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恋愛を掌る(つかさどる)存在

・恋愛とは感覚です,理性的なものではありません これまで,恋愛にかんする質問をとおして,このようなコメントを,いくつかいただきました。このようなコメントを受けて,ほんとうに,恋愛とは,感覚で掌る(つかさどる)ものなのでしょうか? 恋愛にかんしては,感性による部分が大きいというコメントもいただきましたが,恋愛においても,「理性的な部分」が大きく働いていると,わたしは考えます。 たとえば,わたしにパートナーがいた場合,わたしは彼女が好きな理由,あるいは,彼女を愛している理由を,400字詰めの原稿用紙で,約10枚ほどで「論理的に展開」することができると,そのように受けとめています。 ラブレターを書くよりも,こちらのほうが,面白いでしょう。

みんなの回答

  • kanakyu-
  • ベストアンサー率30% (1916/6194)
回答No.4

0か100かじゃないけれど、 1、「肉体的・本能的な恋愛」と、 2、「精神的・人間的な恋愛」があると思いますよ。 激しい恋愛感情は1 穏やかな落ち着きは2です。 もっといえば、 下半身で恋愛してるか、 上半身で恋愛してるか、ってことです。 論理的に展開ですか^^ まあいいんじゃないですか。  相手がそれで喜んでくれる人ならね。

noname#181693
質問者

お礼

コメントありがとうございます。

  • gyounosuke
  • ベストアンサー率20% (1446/7021)
回答No.3

>ほんとうに,恋愛とは,感覚で掌る(つかさどる)ものなのでしょうか? に対する答えとしては「半分イエス」といったところでしょうか。 「感覚」というのも正確ではないいように思います。 この場合は「本能」というのが適正ではないでしょうか。 人間はそもそも動物です。 動物としての本能に突き動かされているというのが「恋愛」の根本だろうとは思います。 しかし、同時に人間は理性的=非動物的であるところが最大の特徴でもあります。 理性と本能とのせめぎ合いのバランスの上に存在するのが「人間」というものではないでしょうか? ですから、恋愛は感覚だけでするものではないし、同時に理性だけで動くようなものでもないでしょう。 そのバランスをどうとっていくかで人間の価値が決まってくるのだろうと思います。 蛇足ですが、原稿用紙10枚に彼女を好きな理由をまとめられたとしても、それはそれだけの話であって、恋愛とは無関係な問題ではないかと思います。 それによって証明されるのは「そだけの文章力がある」というだけのことではないでしょうか。 それが出来ないとしても「彼女が好き」の価値が下がるわけでもないと思うのです。

noname#181693
質問者

お礼

コメントありがとうございます。

  • sspider
  • ベストアンサー率32% (118/366)
回答No.2

仮にそれが正しいとして、 それがどうかしましたか?

回答No.1

これは率直に申し上げると無駄な主張です。 理性的にどうにも抑えられない衝動に駆られるような異性に出会い、恋焦がれた経験の有無によって話はどこまでも平行線を辿ることになるでしょう。 経験したことがある人、或いはそういう恋愛に強い憧れを持つ人等は、質問者さんがどなたかからいただいたと言う“恋愛とは感覚です,理性的なものではありません”という言葉に賛同するでしょうし、そういう経験が無く、何事も常に冷静に観察できるという自分の性向にプライドを持っているタイプの人であれば“恋愛においても,「理性的な部分」が大きく働いている”という質問者さんの発言に賛同するという、それだけの事です。 従って、その両者が存在するということを理解しておけば良いだけの話ですので、こうあるべき、的に主張することや、自分はこうである、と主張することは全く無駄な行為であり、質問サイトにUPすべきことではなく、規約に反する行為として削除される対象となるものです。