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老いへの悩み
すごく長文です。 私が大学に入学して少し経った頃から、ときおり「老い」というものについて悩んでいます。 正直、相談したいのかわかりません。 私は日常でなかなか言いにくいことを吐き出したいだけなのかもしれません。 就職活動という一種の大きな転機を迎えることになり、余計に吐き出したくなったのかもしれません。 もしも読んでいただけるのなら、一緒に考えていただければ幸いです。 私は現在21歳の男です。 来年度から大学4回生になります。 大学に入学したときの私の年齢は18歳。まだティーンエイジャーと呼ばれる年齢で法律上、大人とされる二十歳ですらありませんでした。 法律上、少年と呼ばれる立場でもありました。 しかし、入学してからそんなに時間が経ったように思えないのに、気がつけば私は2回生、3回生になり、ついには4回生になることになりました。 当たり前ですが、もう少年とは呼ばれません。 本当にあっという間でした。 20歳を過ぎれば時間が早いと聞きますが、本当なんだと感じました。 私はいま21歳で「若い」と私自身も思うし、周りの人も言ってくれる年齢だと思います。 しかし、私の主観では30代になれば、もう「若い」と大々的には言えないような気がします。 35歳になれば、確実にもう若いとはいってもらえないでしょうし、私も思えないと思います。 つまり、その「若い」という期間は短くて9年、長くて14年しかありません。 私が今まで生きてきた人生の2分の1、もしくは4分の3ほどの期間しか私の若い時代は残っていない。 そして、この調子で時間が過ぎれば、それもあっという間に過ぎることでしょう。 若い時代なんてすぐに終わる…。 私にはそれがひどく怖いと感じるのです。 私は老いるということはネガティブな要素しかないと考えています。 いままでできていたことがどんどんできなくなっていく。1つ1つ、失っていくだけ。 そんな風に小学生の頃から考え、理解していたつもりでした。 ただ、それとは引き換えに新しくできることも増えていくのだろうなんて漠然と考えていました。 小学生の頃はいつか近い未来に平凡な中学生になり、平凡な高校生になり、平凡な大学生になり、平凡に会社勤めをして、もしかしたら家族ができるかもしれない。と考えていたものです。 しかし、このポジティブな未来は確実であるとはいえません。 私にとっての中学、高校時代はとても平凡とは言えないほどつらい時代だったからです。 小学生の頃の私にとっては、こんな未来なんて望んでもいなかった、予測さえしていない時代でした。 だから、私が持つ未来へのポジティブな思考というものは確実ではありません。 しかし、老いていく、そしてそれにしたがって失っていくということは確実です。 絶対に覆しようがない。どうしても時間を止めることはできず、私が老いるということをやめさせることはできない。 私がどんなに「頼むから待ってくれ」と叫んでも、いまこの文章を書いているこの瞬間も時間は動いてしまいます。 私はここまで考えるといつも頭を抱えてうずくまりたくなります。 この世はなんて理不尽なんだと思ってしまい、時折泣きそうになることもあります。 自分の描いた希望の未来は自分の手でつかまないといけない。 ぼーっとしてたって何も変わらない。困っていても行動しないと事態は好転しないし、誰も気づいてくれない。 それなのに、この時間というものは私はぼーっとしていても勝手に動きます。 私が望んでなどいない老いというものも勝手に進行していきます。 そして、これは私がどんなに手を尽くしたところで、決してあがなうことができません。 時間は有限だと小さい頃から親から学校の先生から聞かされ、知っていたというのに、つい最近までここまで恐怖することはありませんでした。 それを思うと、私は中学、高校時代でなんと無駄な時間を過ごしてしまったのかと後悔してしまうのです。 変な話ですが、学園物のドラマやアニメなどを見るとひどくいたたまれない気持ちになります。 私には確かにその学校の制服を着て学校へ通う。そんな時代がありました。 私がもう少し努力していれば、学校で友達と楽しく過ごす。若い時代ももっと謳歌できることができたのかもしれません。 しかし、私が努力を怠ったせいで、私はほとんど制服に袖を通すこともなく卒業を迎えるハメになってしまいました。 そして、無邪気に遊ぶ小さな子供を見ると、私はまた複雑な気持ちに襲われます。 この子達はこれからまだまだ若い時代が残っている。むしろ、若い時代にさえまだ差し掛かっていない。 そんな風に考えるとなんだかうらやましく感じられます。 私はすでに若い時代をいくらか走り抜け、私に学生服を着る機会は与えられない年齢になりました。 そして、いつの間にか、私が大学生になっていたように、二十歳になっていたように、私はそのときの私がどのような道を歩んでいたとしても、いつのまにか若い時代を終わらせる日が来るのでしょう。 そして、「若い」ということがなつかしく感じられるような年齢へとなっていき、いつしか自分が若かったということは本当に「思い出」になる日が来ることでしょう。 しかし、私は「今」を生きています。 そして、その「今」を失いたくないのです。 ですが、それができないということは私自信よく知っているのです。 だからこそ、私はこれほどまでに恐怖し苦しいと感じるのだろうと思います。 なんだかんだあっても、私は今の自分になれたことに対して言えば、悔いはありません。 確かに中学、高校時代にああしていればこうしていればという後悔はあります。 しかし、現在の自分という存在に対しては、その頃と比べればかなりましな存在だと勝手に感じています。 つらかった日々もいまの自分のためにあったんだろうと考えるといくらか気持ちも落ち着きます。 そのような感じで、私が年老いても、私はそのときの自分になったことに後悔はしないかもしれません。 むしろ、いまから勝手に遠い未来を見ているから私は怖いと思っているだけかもしれません。 このままいき続けていけば、私はこんなことも忘れてしまうのかもしれません。 このようにひどく怖いと感じたことも、「そんな日々もあった」なんてほほえましく思える日がくるかもしれません。 しかし、それらはすべて未来に対する希望に過ぎず、確実ではありません。 分かっていることは、私がこのまま生き続けていくのなら老いていくということです。 もちろん私は自殺するとかそういうつもりは一切ありませんし、何か病気を患っているわけではないので、かなりの確率でそれは実現されることでしょう。 生きていくことができるという「幸せ」とそれに反する老いという「苦しみ」がせめぎあってできるものが私が恐怖と感じている感情なのかもしれません。 そして、私はこの確実に「老いていく」という現実とどう向き合って生きていけばいいのだろうか? そのようなことを考えてしまうのです。 たまにこんなことを考える私は狂っているのではないか?と感じてしまいますが…。 長々と書いてしまいましたが、皆さんはどのようにこの現実に向き合われていますか? 答えは人それぞれ違いがあり、これといった答えは出ないと思います。 しかし、私は1人で考えるよりも、多くの方にそれを聞いてみたいと思ったのです。 だらだらと書いてしまって文章がおかしいところもあると思いますが、何卒ご勘弁ください。 よろしくお願いします。
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- strbegger-po
- ベストアンサー率48% (317/660)
(1)>>私にとっての中学、高校時代はとても平凡とは言えないほどつらい時代だったからです。 (2)>>しかし、私が努力を怠ったせいで、私はほとんど制服に袖を通すこともなく卒業を迎えるハメになってしまいました。 (3)>>時間は有限だと小さい頃から親から学校の先生から聞かされ、知っていたというのに、つい最近までここまで恐怖することはありませんでした。 ご相談者様の長文の中から気になる部分を抜粋させて頂きました。(他にも幾つかはありますが。) 現在の心境・状況といったものは勿論ご自身が持って産まれた“メンタリティー”も関係している事は歪めないとは思います。 (1)・(2)に関してはとても後悔をしておられる様に窺えます。(何がお有りだったのかは知る由もないのですが。)・・・とても残念で悲惨で、悔やまれてならないとした気持ちが伝わってきます・・・。 感受性が強く多感な年頃に『・・・一度も袖を通すこともなかった。』という事実も現在に影響を及ぼしている様に窺えますね。 (3)に関しては、こちらの勝手な評価(考え)ですが、余りにも『時間』というか“時”というものに周りが執着され過ぎていて、それを頭の中に“叩き込まれてしまった”とも解釈されます。 勿論、悪意のないのは判ります。“若い時は二度とないから今からしっかりしなさいね。”・“時間は取り戻せないのよ。”とした大人からの視線でのことだったろうと推測されます。 しかし、“スポンジ”の様に吸収力の逞しい子供にとっては逆に仇となり“恐怖心”が芽生え裏目に出てしまったとも・・・。 (悪く言えば“洗脳”ともいえますよね。失礼はお許しくださいね。) そうした“負”の“スパイラル”に未だ雁字搦めにされ、振り回されている様にもとれますよね。 ちょっと、面倒なことになっている様にも窺えますが、精神(感情)なり思考性を矯正するとした行為も必要かとも思われます。 ご自分の中で解決できるものであれば問題はないのですが、それが不可能な場合もありますよね。 脳内整理・精神面での仕分け・・・必要としないものは捨てる・必要とするものは補う・取り入れる・とされることで、“強迫観念”や“恐怖心(感)”等も薄れていく様に思われます。 そして、“自意識過剰”(?)な面もおありの様に感じられますので思い詰めることなく緩く生きることも“アリ”だともお考えくださいね。 (気に障られたらお詫び致します。)
- tomban
- ベストアンサー率26% (2616/9771)
要するにね、君は「遠視」なんだよ。 遠くはよく見える(気がする)けど、近くは見えてない。 それは未来も過去も同じね。 だからつい「前のめり」に考えようとするし、のめり込んでいこうとするんだ。 …でも、その状態は、あまりいい状態じゃないんだよね?。 君は車の運転はするかい?。 …車に乗ってる時って、どんなふうに前を見るのがベストだか知ってる?。 「真剣に前を見ること」…違う、不正解。 一番優れた前方視認の仕方はね 「ボーッ、と遠くを見ること」 なんだよね。 人間の目はね、何か気になるものが現れると「自動的に」そちらを確認するようにできてるんだ。 運転中のドライバーの眼球を「アイカメラ」で追うと、すごくランダムに素早く動き続けているのがわかる。 左に行って、すぐ中立、そして右…なんて具合だね。 真剣に先を睨みつけてると、そういう動作ができなくなっちゃうんだ。 だから視野が狭くなってしまう。 リラックスして、視点を定めないのが、一番効率的な眼球の使い方なんだね。 君の時間に対する感覚も同じだよ。 先を「注視」していることが、ベストなんじゃない。 たくさんまわりや、色々な出来事を見ていくことが、すなわち「理解」や「成長」へとつながっていく。 そしてそれには限りはない。 生き続けている限り、人は成長できるんだ。 体や脳は老化していくけど…なんというか「魂」って死なないんだなぁ…って、私は祖母から学んだよ。 人がね…人から「違う存在」になっていく、もっと自然に融合した存在になっていくのを私は目撃したから、そう信じられるんだと思うけどね。 人は、いつだって「始まり」なのさ。 「なにかへの」始まりだ。 それは信じて良い。 私の言うことは即座にはわからないと思う。 わかるためには、わかるような経験を積まなければいけないよね?。 何かをわかるということには、ちゃんと時間が要るんだ。 だからさ…これからは「喜んで」年を取らないか?。 喜ぶことが出来るならば、君はもっと明るく人生を送ることができるから。 もっとキョロキョロして生きようぜ!。
- ash_fxdash
- ベストアンサー率10% (91/856)
要は、今は「若い」ということがメリットだと思ってる ってことね。自分も若い時は、そんな風に思ってた。 でもね、年齢を重ねていくと若い頃の幼い考え方が恥ず かしいと思うようになると思うよ。 年齢に応じてどう成長するか(人間性とかセンスとか知識 とかね)じゃない?ちゃんと成長していれば、いくつに なっても魅力的な人になってるはずだよ。 なので、老うことは、デメリットばかりじゃないと思うけどね。
多分、質問者様の親ごさんに近い年齢の女性です。 これまでに何度か、危ないところで死にかけました。 質問者様の思索は、若いころに大抵の人が通る 「道」のようなものだと思います。 「いやいや、ワタシはそんなこと思わない」という人も いるかもしれません。 が、それはこれから通るか、通ったことを忘れているかのどちらかで、 老いていく、死にゆく恐ろしさが、人を人にし 人に知恵を振り絞らせ、文化と福祉をろうそくの火を継ぐように 大きく、広く育てていくのだと私は思います。 で、質問者様に言いたいことは、 「ネットで人に答えを聞くな!ひとりで考えるな!」 春です。外に出かけましょう。
- ni_si_ki
- ベストアンサー率19% (302/1586)
なるほど~ 私などは早く大人になりたい、早く一人前になりたいと思いながら10代を過ごしてきたものですから、初めて給与明細を貰った時のことは未だに忘れられません。 税金が引かれてる!これで私も一人前の社会人として認められた! その日は堂々と胸を張って家路に着いたのですよ。 人間って言うのは段階を踏んで成長していくものだと思っています。 今は昔と違い若干成長の速度が遅いようですが、概ねあなたの年頃までには自分に出来ることは何かを模索し終え、社会の中で担う自分の役割を果たす覚悟を持つものです。 しかし自己同一が出来なかった人は、自分が何者かも分らず出遅れることになります。 そうしたことから将来が不安になり、結果老いがむやみに怖く感じるのではないかと私は感じました。 老いるとは「すべてを受け入れ、すべてを認め、感謝することができること」状態だと思います。 その境地に至るためには悔いのない人生を送る必要があります。 「悔いのない人生を送ってきた」と感じた時、かけがえのない自分の人生や、それを取り巻く人々に改めて感謝することが出来るのです。 怯えるのは自分がどうなるのか分らないからです。 しかしあなたは与えられるだけの人生を歩むのでしょうか? そうではないでしょう。 人生とは自分の足で歩むものです。 自分の出来ること、社会での自分の役割。それらを果たすために努力をしたり他者と協力し合ったり。 家庭を持ち次世代の担い手を指導していく。 あなたのやるべきことは沢山あります。 老いは怖くないです。 しかし何の役割も果たさず逃げてばかりいると、老いは恐ろしく感じるものです。 後悔しませんように。
- KoalaGold
- ベストアンサー率20% (2539/12475)
人間の信じるものの中には、今の状態がしばらく続くはずだ、というのがあります。 何不自由ない生活なら、そのまま楽に行くだろうと将来の不安を感じず、若い健康な人はいくらでも夜遊びができると思い、恋愛中の人はこのまま結婚に続くと想像します。 blackaさんの心配は、今まで何もして来なかった充足感のない暮らしがこの先も続きこのまま人生を終えるのではという不安です。 じゃ、人生のハンドルを握っているのは誰なんだと思いますか。 ちょっと軌道をはずれて砂利道を走りませんか。渋滞した幹線道路の行く先は見えています。ならば田舎道を走って新鮮な空気、イノシシとの遭遇も人生を面白くしてくれますよ。 苦労と冒険の連続は老後に楽しかった思い出として残ります。 何もしない人生、ワクワクに欠けている気がします。
- yasuto07
- ベストアンサー率12% (1344/10625)
面白い、としか言えない。あなたは、どこの大学生で、何者、親は何の職業、そして、何を目指しているのですか? 大学生にもなって、文学書とか、文芸書は読まないのですか、ドフトエスキー、村上春樹、村上龍は、山川健一は。 人生って、砂時計や、ロウソクのようなもの。砂時計を見て、砂が落ち切るのを怖がっている、、、それに何の意味が。 砂時計の三分、普通はラーメンができるのを楽しみにするものです。ロウソクの明かりは、何のため、停電の間、先祖のお墓に供える、、灯籠流し、、、走馬灯、、、。人生を照らすそのろうそくの明かり、彼女との素敵なお食事の時間かもしれないし、、。 まずは、あなたが何者で、何をするために、時間が足りないのか、、、。そちらを先に考えるべきでは。 砂時計の砂を恐れる暇があったら、本を読みなさいよ、あなたの目的を探しなさいよ、あなたは両親から、愛されましたか、、。 人生は引き継ぐためにある、、。意味わかるかな、、、男なら、いずれ、仕事を持ち、家庭を持ち、子供を作り、家を立てる、そして、子供に、貴方が何をしてきて、これから、何をすべきなのか、教えて、引き継ぐのです。祖父祖母が、あなたの両親へ、そして、あなたから、子供へ、そっして、孫へ。あなたが、大成功して、ノーベル賞でも取れば、歴史に名が残る、、それを行うのが人生です、その答えはいつも風の中。アメリカのフォークシンガーは歌いました。
面白い考え方をするのですね。 女子高生が考えるような内容でもあります。 彼女たちは今しかない美しさを存分に発揮し、それをどう謳歌しようかと日々考えています。 それに似てると思いました。 老ける事に敏感になる。恐怖さえ感じる。 美に対しての執着が凄まじい。 こんな感じです。 質問者さんは「時間に抗えない老いに恐怖を感じる」という事ですから、映画で言う{前篇}しか見たくないのと似てませんか?(変な例えですみません) それ以上を受け入れたくない。 それっきり。 そんな気がします。 確かに将来の保証なんて誰にでもあるわけではありません。 皆さん苦労して働いてるわけです。 正社員になろうと必死です。 しかし、例え社員にならなくても、それでも生きていれば良いのではないですか? いつでも健康でお金がある人は、よっぽど恵まれているのです。 何かしらの不都合は、誰でももちあわせてるものですよ。 それを不幸と思うか、幸せのばねにできるかは自分次第です。 何より、あなたの原動力が必要なのです。 年を老いることは素敵だと思います。 その人にしかない魅力がでてくるから。 貫禄のあるひとになるか、 頑固な人になるのか、 人次第です。 どのように生きようが、自由でいいのです。 誰も責めませんし、できる事、できない事があって当然です。 そこを責めても仕方ないでしょう? それなら、後は自分を受け入れるだけですよ。
- siaohei
- ベストアンサー率26% (14/52)
君くらいの年の頃の僕は、バカで貧乏で世間知らずで、 その上、人に言わせると、欲望だけは人一倍強くて、目をギラギラさせた嫌なガキだったようです。 そういう事を自分でもわかっていたんでしょうね。 その頃の僕は、一刻も早く、一人前の立派な落ち着いた大人になりたかったもんです。 今考えれば、当時は若いってだけで女にもモテましたし、有り余る体力で面白可笑しく遊びまくっていました。 けれど、そういう生活で良しと思ったことは無かったですね。 無意識に常に前を向いていました。 どうやって身を立てるのか? そればかり考えていました。 で、50に近くなった今はというと、 やっぱり、前を向いていますね。 あと十数年もすれば引退ですから、そしたらアレやりたい、コレやりたいって、 毎日、女房と晩飯食いながら計画を練っているのですが、 自分一人の時には、それを実現するために、この一年をどうするか…って事ばかり考えています。 子供の頃の僕は、 とてもノホホンとした子だったと思います。 それが、ピンクフロイドの「タイム」という曲を聞いてから変わりました。 Tired of lying in the sunshine Staying home to watch the rain You are young and life is long And there is time to kill today And then one day You find ten years have got behind you No one told you when to run you missed the starting gun 日だまりの中で寝そべる事に飽きて 家にいて中から雨を眺めてる 若いおまえにとって人生は長く 一日を無駄にしても時間は有り余る だが ある日 10年が過ぎ去っている事に気付く いつ走り出せばいいのか誰も教えてはくれない お前はスタートの合図を聞き逃した。 質問文を読む限り、あなたも分かっていることでしょう。
- dantecobalt
- ベストアンサー率12% (1/8)
少々独特だと感じました。というのは「死」ではなく「老い」を恐れてらっしゃるからです。 この場合、後悔等が問題になるのかと思いますが、その正体が今一つ掴めません。 “それ”が出来る可能性があったにも関わらず、「老い」によって可能性が失われていく事を恐れてらっしゃるような感じなのでしょうか。“それ”が何なのか…例えば青春…?なのでしょうか。今一つ分かりません。 「死」を恐れる場合、多分ですが可能性の消失という恐れ方はしないだろうと思います。どちらかと言うと自己の消滅でしょうか。 老いから人生を計算した人生計画、設計の可能性の消失、も考えられそうですが正解という気もあまりしません。 幼い頃の、老いに対する漠然としたネガティブなイメージに何か心当たりはありませんか。 それか時間そのものに対する嫌悪感とか。 未来に対する漠然とした恐れとか。 範囲が広く、どこにスポットを当てて良いのか迷ってしまっています。つまりどの部分に回答するべきなのかで躊躇ってしまいます。 ですので絞って頂けると助かります。 自分でそういった部分を見詰めるというのは傷口を開くのも同然で苦しい事かもしれませんが、そうしなければいつまで経っても傷口を癒す事が出来ない時もあります。 因みにですが自分の場合、どんなに年老いてもやりたいことをやろうとするでしょうし、やりたいことをやれるならそれで良い、と考えます。勿論老いによってやりたいことをやれる可能性も狭まりますが、自分にとってはやりたいことをやれるかどうか、そこに手が及ぶかどうかが大切なのではなく、やりたいことに手を伸ばす事が大切なのです。