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ああ無情

人生って生きている価値があるのかな?なんてふと思い質問させて頂きます。努力しても神に祈ってもなにをしても報われる気がしません。 一生懸命努力していた人も、人の為に頑張っていた人も、毎日神・仏に祈っていた人も、一般的にいう悪人も、善人も、津波に飲まれ亡くなってしまう人はいるし、トンネルを走っていたら天井が落ちてきて死んでしまう人はいる。運命・天命は決まっているなかな? 私はもう疲れました! 皆様は自分の人生についてどう考え向きあっていますか?

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  • MOMON12345
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回答No.2

人間の死亡率は100%ですから、遅かれ早かれいずれは死にます。 つまり、死ぬ事を前提に生きているわけです。 あとは、その限られた時間をどのように使うかですね。 それを考えて、いや、その考えに従う為に余命を過ごしている、みたいなものでしょうか。

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noname#183245
noname#183245
回答No.5

天運と地運というのがあります。 つまり、変えられることと変えられないことがあります。 変えられることにはとことん向き合います。 変えられないことには一切執着をもちません。 そう考えるためには、 まぁなるようになるさといきあたりばったりに生きることです。 あとは、たくさん動くことですね。 じーっとしてるから、いろいろ考えてしまうのです。 たくさん歩いたらどうですか。

  • yuumin28
  • ベストアンサー率36% (23/63)
回答No.4

私は医療関係に携わる人間です。 こんなに素敵な人なのに早くに亡くなってしまうんだ…あるいは、こんなに横暴で自分勝手な人でも長生きできるんだ、と思う時があります。はっきり言って「良い行いをすれば報われる、良い運命になる」という定義はないと思います。悲しいですが、何らかの不可抗力の運命に振り回されるしかないようですね。 でも、生きたくても生きられない方や病気や事故で毎日辛いくらい体の不自由がある方をたくさん見てきている私としては、大きな病気もなく健康な体をお持ちの方が死にたい、死んでもいいと思う事はとても勿体ないなと思います。 モチベーションや努力次第でいくらでも幸せと思えると思うからです。 仮にあと寿命が一年だとしても「あと一年しかない。」と毎日泣いて過ごしても、「あと一年ならやりたい事やれるだけやってやる!」と毎日興味があることや楽しいことに没頭して過ごしても、同じ一年です。 現状で、社会生活もあるし好き勝手楽しいことばかりできないよ…と思われるかもしれませんが、1日一つは自分の為になったり嬉しくなることを小さな事でも取り入れたり、たまには息抜きや自分を甘やかして幸せを感じてほしいです。 本当に死にそうな方はそんな事も自分の意志ではできませんから。 遊んだり楽しめる余地のある自分を幸せだな、と感じて欲しいです。

回答No.3

津波で無くなった方も、天井崩落で無くなった方も、最期は悲惨ですが人生が不幸だったとは限りません。 病気、寝たきり生活・・・幸福な死に方ってなかなか難しいですよ。縁側でひなたぼっこしてると思ってたらいつの間にかぽっくり逝ってるのを家族が発見なんてのが理想ですが、そんな死に方できるのは稀のようです。 人生の最期に焦点を当ててしまうとおかしな事になります。良いときもあれば悪いときもあるのが人生。 ずーっといい事が無いというなら、また話は変わってきますが。 私が数年前、仕事が激減して生きるのが苦しかった時、救ってくれたのは訪問してきたエホバの証人でした。前置きしておきますがその教義に救われたのではありません。大ざっぱに彼らの教義を説明すると、人間の努力なんかほとんど意味ない、サタンをはじめとするこの世の悪、苦しみを滅ぼすエホバの実力行使・アルマゲドンが近いうちにあるので、その後のエホバの治世で永遠に生きるために、エホバを信じてエホバに愛される生き方をしなさいってことで、生きる希望を失ってる自分はその世界観に共鳴してしまいそうだけど、なぜかものすごく反発して、「理想の世界は人間がつくるんだ」「世界は少しずつ良くなっている」なんて反論している自分に驚き、まだまだ気力があったんだと気づきました。 本当に自分の人生や現世に幻滅しているなら、エホバの証人おすすめですよ。皆優しい人たちだし。 反発してコチラに戻ってくることを祈りますが。

noname#196134
noname#196134
回答No.1

なるようにしかならない・・・と考えてます。