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妻がんで亡くなる前日の出来事について
- 妻がんで亡くなる直前、入院していた病院で起きた出来事について疑問が残っています。
- 妻は苦しむことが多く、最後の日も苦しそうでしたが、会話はできていました。
- しかし、急に短時間で昏睡状態になるほどの薬を与えられたのではないかと疑念があります。
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質問者が選んだベストアンサー
(Q)ただそのような状況になるものかどうかが知りたいのです。 (A)あります。 日本では、毎年100万人の方が亡くなっています。 その亡くなり方は、100万通りあるといって良いです。 私の両親は、30分前まではちゃんと話をしていたのに、 30分後には亡くなっていました。 そんなこともあるのです。 (Q)どうしても、その時の事が頭から離れません。 (A)当然でしょう。 でも、何かあったのではないかと他人のせいにしていては、 いつまでたっても、受け入れることはできません。 例えば、事故や犯罪の被害者で亡くなったのならば、 遺族の方は、死ぬまで受け入れることができないのも当然でしょう。 でも、質問者様の場合は、そうではない。 そのとき、できることはやっていたのです。 15分後に昏睡になるとは、誰も予想できなかったことなのです。 誰のせいでもない。 それが、運命だったのだと受け入れるしかないのです。 質問者様は、病院を訴えるつもりはないとおっしゃっている。 真実を知りたいだけだとおっしゃっている。 でも、亡くなったときのことをそのまま、事実として 受け入れられないのはなぜでしょうか? それは、後悔があるかではありませんか? 私がそうです。 もう、後悔の山ですよ。 できること、すべきことが、山ほどあったのに、しなかった。 それは、明日があることが当たり前だと思っていたからです。 明日、死ぬと分かっていれば、やるべきこと、 やらなければならないことが山ほどあった。 それを積み残したまま、両親は旅立ってしまった。 今は、両親にすべきだったことを、少しでも、妻や息子たちや 他の人々のためにしてやりたいと思っています。 両親は、私に、それをしなさい、ということを最後に教えるために、 亡くなったのだと、そう思うようにしています。 毎日、仏壇に手を合わせるのは、両親の弔いをするのではなく、 自分に恥じることがないということを仏になった両親の前で、 自問自答することにある…… そう、思うようにしています。 (坊さんの受け売りです)
その他の回答 (1)
奥様に追悼の意を表します。 手短に書きます。 奥様の状態であれば亡くなる10分前程度まで会話できていたのは全く不思議ではありません。 僕も妻も何度も人の死に立ち会いましたが、奥様と似た状態であれば5分前程度まで会話できる方もたくさんいらっしゃいます。 心停止の前に死前喘鳴という苦しそうに見える呼吸の仕方が現れる方は、そのように数分前まで会話をするというのが難しくなりますが、それがほとんど無い方や短時間の方なら会話も可能です。 それだけ苦しみも少なくできるという医学のあらわれです。