alterd1953 様、 開高 健、寺山 修司、そして 福岡 伸一 諸氏の お話は 寡聞にして 知らず、 まるで 私の 長広舌を はらりと 帽子に 詰めて、 一羽の 鳥に して 空に 放って くださる ようで、 まことに 感に 堪えません … それに … あまりに 潔く、 全てを 腹に 収めて、 ご自身 のみを 力不足と 断罪される ような お話に 敬服する ばかり です …
父親の、 男としての 仕事と 生き様が、 家庭に 時として 齎す 嵐は、 男の 子には いつか わかる 時が 来る よう ですが …、 そこには おそらく、 男の 子には (長男からの 順で …) (その 父親の 全てを 受け入れられた …) 母親に 似た、 母親から 受け継がれた 部分が 色濃く ある からで …、 女の 子の 場合 には、 (長女で 一人っ子 ならば なおの こと …) 父親と 似ている 部分が ある から こそ 自らを 否定された ような 気にも なり … その ような ぴったりと 寄り添える ような 相応しい 相手と めぐり逢われて、 家庭を 築かれ、 御子 様、 それも、男の 子に 恵まれ なされました なら、 きっと … とは 思われるのですが …
御覧になられた かと 思われる の ですが、 NHK の 番組で、 オルメカの レプリカの ある という 伊豆の シャボテン 公園の チンパンジーの 飼育 調教員の かたの 三人の 息子 さん が、 仕事に 専念されて 家庭を 顧みられなかった 父を 伊豆に 残し、 長らく 北海道に 母親と 暮されていた そうですが、 この度、 引退されて 北海道の 母 (奥様) の もとに 帰って 来られる という 父を、 当時は、 「チンパンジーが 熱を 出した って いうと、 出て 行っちゃうんですよ … 子供心に チンパンジーが 一番 大事なのか って …」 随分 反発された そう ですが、 社会に 出て、 家庭を 持ち、 仕事を して 初めて、 それだけの 仕事を 自分が したい と 思い、 そして できる のか、 という 段に なって、 父の 懸命な 努力が わかった、 尊敬しています と それぞれに、 男らしく 言葉 少な ながらも …
癇癪に しても … 誰かに 力を 奮い、 傷つけ、 屈従させ、 思い 通りに したい、 という 意図が そこに ある ものを 虐待 と いう の では ないか と …
ゴッホの 場合 ですが、 日本人には あらゆる 面で 誤解されて いる ような 処も あり … 断言は 致したくは ありませんが …、 何カ国もの ヨーロッパ 言語に 通じ、 当時 最新の 科学・光学 (色彩学) も 理解されて、 非常に 計算された 画面 構成と タッチを、 コントロールしつつ 一気呵成に 制作される、 深い 知性に 基づく 不断の 努力を なされた 画家で、 ただ、 感情面で 非常に 脆く、 好きに なった 人には、 いつも 自分の 側に 居て ほしい、 たとえ 自分が その人を 顧みず、 制作に 没頭していた としても、 ただ ただ 見守り 支え続けて ほしい …、 故に、 自分 以外の 人とは 親しくして ほしくない、 また、 その 人に そのように させる 為に、 自らを 傷つけ、 その人の せい だと いう ことに 思い至らせて、 その人に、 自分 (ゴッホ) の 死 または それに 等しい 苦しみと 破滅 (狂乱) を 強いる のか、 それとも、 此れ程 までに 才気にも 情熱にも、 また その 人への 想いと 忠誠 にも 満ちた、 自分との 閉ざされた 世界への 従属か、 の 選択を (脅) 迫 (す) る という、 一種 卑怯な までの 弱い 面が あった ように 思われます … 最後の 自殺 という のも、 そんな 自分に ほとほと 嫌気が さし、 その 自分と 別れを 告げて、 穏やかで 才気が 溢れ、 明るく 人に 好かれ、 制作に 没頭できる、 自分 だけ との 起死回生を 願い、 一か八かで 僅かに 逸らした 弾が 結局 致命傷と なり、 苦しみながら …、 その 周りの 人 (弟) を 苦しませつつ …、 亡くなられてしまいました … 身重の 妻に 譫言であれ、 あの世で モデルに なってほしい と 言い残して 亡くなり、 身投げさせた モディリアーニ にしても、 狂乱する 愛人たちに、 自分では 選べない から、 あんたたちで 決めてくれ、 と 言い放った ピカソ にしても、 自分への 思いと その 中での 孤独な 闘いに 周りの 人は 振り回される のみ です … あの 一枚 一枚は、 そのような 彼らが 自己との 闘いを 昇華した 戦利品であり 道程標であって、 身震いする ような 傷つき 血を 流し続ける 孤独な 魂の 残骸の 上に 澄んだ 光を 放って 屹立しています …
… ですから、 作品の 構想は、 生み出される まで、 あなたの 中で あなたの 腹を 蹴り続け、 あなたの 頭を 鳴り響かせます から …、 そんなにも 穏やかで 相応しい 御伴侶との 日々の 中で、 人面の 山の SF も、 星空の 三つの 三日月の 絵も、 フリー・ジャズの 新世界も、 全部 生み出されて くださいます よう … 何 一つ 忘れず、 粗末に されず、 人任せにも されず、 こつこつと 成し遂げられて、 御自身には 全て 残骸の ように 思われましても、 そこから 立ち昇る 一筋の えも いわれぬ 光明を どうか 私どもに お届けくださいます よう …
(前置きで いっぱいに なり … あと もう一つ だけ … 大した 話では ない ので … たぶん 明日 …) 失礼の 段、 重ねて お詫び 申し上げます … どうか ご容赦ください …
お礼
詳細な資料ありがとうございます。 私「大人の絵本」ナメてました。 このクオリティの中に、とても私ごときがいきなり入って行けるものではありません。 まぁ、気長にやってみます(笑) さて「切り取られた時間」ですが 風船が空に吸い込まれたのならともかく電車に轢かれた哀しさは分かります。 しかし、5才というのが凄いですね。 まぁ、5才でないと風船のことでそんなに哀しまないでしょうが。 でも、こじつけかもしれませんが 人間、思い通りに行かない哀しさというのは根源的なものかもしれませんね。 私も、いくつの頃だったか忘れましたが お祭りの帰りかなんかで親とはぐれてしまい やっと出会えた時に腹を立てて持っていた金魚の袋を道に叩きつけたことがありました。 ひどいことをしますね。(やっぱり癇癪持ちです) そのかわり娘には手を焼いてますが(笑) 生きることは高揚と落胆の繰り返しなんですよね。 ではまた(笑)
補足
そろそろ締め切らせて頂きます。 新聞や雑誌のコラム等に決して負けない内容でした。 皆様ご回答ありがとうございました。