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ダウンタウンの大阪ローカル時代の人気の状況
- 大阪ローカル時代の人気の状況について
- ダウンタウンのTV番組「4時ですよーだ」の凄まじい人気
- 大阪ローカル時代のダウンタウン2人の人気の凄さ
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質問者が選んだベストアンサー
当時は私も小学生でしたので、大人の間でダウンタウンがどれほどの人気かは 分からないのですが、あくまで私の小学生時代の話です。 当時は、私の学年も、ひとつ上の兄の学年も 家に帰って「4時ですよ~だ」を観るのが主流でした。 もちろん子供ですので、あまりそういう笑いに興味が無い子や 習い事で忙しい子は観て無かったですけれど。 ただ、ひとつの夕方の番組をあれほど観たことはなかったですし 毎回、本気で大笑いしていた記憶がありますので 大人の間でも大人気だったのではないでしょうか。 もちろん、吉本は他にもすごい芸人さんはいますし 看板番組も多かったですが、 ダウンタウンの人気がすさまじかったというよりは、 インパクトが大きかったと言った方がいいかもしれません。 ダウンタウンの笑いは、本当に今までの芸人さんとは違う感じでした。 ちなみに、ダウンタウンが4時ですよ~だを卒業して東京進出となった時に さよならライブ的な番組をやっていて 浜田さんが泣きながら歌を真面目に歌ったり それに対して観客席の女性らから悲鳴に近い声があがり みなさん号泣してはったので、そういう黄色い声援も多かったように思います。 当時はよく友達の間で 「松ちゃん派?浜ちゃん派?」とかよく聞いたり聞かれたりしましたし 彼らの人気はやっぱりすごかったんじゃないでしょうか。
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- osiete-poo3
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私が小学生の頃でした。 「4時ですよ~だ」は爆発的な人気番組でした。 (みんなは「4時です」と呼んでいました) 当時「4時です」に出演していた芸人は全員売れたんじゃないでしょうか? それだけ視聴率が良かったと言うことです。 「4時です」の人気の秘密… 後から松ちゃんが本で書いています。 松ちゃんは凄く貧乏な家庭で育ち、オモチャなんかは買って貰えなかったそうです。 周りの子供はミニカーやブロックなどを買って貰っているなか、 松ちゃんはミニカーやブロックを作ることからスタートが当たり前だったそうです。 つまり0から造り出すことにおいて、天才だったのです。 それがダウンタウンの斬新な漫才であり、「4時です」の様な今までになかった若手だけの番組ができたのだと思います。 ダウンタウンの漫才と言うのは余り見られたことはないと思います。 当時、天才「松本人志」のボケは大爆笑でしたよ。 それにツッコミを入れる「浜田雅功」も間の取り方と勢いが凄く良かったです。 当時の漫才師と言うのは… 必ず弟子入りし、師匠の元で勉強させてもらい、デビューするのが当たり前でした。 しかしダウンタウンは師匠を持たずして人気を独占し、新人賞を獲得。 大御所の漫才師には相当嫌われていたそうです。 少し後、東京進出後に「紳助・竜介」がダウンタウンに負けたと、 引退した有名な話もありますね。 質問者様が仰られているように、今はメジャーになりすぎた感は確かにあります。 東京進出後10年が一番おもしろかったんじゃないでしょうか。 今でもやれば絶対おもしろいはずなんですが… レギュラーの数が多すぎるし、歳も歳だし、疲れるんでしょうね(笑)
お礼
回答ありがとうございました。
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