど、言葉とは裏腹に、自分の仕事ぶりを妥協せず、どんな任務に対しても手を抜くことなく全力投球する傾向が強く、そういうマジメ人間に限って、心身に支障を来す時期は早く、志半ばで中途退職せざるを得ないケースが珍しくない」 口癖のように、父は語っていたものです。 私自身も、いくつかの職場を転々とする中で、父に同感する部分もありましたし、定年間際の上司には、父と同じ意見を持つ人も何名かいました。 そんな父が、勤務先の再雇用の斡旋を断り、定年退職の道を選んだことは、私には、意外な事件ではありませんでした。 しかし、勤務先と自宅との往復が生活の基盤だった父にとって、そうした「張り」を失うことに対しては、自身のポリシーを貫いた決断とはいえ、色々と、思うところがあったようです。 父の勤務先は、定年後の再雇用者の人選にあたって、社内健診結果を審査に利用しており、入社当初、ストレスから潰瘍を患って以降、健診の都度、産業医から精密検査を要請され続けた父は、審査の際、会社からあまり好評価を得られず、そうした出来事も、父の自尊心を秘かに傷つけたようです。 そんな折、今度は私自身が、定年まで務め上げることを目標にしていた仕事を続けられなくなりました。 私自身も失望感におそわれましたが、私に期待を寄せていたらしい父もまた、絶望を隠せなかったようで、私の次の就職先の問題を巡って、父との衝突が増えました。 ここに記した父の退職に係る心情は、私との口論の末、父が吐露した内容です。 私は父に言いました。 「お父さんが、一流と呼ばれる企業の第一線で働き続ける仕事仲間に対し、劣等感や置き去りにされた感を否めないのは、他でもない自分自身が、『一流企業の第一線で働く自分は偉かった』と思い上がり、そういうものさしで他人を判別する深層心理に動かされているからだ。自分自身が精一杯生き抜いた上での結果なら、就職していようがしていまいが、選んだ企業が三流と評されようが一流と評されようが、世間的には無名だろうが有名だろうが、そういった他人からのランク付けは、一切、気にならないはずだ」と。 父は無言でした。 世間的には一流と評される有名企業では習得できなかったことを、三流と評される無名企業で習得できた娘の姿を目の当たりにすることで、ようやく安堵したのか、最近の父は、現在の就職先を選んだ私の選択に関し、小言を言うことがなくなりました。 また、母に任せ切りだった家事や町内の行事を徐々にこなせるようになり、半主夫生活を楽しんでもいるようです。 色んな意味で、質問者様に、父の姿が重なりました。 私の友人に、グランドスタッフがいますが、キャビンアテンダントとは比べものにならない待遇で、日々の激務をこなしています。 質問者様が一度は手にした翼を、一度たりとも手にできなくとも、天上の輝きに劣らぬ輝きを地上で放つ人は、世の中に大勢います。 偉くもない私が偉そうな発言を申し訳ありません。 質問者様ご自身が信じ選び取った道を突き進んで下さい。陰ながら応援しています。
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- KoalaGold
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出産子育てで前線を離れ家にこもり、保育園に通わせながら仕事に復帰はしても病気休みが多いのは幼児を持つ母親には当然のこと。 残業や責任ある地位を諦めてとにかく両立するだけで体力勝負。 そんな時昔の同僚の仕事ぶりを見かけ、懐かしくもあり悔しくもあり、男だったら子供二人産んでも前線に立てるのにと自分が母親であることをネガティブに感じました。 キャリアを極めることが自尊心の要になっていたのでした。良き母でいるのは誰でもできるって思ってました。 ディナーなどで必ず職種を聞かれますから退職してしまうとただの主婦、相手の興味が突然ガクンと落ちるものなんです。体調不良でしばらく寝たり起きたりしていた時も、健康なら前線で戦えるのにと悔しい思いをしました。 友が皆えらく見える日、子供と戯れる、です。
お礼
ご回答有難うございます。 わたしには子供は授からなかったけれど、それでもお気持ちよく分かりますよぉ、妊娠や出産は 女とあらばしかたがない、でも子育てもそのほとんどが一方的に女性に押し付けられる。ご主人 様が悪いんじゃない、この国の社会の構造がそうなんだからたまったものじゃない。 女性だって、能力のある限りは仕事に全霊を注ぎ込んで勝負したいしキャリアを極めたい。そし て、それが社会でのステイタスになるのだし、プライドも持てるはず。 なのに、良き妻であり母であるかぎりは、人一倍優れた社会人たりえない、そんなの不平等で すよね。ほんと、もし男性として生まれていたなら…と、さぞかし悔しいことでしょうね。 …友が皆えらく見える日、子供と戯れる… う~ん、そうなんですよねぇ、そうして寂しくなった気 持をほっこり温め直すしか…、ねえ。
- m2052
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「いたしむ」って?
お礼
さっそくご指摘有難うございます。 たしかに「いたしむ」という語よりは「したしむ」の方が自然に感じます。 ですが、投稿に際して、いつものように検索して見ましたところ、 「いたしむ」が一見して多く見られたことから、あえてこちらを選びました。 正直言ってわたしもどちらが正しいのか分りませんでした。 ただ、投稿後さらに調べておりましたところ、 岩手県盛岡市に作られた啄木望郷の丘に立てられた詩碑の小さな写真では なんとか「したしむ」と読めます。 というわけで、今回は単なる誤字としてお考え頂きとう存じます。
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お礼
ご回答有難うございます。 こちらアンケートカテなどでは、とても得られるとは思いもつかなかったほどの、ずしりと重みのあるご回答でした。簡潔で読みやすい文章とともに、拝読して大変考えさせられ、そしてまた強い感動も覚えました。 お父様は、それまでこよなく愛しておいでだった窓際の座椅子を、ご退職になってからは、お部屋の真ん中へとお移しになった……。 ご自身の信念でもって、時来たりと自らを第一線からお退けになり、後進に道をお譲りになった。なんて潔いご英断なんでしょう。それでもなお、ご自身が職を失い、浪々の身であることとして恥ずかしくお感じになった。 ええ、分りますよ…と軽々に言えない深いものをそこに感じます。ですが、それだけになお、わたしもまた、InTheLife様がお父様にお話しになった「お父さんが、一流と呼ばれる企業の第一線で働き続ける仕事仲間に対し、劣等感や置き去りにされた感を否めないのは、他でもない自分自身が、『一流企業の第一線で働く自分は偉かった』と思い上がり、そういうものさしで他人を判別する深層心理に動かされているからだ…」というお言葉にうなづけるものを感じます。 「自分自身が精一杯生き抜いた上での結果なら、就職していようがしていまいが、選んだ企業が三流と評されようが一流と評されようが、世間的には無名だろうが有名だろうが、そういった他人からのランク付けは、一切、気にならないはずだ」…、う~ん、たしかにそうなんですよね。言い得て妙、ズバリと言い表していらっしゃると思います。 でも、それだけでしょうか。わたしには、あるいはもっと卑近といっていいほどの気持ちがそこに作用しているようにも思えるのですが。世間というものは大変に世俗的で程度の低いもの。どんなに高邁な精神からわが身を処したとはいえ、世間の何人がその崇高さを理解できることでしょうか。 世間の野次馬たちにとっては、本人の信念も崇高な精神も何も関係ない。ただ、…あそこんちのご主人、仕事がなくて、だから毎日ただブラブラしているみたいよ…で片づけられてしまう、いえ、片づけられてしまうかもしれない。 わたしは、お父様のお立場を考える時、お父様にとっては、…第一線で働き続ける仕事仲間たちに対して感じてしまう劣等感や、あるいは置き去りにされた寂寥感…よりも、下世話な連中の…あそこんちのご主人、仕事がなくて、だから毎日…といった無責任な噂のほうが何倍も恐ろしく感じられたのではないかと想像するのです。 赤の他人の噂なんて、ただ無視すればいいだけのこと。本人が莞爾と微笑んでいればそれですんでしまうこと、とは言いながら、実は、長いキャリアの中で覚えた自尊心にとっては、たかがこんな馬鹿げた噂が、たかがそんな程度だからこそ、余計に煩わしく思われてしまう、そういうことではないかと、ふと考えてしまったのです。 でも、幸いに、お父様は、家事に手を出し、町内の行事にも参加され、新しい生き甲斐ををご自身でお見つけになった、本当に良かったと思います。なんだか、偉そうなことを言ってしまって失礼に当たらないかとちょっぴり心配しています。自分の感想をうまく表現できませず、申し訳ございません。 わたしのことにつきましても、暖かいお心が嬉しうございます。幸い、そののち、まったく違った分野で新しく、意外な自分のタレントを発見するに至りまして、それ以来、自信に満ちた毎日を過ごしてまいりました。ちょっと大回りはしたものの、それもまた良い経験だったな…と、今は思えるようになりました。嬉しい応援を賜りまして、これからも精進してまいります、本当に有難うございます。