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身内の死にも関わらず、私だけ平然と遊びに出ることができるのは異常なのか?
- 身内の死にも関わらず、私だけが平然と遊びに出かけることができるのは異常なのでしょうか?家族の死と遊びに出かけることの葛藤や心情について相談したい。
- 私の身内が亡くなったのにもかかわらず、他の家族とは違って私は平然と遊びに出かけることができます。この感じについて心配や不安を感じています。
- 家族の死について、私だけが平然と遊びに出かけることができるのはなぜなのか、それは異常なのかについて相談です。
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私は同居の身内を亡くした経験はまだないのでわからないのですが。 夫は父親を亡くしたとき、涙もなければ何も普段と変わりませんでした。 男の人だからかな、というのもありますが。 普通は息子だからこそ泣くことはなくてもどこかガックリきたりするものじゃないですか。 そういう素振り言動が一切なくて驚くほどでした。 それよりは葬儀等で仕事が遅れることを気にしていました。 葬儀が終わるとすぐさま日常に戻りました。 祖母や叔母というのは故人の配偶者と娘ですよね。 あなたよりも故人と過ごした時間がずっと長い人達です。 人生のつらい時や嬉しい時、一緒に過ごしたたくさんの思い出があるのでしょう。 その点、貴女は深い交流はなかった。 そして若くして亡くなったわけでもない。 だったら自然なことだと思いますね。 血のつながった身内だから、同居してたから、悲しまないのは変だというのは変な理屈です。 また友人がご主人を癌で亡くされました。 上が小6、下がまだ未就学のお子さんを残して。 さぞや一家で悲嘆に暮れてるだろうと思いましたが葬儀での彼女の喪主ぶりは毅然としたものでした。 お子さん達も泣き腫らしたような様子もありませんでした。 もちろん私達が見てないところでは泣いたのでしょうが。 そして上のお子さんは葬儀が済んだ翌日には学校に登校してたんです。 いつも通り友達とたわむれ笑っていました。ちょっと驚きました。 その後何年も経ってからその時の話を聞いたのですが。 癌というだけに死期がわかっており、その間に出来得る限りのことを家族でした。 だから後悔もなく亡くなった時には不思議と心は平穏だった。 子供達も冷静だったし、それなら無理に悲しめとばかりに学校を休ませ喪に服させるのが不自然だと感じた。 自分達が日常生活を止めてしんみり泣き暮らすことを望むような夫ではなかった。 私はとても立派なご一家だと感心しました。 きっとその境地に辿り着くまでに大変な苦労と努力があったことと思います。 貴女ももしかしたらそういう事ではないでしょうか。 悲しんでないわけじゃありませんが覚悟はできていた。 だからいつも通りの生活を続けられる。 それが悪いことでは決してないと思いますよ。
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- yuyu0047
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自分が思うに、あなたのような意見でもいいと思います。 私の身内で亡くなった人はいませんが、ただ憂いているだけよりも行動しているのは悪いことではないと思います。 自分も祖父が死んで泣けるかわかりませんし、泣くことを強制されるの嫌です。自分が思うに死んだ方に後悔しても意味ないことですし、弔うことは知能が発達した人間がしたことですからそれ自体が正しいことかはわかりません。 ただ、多くの人が弔い悲しむべきと考え、多数決的にその考えが正しいと認識されています。 ですから少数的なあなたの考えもあると思います。 なので間違いということはないと思います
お礼
ありがとうございます。 今まで母方の曾祖母と祖父、そして父方祖父が亡くなりましたが いずれも悲しみや後悔の感情が薄く、そういう性格?なんだと思います。 さすがに祖母や親戚の目があるので、大っぴらに旅行を楽しみにしてはいませんが。
- korekoree
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ショックが大きすぎると、感情がマヒすると聞いた事があります。 悲しすぎると悲しくなくなる、っていう事らしいです。 今居る処、お爺様がおられたという現実から逃避したい、 このままここに居たら、悲しみが襲ってくる、 そんな隠れた感情が、尚更旅行に誘っているのかもしれませんよ。 非現実な場所で静かにやってくる悲しみと対面する、 私もそうでした。 回答「いますよ。でも心は悲しみの準備してるかもです」
お礼
ありがとうございます。あまりに悲しみが大きいと逆に涙もでないと私も聞いたことあります。 後からふとしたときに祖父を思いだし悲しくなるかもしれないですね。
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お礼
ありがとうございます。 父も祖母も出棺のときはつらそうでしたが今や普通の生活に戻っています。 知らないところで悲しんでいるかもしれないですが。 私も謹慎しなければならない、というわけでもないと思えてきました。 ご友人一家も本当に素敵な家族関係だったんでしょうね。 私も、元気だった祖父が入院し年々足腰が弱りゆっくりしか歩けない様子などをみて 知らないうちに覚悟していたのかもしれません。