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母のコンプレックスが気になってしようがないです

母と二人だけで暮らしています。 私は離婚暦あり、その後実家に戻ってきました。 父は私が結婚する前に亡くなっています。 まず、母は若いころから自分の容姿にかなりコンプレックスがあるらしく、それが言葉の端々にも行動にもすごくよく現れているのを、私が娘だからなのか、すごく感じます。またそれとともに、私が子供のころから母は私に女性性を感じるのをすごく嫌い、髪を下ろしているだけでもいやがり、また私が裁縫や料理を覚えようとし始めたハナからけなしては、「あなたは女の子らしいことは苦手な子なのよ。服装も、女の子らしい格好よりまじめなもの(学校の先生みたいな)ものの方が似合う」とか、とにかく、女性性を押さえつけられていたような気がします。 で、その反動からか、結婚後けっこうはじけてしまい(笑)おしゃれも楽しみ、結婚先が海外だったせいもあって、あまり歳さえ気にせず(もちろん節度やTPOはわきまえています)、そんな感覚のまま、離婚してまた母と暮らすことになりました。 家のなかで派手な格好などはもちろんしませんが、やはり美意識は保っていますしボディラインなどにも気を配っています。そして、母なのですが、まず離婚後に実家に戻ってきてほどなく気になったのが、母は「自分は瘠せているから」などと、妙に体重のことを気にする言動をし、はじめは母の歳も考え、てっきり健康上のことで気にしているのかと思ったら、どうも、見た目的に意識していて、「瘠せている」といいつつ、食べるものはヨーグルト、バター、甘味料などすべて低カロリーのものを選んでいたり、なにか運動器具を使っていたりと、すごく「瘠せていること」に拘っていて、さらにお化粧、服装なども、かなり若作りしているみたいです。 それは別にいいのですが、ただ相変わらず体系や容姿にコンプレックスを持っているようで、それが私を見たときもありありと表れるんです。ときどき「あんたは○○でいいなあ」とか、冗談まじりでも、本気で言っているのが伝わってきます。 そんなかんじで、なんだか私のほうも、例えば洗面所でキャミだけでかなり肌をみせてる状態などの時に母がやってくると、私もけっこう瘠せている上やはり母よりは若いですので、当然母が何か思うだろうと先読みしてしまい、恥ずかしさとは違う意味で身体を見られるのがすごく苦痛に感じるようになりました。 母がはっきり言ったわけではないし、おそらく私がそんな話をすれば、地雷を踏んで激しく反論するだろうことは予測がつきます。で、とどのつまりは、私が一方的に負担を感じているだけなのかもしれませんが、毎日のことなので、ストレスも溜まっています。逆に私の気持ちのもちようで、どうにかなると思うのですが、どんなふうに気持ちを持っていっていいかわかりません。 私自身、年齢を重ねてもそれなりにきれいでいたいと思うし、それなりの努力もしています。が、それと同時に子供のころに植えつけられた感覚なのか、母がそれを歓迎してないみたいな、後ろめたさを感じてしまいます。母自身が自分の容姿コンプレックスを持ち、エクササイズやダイエットを隠れてしていて、それがもろにバレているのが本人のみ気がついていないのも、余計に拍車をかけます。 母は世代的に、例えば女性の知り合い同士でお互いの自分の欠点を言って、それを克服しようとするのをよしとせず、むしろ「私もなのよ~」とお互いなぐさめあって、低いままでいることで仲間意識を保つタイプなので、なおさらそんな容姿に関する話題をふることすら出来ません。 こんな細かいことを気にする自分も、少しノイローゼなのでは、と思ったりします。 何かいいアドバイスお願いします。

みんなの回答

回答No.1

容貌のことで悩む女性、身長のことで悩む男性などなど、 人には諸種の悩みがあります。私は、 何を与えるかは神様の問題である。 与えられるものをいかに発見し、いかに実現すべきかは 人間の問題である。   (阿部次郎『三太郎の日記』) という言葉が好きなのですが……【何を与えるかは神様の問題】は 《考えても仕方がないこと》と解釈し、個人的には、 あるがままを、あるがままに受容することにしています。 質問者さまのお母さまが嫉妬心・虚栄心・猜疑心etc.に 苛まれていないのは大いなる救いではないでしょうか。 どのようにインフェリオリティ・コンプレックスをクリアするかは、 神様の問題ではなくて、お母さまの問題ですね。まぁ それはともかくとしまして、 お母さまが堂々巡りの愚痴的世界から長い年月、脱出できずに おられるとしたら、ちょっと高価なノートと 多色ボールペンをプレゼントして、 『愚痴ノート』に、 諸々の想いを書き込んで貰うようにしませんか。 貧しい心からは貧しい言葉しか出てきません。 豊かな言葉は豊かな心から出てきます。 (三浦綾子 『藍色の便箋』) ということで、一緒に暮らしておられる質問者さまが それとなく気配りして、お母さまが、豊かな心の人たちと豊穣、 豊楽な気分で過ごせるように環境を整えてあげるのも 1つの方法かもしれませんよ。 質問者さまがマイナスのエネルギーを抱えつづけているのは メンタルヘルスに宜しくありませんので、とりあえず、 心の中に、お部屋を1つ増設して、お母さまに関わるすべてを そのお部屋に格納し、鍵をかけてしまうなど、 お母さまに干渉することを暫時、休止することにして、 質問者さま自身、夢中になれると言いますか、 完全燃焼できて、社会還元、地域奉仕になるような ことを見つけませんか。 【ちょっと高価なノートと多色ボールペンのプレゼント】を お母さまへの不干渉の機会にするのも1つの方法かもしれませんよ。 〈ふろく〉 人は、不幸な出来事によって不幸になるのではない。 そのことを不幸だと思うから不幸になる。   (Viktor・E・Frankle) 容貌のことで悩む女性、身長のことで悩む男性などなど、 人には諸種の悩みがあります。私は、 何を与えるかは神様の問題である。 与えられるものをいかに発見し、いかに実現すべきかは 人間の問題である。   (阿部次郎『三太郎の日記』) という言葉が好きなのですが……【何を与えるかは神様の問題】は 《考えても仕方がないこと》と解釈し、個人的には、 あるがままを、あるがままに受容することにしています。 質問者さまのお母さまが嫉妬心・虚栄心・猜疑心etc.に 苛まれていないのは大いなる救いではないでしょうか。 どのように インフェリオリティ・コンプレックスをクリアするかは、 お母さまの問題ですね。 まぁそれはともかくとしまして、 お母さまが堂々巡りの愚痴的世界から長い年月、脱出できずに おられるとしたら、ちょっと高価なノートと 多色ボールペンをプレゼントして、 『愚痴ノート』に諸々の想いを書き込んで貰うようにしませんか。 貧しい心からは貧しい言葉しか出てきません。 豊かな言葉は豊かな心から出てきます。 (三浦綾子 『藍色の便箋』) ということで、お母さまは、 豊かな心の人たちと豊穣、豊楽な気分で過ごすように環境を整えるのも 1つの方法かもしれませんよ。 質問者さまがマイナスのエネルギーを抱えつづけているのは メンタルヘルスに宜しくありませんので、とりあえず、 心の中に、お部屋を1つ増設して、お母さまに関わるすべてを そのお部屋に格納し、鍵をかけてしまうなど、 お母さまに干渉することを暫時、休止することにして、 質問者さま自身、夢中になれると言いますか、 完全燃焼できて、社会還元、地域奉仕になるような ことを見つけませんか。 【ちょっと高価なノートと多色ボールペンのプレゼント】を お母さまへの不干渉の機会にするのも1つの方法かもしれませんよ。 〈ふろく〉 人は、不幸な出来事によって不幸になるのではない。 そのことを不幸だと思うから不幸になる。   (Viktor・E・Frankle) 容貌のことで悩む女性、身長のことで悩む男性などなど、 人には諸種の悩みがあります。私は、 何を与えるかは神様の問題である。 与えられるものをいかに発見し、いかに実現すべきかは 人間の問題である。   (阿部次郎『三太郎の日記』) という言葉が好きなのですが……【何を与えるかは神様の問題】は 《考えても仕方がないこと》と解釈し、個人的には、 あるがままを、あるがままに受容することにしています。 質問者さまのお母さまが嫉妬心・虚栄心・猜疑心etc.に 苛まれていないのは大いなる救いではないでしょうか。 どのように インフェリオリティ・コンプレックスをクリアするかは、 お母さまの問題ですね。 まぁそれはともかくとしまして、 お母さまが堂々巡りの愚痴的世界から長い年月、脱出できずに おられるとしたら、ちょっと高価なノートと 多色ボールペンをプレゼントして、 『愚痴ノート』に諸々の想いを書き込んで貰うようにしませんか。 貧しい心からは貧しい言葉しか出てきません。 豊かな言葉は豊かな心から出てきます。 (三浦綾子 『藍色の便箋』) ということで、お母さまは、 豊かな心の人たちと豊穣、豊楽な気分で過ごすように環境を整えるのも 1つの方法かもしれませんよ。 質問者さまがマイナスのエネルギーを抱えつづけているのは メンタルヘルスに宜しくありませんので、とりあえず、 心の中に、お部屋を1つ増設して、お母さまに関わるすべてを そのお部屋に格納し、鍵をかけてしまうなど、 お母さまに干渉することを暫時、休止することにして、 質問者さま自身、夢中になれると言いますか、 完全燃焼できて、社会還元、地域奉仕になるような ことを見つけませんか。 【ちょっと高価なノートと多色ボールペンのプレゼント】を お母さまへの不干渉の機会にするのも 1つの方法かもしれませんよ。 〈ふろく〉 人は、不幸な出来事によって不幸になるのではない。 そのことを不幸だと思うから不幸になる。   (Viktor・E・Frankle) なっていたかも知れない自分になるのに 遅すぎることはない。 (George Eliot) The joy of living is the joy of giving. (『Lover Come Back』) CiaoCiao!

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