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新宿界隈は昔、新しい宿がひしめき合っていたから新宿
新宿界隈は昔、新しい宿がひしめき合っていたから新宿なのでしょうか?
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昔の話だと、 以前は、江戸を立って甲州街道を通ると、第一の宿場は高井戸で、距離があって(20km程度)不便でした。 そこで、現在の新宿二丁目のあたりに民家や町屋が出来て、休憩所として利用されるようになって来ました。 この時点では、宿場ではありませんでしたが、内藤宿と呼ばれていたそうです。 その後、本格的な宿場が必要になり、一部有志が宿場の開設を願い出て宿場が開設されて内藤新宿と呼ばれるようになり、これが新宿の語源になったそうです。 Wikipedia - 新宿 # 「新宿」の誕生 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%AE%BF#.E3.80.8C.E6.96.B0.E5.AE.BF.E3.80.8D.E3.81.AE.E8.AA.95.E7.94.9F
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- yasuhiro9191110
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江戸に幕府が開かれて翌年に、日本橋を起点として五街道が定められました。東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道で、各街道にはそれぞれ一定数の宿が置かれ、宿は伝馬を提供する義務が課せられていました。 甲州街道は、日本橋から最初の宿場高井戸までの距離が長く、旅人が難儀していました。そこで、名主・高松喜六らの願いにより、その中間にあたる地に宿場の設置が認められました。この宿場は、内藤氏が幕府に返上した屋敷地に置かれたことと、新しい宿の意味から「内藤新宿」と呼ばれ、新宿の地名の起こりとなりました。 らしいです!
- mekuriya
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いや、宿場町そのものが新しいのです。徳川家康は日本橋を起点に五街道を諸大名に整備させ、宿場町を開設させました。しかし新宿は長い宿場町が設けられず、1699年に商人が宿場町新設を幕府に請願して認められたという経緯で、他の宿場町とは歴史が違うのです。要は徳川家康の時代の古い宿場町に対して、新しい宿場町という意味です。当時は内藤新宿と呼ばれましたが、その名残で現在、新宿と呼ばれています。 内藤新宿は、表向きは甲州街道の宿場町という建前でしたが、実態は歓楽街、遊興街、ラブホテル街でした。そういった他の宿場町とは違うというニュアンスも新宿という地名に込められていたのだと思います。