• 締切済み

発達障害?

少し長くなるかもしれません。  子供のころに頭を打ったことがあります。それは、頭蓋骨を陥没骨折するほど強い打ち方でした。そしてその影響で発達障害かなにかが、自分にあるのではないかと疑い、病院へ行きました。それまでも、対人関係をうまく築くことができないなど、そういったことで悩んでいたからです。  私がはじめに行った病院では、発達障害があるかもしれないと言われました。しかし、頭を打ったことが影響しているかどうかは検査してみないとわからないとも言われ、その病院は小さなところで、検査に必要な設備が整っていなかったので、私は大きな大学病院に移されました。  その大学病院では、検査をしてもらえないどころか、まともに話を聞いてもらうことさえできませんでした。IQ検査のようなものを受けて、その結果、一つだけ平均を下回る数値の項目が見つかりました。いまではそれがどういった項目だったのか、覚えていません。それはいまから二年半ほど前のことだからです。ちなみに私は現在27歳です。性別は男です。  大学病院の医師の話によると、その平均を下回った項目と他の正常な項目とのギャップで、自分に自信を無くすような結果につながり、そのせいで積極的に対人関係を築くことができなくなっているのではないか、ということでした。そして、あとは自分に自信を持つことができるようになれば大丈夫だと、言っていました。頭の検査はしてもらえないまま終わってしまいました。  その医師は、近ごろ発達障害というものが流行っていて、そういった相談で病院に来る人が多くいると言っていました。なのでおそらく、私もそういった人たちの一人だと思われたのでしょう。私は流行っているから病院に行ったわけではありません。そもそも流行っているなんていうことさえしりませんでした。そのときはじめは、自分が間違っていて、医師のほうが正しいのかと思っていましたが、いま思い出すと、やはり納得できません。  もう一度、病院へ行ってみようかと思っているのですが、また同じ結果になるのではないかという不安があり、決心ができずにいます。  自分で自覚している、発達障害(?)の症状としては以下の通りです。  ・人との関係が苦手  たとえば、人の感情が理解できない。話の流れで人がどういった感情を抱くのかは理解できます。友人が亡くなって悲しくなる、など。しかし、(たとえ自分がその感情を経験したことあったとしても)その感情に共感ができなかったり、感情移入したりすることができません。  それから、他人と自分との距離をうまくはかることができないというか、他人が自分にとって何なのか、また逆に、自分が他人にとって何なのか、がわかりません。これも、相手の社会的な立場(職場の上司など)と、自分の社会的な立場(その上司の部下など)を考えれば、少なくともそういった文脈においては理解できます。しかし、そういった関係がなかり空虚なものに感じられます。おかしな話になってしまいますが、そこには誰もいないように感じられるのです。自分の姿も相手の姿も見出すことができないのです。  ・関心の幅が狭い  たとえば、私は文学に関心があります。しかし文学全般にではなく、詩にしか関心がないのです。しかも詩といっても、哲学的なテーマで書かれたものにだけです。かといって、哲学に特別な関心があるわけではありません。絵画を見るのも好きなのですが、それも詩と同じような関心の持ち方です。  ・本を読むのが苦手  これは発達障害とは関係のないことかもしれません。私が頭を打った時、頭部の左側を打ちました。言葉や抽象的な思考は、左脳によって処理されるということを聞いたことがあるので、そのせいなのかもしれないのですが、とにかく、長い文章を読むことができません。読むことができないというより、読んでもその内容を体系的に理解することができません。読んだ後、頭の中には、断片的な内容がいくつか残っているだけです。いま、学芸員の資格を取るために、大学の通信講座を受けようかと検討しているのですが、それもためらっています。こんなことでは、学問を身につけることはできないだろう、と。  ちなみに私は高校卒業後に大学へ行きました。法政大学の法学部に一般入試で入学したので、それ相応の学力はあると思うのですが、結局、講義についていけずに退学しています。  ・言葉を発するのに苦労する  これは、本を読むのが苦手というのと同じかもしれません。何か言いたいことがあっても、それを言葉にするのに時間がかかったり、まったくできなかったりします。たとえ言葉が見つかっても、それを実際に口に出そうとするとうまくいかなかったりします。なんとなく、つっかえてしまうのです。それで人とのコミュニケーションが余計うまくいかなくなっているのだろう、と思います。  また、話すときにはかならず、文法に意識を向けていなければなりません。主語はこれ、その主語につく助詞はこれ、など。そうでなければ、言葉が崩壊していき、何も言うことができなくなります。書くときにも同じです。  自分が話すときは、言葉探しに精一杯になってしまい、相手の目を見て話すことができなかったり、相手の話を聞くときには、その相手の言葉を拾うことに精一杯になってしまい、その場合も相手の目を見ながら聞くことがほとんどできません。自分が一度にたくさん話すことはできないですし、相手にたくさん話されると、内容が理解できません。  あと、物音に敏感など、アスペルガー症候群に特徴的だと言われているような、細かいものはありますが、主だったものは以上です。  それから、これは鬱などにあたるものかもしれませんが、被害妄想や罪悪感があります。それはおそらく、私は自分が周囲から大切にされているだとか、愛されているなどと感じたことがないので、そういうところから来るものだろうと思っています。あまりこういう場に書くことではないかもしれませんが、自殺願望もあります。願望というか、義務感に近いものです。周囲の人たちから、自殺を迫られているように感じるのです。おそらく被害妄想などが、そういった形をとってあらわれているのでしょう。  だいぶ長くなってしまったと思いますが、ここまで読んでくださって、ありがとうございます。以上の内容から、私はまた、病院へ行ってみたほうがいいでしょうか? 行くとしても、さきほど書いた「またまともに診断してもらえないのではないか」という不安があるので、その点についても、なにか助言をいただければと思っています。  よろしくお願い致します。

みんなの回答

  • key00001
  • ベストアンサー率34% (2878/8340)
回答No.2

発達障害かどうかは、余り気にする必要はないですよ。 脳疾患や精神疾患は、いずれも要は脳の病気であって、言葉は悪いですが、症状が重ければ重いほど「頭が悪い」「頭がおかしい」わけです。 その結果、自分の疾患や症状に対する、自覚も減少します。 極論すれば、最重度の脳障害に至れば、植物人間などになるワケですが、そうなると、自分が生きて居るかどうかさえ、自覚は出来ません。 発達障害や鬱病でも同様で、重度であればあるほど、自分が鬱病であると自覚が出来ないのです。 一方、質問者さんの様に、極めて明確な自覚症状が多々あれば、仮に発達障害であるとしても、かなり軽度で、「社会生活に支障をきたす」と言うレベルはあり得ません。 また、それだけ症状が明確であれば、治療や対症療法も可能だし、いわゆる「苦手」と同じで、自助努力や訓練によって「克服すべき明確な課題」です。 もし病気であると診断されたいのであれば、いくらでも病気になれますよ。 たとえば診療内科で「ウツだ」と言い続けたら、それなりの診断書は書いてくれるし、更に言い続けたら、ホントの鬱病になれるでしょう。 ご質問文からでも、「心気症やミュンヒハウゼン症候群などの疑いがある」なんてコトも言えます。 ただ、そんなコトを言い出せば、殆どの人間は病気になるし、そもそも病気でありたいなどと思うことが最大の病気です。 逆に「たとえ発達障害であっても、それを克服し、社会で活躍する!」と考え実践すれば、健常者以上に活躍出来ます。

noname#177526
質問者

お礼

お返事をくださって、ありがとうございます。 すこし悲観的に考えすぎていたのかもしれません。 もっと軽く考えるようにして、これからは前向きな気持ちを保てればと、思います。 ありがとうございました。

  • 9875548
  • ベストアンサー率13% (20/148)
回答No.1

残念ながら投稿内容だけでは、判断は無理です。 あなたの状況を、きちんと説明・代弁できる 家族と一緒に福祉課や保健所へ相談し 専門医の診察を受けましょう。

noname#177526
質問者

お礼

お言葉ですが、私に発達障害があるかどうかを判断していただこうとして、質問したわけではありません。 なので、あなたのお返事は答えとしては、すこし違うような気がします。 ですが、お返事を下さってありがとうございます。