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最近の秋葉原

40代です。今日久しぶりに秋葉原に行きました。その変貌ぶりにはびっくり!まず、電子部品を売っているお店が結構店じまいしていました。別にラジオ少年ではなかったですが、結構部品を買いに来てまして、怖そうなおじさんに色々部品のこと聞いたりしてました。うーん、おやじかな?それと、裏の道路で怪しげなものを売っている人間?、「あれ系」というか「同人誌」とやらの少女系の店が増えていました。おい、ここはどこだ?歌舞伎町か?と。皆さんどうお考えですか?「その他」ということで投稿しました。

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  • Mitz
  • ベストアンサー率65% (2863/4366)
回答No.3

まさに、「ここはどこ?」みたいな変貌ぶりですね。 オタク、マニア向けの萌え美少女キャラを扱ってる店がどんどん増えて来てます。 何らかの店が閉店したら、後には必ずその手の店が入る、みたいになってます。 それ系の人目当てなのか、コスプレ喫茶も続々開店してたりしますし。 http://www.mailish.jp/ http://www.cos-cha.com/ 萌えロ○街に変貌しつつありますね。 PCショップはこの所勢いが無く、閉店、統合が相次いでいます。 表現的には、「ロ○(萌え)版電脳系歌舞伎町」ってとこだろうか。 昔、電気部品街→電気街(家電)。 家電と並行してオーディオマニア向け店舗がメインであったのが、パソコン登場により、パソコン街へと変貌。 パソコンマニアは結構オタク系が多いのだと思う。 それ系の人は、高性能PCを買って何をするのかと言えば、美少女ゲームとか、萌え系美少女のイラスト作成とか、DVD鑑賞(萌え系アニメとか)だったりしますので、PCマニア=萌え系と言う図式も当てはまり、その手の人向けの店舗を展開してみたらやはり商売繁盛であった。 「ならばうちも出店せねば」となり、その手の店も増えているのでしょうね。 昔の雰囲気が懐かしいです。

その他の回答 (4)

  • yasuti
  • ベストアンサー率36% (136/374)
回答No.5

何かのサイトで秋葉原は10年周期で変わるということが書いてありました。 ラジオからパソコン、そしてアニメへと変わっているようです。 パソコンショップも今たくさんつぶれています。 大変なようですよ。土地代が高くそして安売りしてしまうぶん儲けも少なくワリに合わない商売だそうです。 今はアニメへと移行している状態のようです。 あと風俗店も増えてますね。 昭和通りに個室ビデオ屋さんがあるかと思えば こないだ電気街の方にもできたようで、 アキバのノリの歌舞伎町みたいな感じになるかもしれませんね。 某巨大カメラ店(電器店?)がアキバに進出するようですが、どのような影響があるのか少し興味のあるところです。 変わらないのは人がたくさんいて活気のある街であるということですね。

  • denden_kei
  • ベストアンサー率23% (542/2278)
回答No.4

秋葉原はせいぜい10年ぐらいの範囲でしか知りませんが、確かに表通りを中心に変わってきましたね。 ただ、電子部品に関しては、秋月電子and千石電商のゴールデンコンビは健在です(もっと専門的な店に関しては不明ですが...)。 そこらのPCショップよりずっと混雑しています。 個人的には、数年前に千石電商に2Fができて、1Fの混雑がだいぶ緩和されたのはうれしい所です。 時代につれて変貌していくところが、時代の先端をいく秋葉原らしいところという気もします。

  • hitoshit
  • ベストアンサー率33% (79/237)
回答No.2

秋葉原まで自転車で40分の、40代です。(^^ゞ 電子部品のお店、確かにラジオデパートと呼ぶ所位しか、なかなか見かけられなくなってしまいましたね。 「同人誌」とか、ゲーム系などのお店も増えてきました。 ただ、このお店系統は、6~7年前にも昭和通り寄りには存在していました。 「時代の流れ」と言ってしまえば、その通りなのですが、やっぱり多少は時代の流れも感じます。 年代のせいもありますが、バルクメモリなどを買いに良く場合 「この人、本当に着けられるかな?」という目で見られる場合があります(笑) 最近、「禁煙区域」になった事もありますが、 私などはこの頃、まずインターネットで下調べをして、「必要な物をリストアップ」し、 直接お店に直行する場合が多くなりました。 ※その方が直接お店を見つけることも出来ますし、「時代の流れ」を感じる時間が少なくて済むかも(~_~;)

bunoka
質問者

お礼

色々あってレス出来ませんでした。済みません。今頃のレスですみませんが、皆さん同じくらいの世代かな?考えていることはことはほぼ同じでした。

  • Pesuko
  • ベストアンサー率30% (2017/6702)
回答No.1

大阪の同年代のラジオ少年です。 大阪日本橋も同じようにフィギア・ガチャポンに占領されつつあります。 1)ラジオの単価が極端に安くなりました。 100均でも買うことが可能なラジオをあえて作る必要が無いからです。 昔は作った方が安かったのです。 2)部品が1チップ化されてきた。 殆どの部品が1チップ化されてきまして、昔のラジオパーツは入手が困難になりつつあります。 また1チップに伴い勉強して自分で作るというレベルが極端に高くなり、基本原理を学ぶ事も難しいです。 3)昔はラジオを作る程度でしたが、いま作るといえばパソコンです、ですからパソコンのパーツ屋はそれなりにあると思います。 4)やはり商売です、売れるものにシフトしていきます。 特に土地単価が高い地域なので販売量の多い商品にどんどん置換していかないと生き残り出来ません。 以上の理由からラジオ少年・手作りおっさんが激減し、現在良く売れる怪しいおもちゃとパソコンの部品屋に転換していった結果が今の秋葉原・日本橋だと思います。

bunoka
質問者

お礼

Pesukoさん、早速ご回答ありがとうございました。 確かに商売ですから仕方ないですね。でも、結構見せ閉めているのは後継者がいないのかな?なんて思いました。もしかしたら同じかもしれませんが、中学校の頃アマチュア無線をしていて(自作派ではありません)、ちょぼちょぼ作っていたので、時代の変化かな?と思いました。そのくせ、PCは自作しません。不器用だと判っているので(苦笑)。 それでは失礼します。

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