※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:生きがいの見つけ方を教えてください)
生きがいの見つけ方
このQ&Aのポイント
将来に迷いを感じる医療系学生が、生きがいを見つける方法について相談しています。
ネットでのコミュニケーションが居場所と感じる彼女が、友達や恋人との関係についても悩んでいます。
将来の結婚や子どもについての希望がなく、親を喜ばせることを生きる動機としている彼女が、生きがいを見つける方法を求めています。
私は某国立大学の医療系6年制学部に通う4年生です。
特に動機もなく医療系学部に来てしまったせいか、将来何がしたいのかわかりません。
将来は月に10万円くらいお金が稼げたらいいな、という微妙なモチベーションでありながら、同学年の人たちが何人も留年や休学をしている中、今のところ何事もなく学生生活を送っています。
大学では、同じ学部には1人も信用できる友達はいないし(一応クラスでは毎日みんなと会話しているし、いつも一緒に授業を受けている友達もいるので、一匹狼とか浮いているってことはないですが)、尊敬できる先生や先輩などは誰もいません。部活にも入っていないので、後輩もいません。
普段は毎日ネットで知り合った友達とTwitterやSkypeで絡んでいます。なので、友達はほぼ全員顔も知らない人です。
でも、ネットしか自分が素直になれる場所はないので、ネットで知り合った人は本当に大事だし、そこがわたしの唯一の居場所です。
いまの恋人はネットで知り合いましたが、親が昔気質な性格なので、その人と将来結婚するとか、そういうことは多分ないでしょう。また、自分は結婚するまでは深い関係になるつもりは毛頭ないので、今の恋人ともそのうち終わる気がします。(付き合ってる間からそんなことを考えている自分は、相手に対して失礼だと思うし、そんな自分を軽蔑してますが、それは今回の本題ではないので、また別の機会に。)きっと誰かを本気で愛したこともないんだと思います。精神的な寂しさを埋めてくれる相手が欲しいだけなのかもしれません。だからいつも恋人1人に依存しきって、重いって言われてふられるのを繰り返してるんでしょうね(笑)
将来結婚したいのかと言われれば、女に生まれたんだから、一度もウエディングドレスを着ずに死ぬのはもったいないかなーという程度で、それ以上の結婚願望は特にありません。
また自分は昔癌になり生殖機能がないので、こどもも産めないし、結婚自体難しいでしょう。
同級生や幼馴染の何人かは、既に結婚して子供をうんで、幸せな家庭を築いていますが、子どもを持たないことが初めから分かっている自分は、結婚する理由も別に見つからないです。
自分がなぜいま生きているかと言ったら、ひとりっ子だからだと思います。
まだ両親とも健在なので、親を看取るまでは死ねないなーと思います。
大学の勉強を頑張っているのは、親を喜ばせたいからです。
親に心配かけないように、親が生きている間は、それなりにちゃんと生きれそうです。
けれど、「親がいなくなったらいつ死んでもいいな」って毎日のように考えている自分は、自分なりの“生きる動機”を持っていないので、親が死んだあとどうなるんだろう、と思っています。
生きていても、そんなに楽しいことはないので(食べることが一番好きです)、希望としては40歳くらいまで生きれたら十分かな、と思っています。あと、20年弱ですね。
よく、「生きたいのに生きられない人がいる」と言われますが、それは承知しています。
私自身、癌で、生死をさまよい、見知らぬ方からの善意で移植を受け、何とか救ってもらいました。
なので、いただいた命なのだから、その命を有効に使わないといけない、だから親が死んでも、そのあと自殺とかはしちゃいけないなと思っています。
なので・・・
その命を有効に、前向きに使う方法が知りたいのです。
今の自分は、将来の自分の人生に生きがいがあるとは到底思えません。
稚拙な文章ですみません。
お礼
2度目のご回答ありがとうございます。 お礼が遅くなり失礼しました。 私の心にある1つ1つの問題に、的確なアドバイスをありがとうございます。拝読しながら、なるほどそうかも知れない、ととても考えさせられました。 「まだ失ったものの方が気になっているから、生き抜いたこと&生死を背負った身で医療の職業人として立つという、天から与えられた役目に気付いていないだけに思えます。」という文章を読んで、一つ大切なことを思い出しました。 それは、私が病気をしたことで、失ったものも沢山ある一方で、得たものもあったということです(命を失わなかった今だから言えることだとは思いますが)。 辛い経験をしたことで、苦しんでいる人や辛い思いをしている人の気持ちに近づくことができるようになったと思います。 その病気を完治して間もない頃は、“私と同じ病気で苦しむ小児患者の命を救いたい”と小児科医を目指していた時期もありました。私なら、自分自身が経験した抗癌剤治療や放射線治療の苦しみを、誰よりもわかってあげられると思ったからです。 実際に自分が患者に癌だと宣告し、自ら実体験済みの厳しい治療を患者に対してすることができるかと自問自答したとき、それが辛すぎてできないかもしれないという不安、そして医師になるということは私の健康の問題上自殺行為に値するということを考慮し、現在は別の医療者の道を歩んでいますが、未だに自分が過ごした小児病棟の患者さんたちの姿が脳裏に焼きついて、彼らの元に輸血用血液を届けたいという一心から、献血推進のボランティア活動をしているのもそのせいでしょうか。 過去の辛い経験があってこそ、今の自分があるのだと思います。辛い経験のせいにして人生を悲観的に考えることもできますが、やはりそこが私の原点であって、それをプラスに変える力が必要なのだろうと思います。 幸せの形は人それぞれ違うということも知っていたはずなのに、周りに左右されて、自分の価値観を見失って動揺していたのかもしれません。 振り返れば、自ずとすべきことが見えてくるような気がします。生きがいは見つけられそうです。 大切なことに気づかせてくださってありがとうございました。