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人生に疲れました(長文です)
大学3年女です。 就職活動も控えた中、自分のことを見直してみて、自分がいかに生きている価値のない人間かということを再確認しました。 まず、友人が一人もいません。(バイト先には年上だけしかおらず、愛想よくしているので可愛がられます。計算づくの行動なので「良い子、まじめ」と褒められると、つらいです。)本当は話し相手が欲しいのですが、自分に自信がなく話しかけられません。「相手は自分よりもっと良い人間と一緒にいたいはずだ」と考え、自分から身を引いています。(親には、「その考えは相手を見下している」と言われました。)一人でいることに理由がほしくて、若い大学生の集団とかを見ると、「バカ女とチャラ男の集まり」「勉強する気もないのに大学に来るクズ共」と見下しています。しかし、周りの人間のほうが自分よりうまく生きていると、本心ではわかっています。おそらく悔しさから来ているんだと思います。 次に、自分はブスです。醜形恐怖症のような症状を起こしています。足の太さと、丸顔と鼻にコンプレックスがあり、私の大学はかわいい子が多いことも相まって、その子たちを見ると「私の顔があの子と同じ輪郭だったら」とか「あの鼻の形だったら人生変わっていたのに」とか考え、落ち込みます。トイレの鏡で百面相していたら4時間経っていたこともあります。自分を携帯で撮って、あまりの気持ち悪さに携帯を叩き付け壊しました。周りに可愛いと褒められても、腹が立ちます。本当はそんなこと思っていないくせにぬか喜びさせるなと思ってしまうんです。 あと、自分のふがいなさにも腹が立ちます。親に塾に通わせてもらい、大学もたかがマーチクラスの私立なのに、奨学金は返済が大変だからと、お金も親が全部出してくれています。自分はなんの苦労もなく、不自由もしたことがないのです。親にはとても感謝しています。親の期待を受け続け、それにこたえようと努力してきました。しかし、大学受験に失敗した時、期待をかけていたためか、塾の先生からは誰からもお祝いの言葉がありませんでしたし、十分だと言ってくれた母は、酔った時に「たかがこんな大学で~」と本心を言ってくれました。それによって最初の一年間は学歴コンプレックスになり、夜は親の目を盗んで泣いていました。自分には何のとりえもなく、就職だっておそらく大したところに行けないでしょう。一人でなんとかやっていかなければ、と大学には欠席なく行っています。単位は落としたことがないけれど、単位を取りにいくだけの生活のような気がしています。ただ、引きこもったり、非行に走れば、自分の未来はなくなるし、親にも申し訳がないので、良い子を演じ続け、あきれられないようにしなければと過ごしています。 これらのストレスから、最近はちょっとしたことでイライラし、目の前の人々がみんな死ねばいいのにと考えたり、電車とかで知らない人間にぶつかられたとき、舌打ちをしてしまったりします。クズです。私はとてもクズです。でもイライラが止まりません。母親に相談すると、「欲求不満だ。男とヤッたことがないからだ。」とセクハラまがいの回答が来ます。母親はけっこう性的に色々問題がある人です。父親は経済面で支えてもらっているだけでとても感謝しているので別にいいのですが、人の感情の機微に疎い、子育てには向いていない人間だと思います。両親に相談してもまともに取り合ってくれないので、感謝はしていますが、自分のことを見てくれているとは思ってません。 自分のことを誰もわかってくれない、これは自分のせいであるし、悲劇のヒロインぶっているかもしれません。人に気を遣いすぎて自分を出せず、自分の姿を許せず、相手を心の中で見下すことでしか自分の存在を認めることができない、けれど自分はクズだと分かっているんです。 大学の相談所に行き、カウンセラーとお話を何度かしましたが、「君は本当は良い子なんだ」と結論付けられるので、最近は行ってません。 自分を認めるにはどこから始めればいいのでしょう。意識を変えるにはどうしたらよいのか、何でもいいので教えてください。
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こんばんは。50代男性です。 あんまり良い回答を期待をしないでください。まぁ、見ず知らずのおっさんの言うことですから、もともと期待されてないでしょうけど。 だいたい悩みというのは、期待通りでないから生まれるのではないでしょうか。無意識の期待、当然のように持っている期待というのがあるものです。人生に対して持つ期待、親に対しての期待、将来に対しての期待あるいは希望。『だから頑張ろう』と思えればそれでいいのですが、返って苦しむのなら期待しない方がいいのです。 「自分の人生には意味があってほしい」と願うのはいいのですが、「自分の人生には意味があって当然だ」と考えるのはよくありません。これは決して悲観主義で言っているのではありません。自分が死んだら、それで自分の世界は終わりです。誰の人生も宇宙の歴史から見れば、塵どうぜん、ほんの一瞬のはかないものです。大差ありません。深刻に考えるよりも、今あるもので楽しく笑って過ごせば、それでよいのではないでしょうか。 何かを当然だと無意識に考えていると、「当然」か「不幸」かしかないのですから、いつまでたっても幸せになれるはずがありません。だから他人にも親にも将来にも、あまり期待しない方がいいのです。他人は自分を理解してくれなくて当然、人生は思うようにならなくて当然。理解してくれた人には心から感謝しなければなりません。思い通りになることがあれば、それはとても幸せなことなのです。 二重拘束(ダブル・バインド)というのが一番苦しいと僕は知っています。口では「お前の好きにしていいよ」と言いながら、態度では「こうでなきゃ」と思わせる、見えない鎖で縛られるのです。犬を呼んで杖を上げる、という二重拘束にあうと、人はどうしてよいのか動くに動けなくなります。矛盾しているのです。 生きずらさの原因は、道を狭くしていることにあります。「こうでなければ」と狭く考えて窮屈に生きている人が多すぎます。まるで広い道路にロープを置いて、綱渡りのように歩いているみたいです。ロープから脱落してもどうってことありません。弱みを見せてはいけない、…そうでしょうか?。人に頼ってはいけない、…そうでしょうか?。 誰も貴女に期待なんかしていません。綱渡りのような対人関係を期待などしていません。あなたが他人に期待しなくなれば、そのことを信じられるでしょう。楽にやってください。
質問者様は、自家中毒にかかっているような気がしてなりません。 自分が「こうあるべきだ」と設定した自分像や、 周りとの関係で自分が設定した「こうあらなければならない」 という自分像が、「そうではない」と考えと対立してあなたを苦しめているようです。 要素としての自分は、関係の数だけあるので、そういう対立が発生しているのでしょう。 解決策は、「そうではない」というあなたが、あなたの心を支配するまで考え続けることです。 言換えれば、本を読むということが必要だとおもいます。 というのは、マーチレベルの大学に行く知的能力があれば、勉強をする過程で、自分について言葉で表現する世界(心の世界)形成されます。 その世界は、言葉と論理が力を持ち、また、内的な整合がつかなければ、引き裂かれる思いをするような世界です。 心で、「あの人たちが正しいのかもしれない、」と思っても、もはや、そのプロセスを、言葉で表現する、理解する、というプロセスを踏まなければ、心からの納得ができないようになっているのだと思います。なので、いろいろな思い、考えを、言葉を通して触れて、心の輪郭を作ることが必要だと思います。 具体的には、 京極夏彦『姑獲鳥の夏』 中村うさぎ『イタイ女の作られ方』、『セックス放浪記』 米原万里『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』 佐藤優、中村うさぎ『聖書を読む』 カレル・チャペック『いろいろな人たち(カレルチャペック短編集)』 の5冊をお勧めします。 友達がいない人にとって、本は本当に心の支えになります。 あなたのことをよくわかる人は、本の中にきっといます。それは保証します。
- hirotan1879
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まあ 世間体としてONLY YOUなんて言いますが単なる欺瞞で大統領だろうがローマ法王だろうがイギリス国王だろうが居なくなったって代わりは幾らでも居るので本当に居ないと困る人なんて何処にも居ません。 所詮凡人ですから惰性で生活して行くしか無いのですが、快適にするためなら、もう一度自分が人よりも少しマシに出来る能力を探して其処をのばすしかないですね。 知り合いの女性は顔は微妙なのですが体の方が良いので(私はクビから下は良い女)とか自分で言っていてジム通いしてクビから下を強調する服を着ています。
お礼
そうですね、確かに本当に価値のある、「この人がいなければダメだ!」なんて人、私も今まで会ったことないです。理想の、絶対なれっこない自分像を作り上げて、苦しんでいたと思います。自分が人よりも少しマシに出来る能力ですか・・・。今はまだ見つかりませんが、もう一度他の目線で考え直してみます。 ご回答、ありがとうございました。
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お礼
ご丁寧な回答、ありがとうございます。本を読むというのは考えたことなかったです。けれど、本を読む機会がなかったので、自分の頭の中で考えていることをうまく文字にする力とか、整理する力が乏しいなと思っていました。 読んでみます。現実世界の生身の人間関係に頼れないなら、共感できる本を読んで、心のバイブルにできたらいいなと思います。