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中高生同士のSEXについて
中高生同士のSEXについて意見を聞かせて下さい。 双方ともに中高校生のカップルのどちらかの親であるという想定で娘、息子とどう向き合うか意見を聞きたいです。 尚、大きく分けて意見は以下の5つに分類されるものと想定しています。 1.絶対に行うなと言う 2.避妊に関する知識を教え、行っても良いが避妊に気をつけるように言う 3.危険性と避妊の知識を教え、どうするかは本人に任せる 4.何もしない 5.その他 おそらく1と2、3が多いと思いますのでそれぞれの側からの予想される意見と予想される反論を予め以下に書いておきます。 ●1側の意見 ◆大前提 完全な避妊方法は存在しない。(どれだけ気をつけていても危険性が0になる訳ではない) □娘側の親 ・妊娠したら大変なことになる。(子育ては大変である。中絶することになれば大きく傷つくことになる。etc) ・相手に逃げられる可能性が高い。 ・母親として子供を育てていくのは難しい。 ・自分の親に悪い。 □息子側の親 ・相手を大切にするべきである。 ・妊娠させたら大変なことになる。(妻子を養うために働くのは大変である。etc) ・妻子を養っていくのは難しい。 ・相手の親に悪い。 □両方の親共通 ・法律上は判断力が不十分とされている。 ・当事者同士では子供を育てて行くことができない。 ・何かあったら親に迷惑がかかる。(自分で責任を取れない) ・親に養われている身である。 ●2、3側の意見(1側の意見への反論) ◆大前提 完全な避妊方法は存在しない。(どれだけ気をつけていても危険性が0になる訳ではない) ⇒キチンと気をつけているのであれば、世の中全体を通して考えたとき、その危険性はあまり意味のあるものではない。 どの道世の中は危険に満ちている。(交通事故、火災、病気、etc) □娘側の親 ・妊娠したら大変なことになる。(子育ては大変である。中絶することになれば大きく傷つくことになる。etc) ⇒本人がそれでいいのであれば、親が口を出すことではない。 ⇒そもそも、これは特に意味のある事ではない。 どのような状況においても、妊娠して大変な目に遭う可能性は0ではない。(大人になろうが、結婚していようが、理由は様々だが、そうなる時はどの道そうなる。) そうでなくても、どの道世の中は危険に満ちている。(前述) ・相手に逃げられる可能性が高い。 ⇒本人がそれでいいのであれば、親が口を出すことではない。 ⇒そもそも、これは特に意味のある事ではない。 どのような状況においても、相手に逃げられる可能性は0ではない。(前述) ・母親として子供を育てていくのは難しい。 ⇒これは特に意味のある事ではない。 どのような状況においても、子供を育てられない可能性は0ではない。(前述) ・自分の親に悪い。 ⇒本人の裁量である。(親には悪いが自分の体をどうしようと本人の勝手である。) □息子側の親 ・相手を大切にするべきである。 ⇒相手本人がそれを望まないのであれば、大きなお世話である。 ・妊娠させたら大変なことになる。(妻子を養うために働くのは大変である。etc) ⇒本人がそれでいいのであれば、親が口を出すことではない。 ⇒そもそも、これは特に意味のある事ではない。 どの道世の中は危険に満ちている。(前述) ・妻子を養っていくのは難しい。 ⇒当事者同士がそれで納得し合っているのであれば、親が口を出すことではない。 ・相手の親に悪い。 ⇒優先権は相手本人にある。(親には悪いが当事者同士の勝手である) □両方の親共通 ・法律上は判断力が不十分とされている。 ⇒親がキチンと知識を与えれば十分に判断は可能である。 ⇒今の子供たちは難しい判断を行うことにも慣れている。(進路、いじめ、etc) ・当事者同士では子供を育てて行くことができない。 ⇒当事者同士の問題であり、親が口を出すことではない。 そもそも、これは特に意味のある事ではない。 どのような状況においても、子供を育てられなくなる可能性は0ではない。(前述) ・何かあったら親に迷惑がかかる。(自分で責任を取れない) ⇒これは特に意味のある事ではない。 どの道全てにおいて同じ事である。(自転車で人を跳ねたとしても親には迷惑がかかる) ・親に養われている身である。 ⇒本人たちの裁量である。 ◆後述 親の考え方に無理矢理子供に当てはめようとしても、そうそう上手くは行かない。 交通事故の恐ろしさをどれだけ教えた所で道路を歩くことを止める者はいない。 気をつけて行えと言うあたりが現実的である。 隠れて避妊に気をつけずに行われる位であれば、堂々と気をつけて行ってもらった方がいい。 (キチンと気をつけているのであればその危険性は無意味なものだが、気をつけずに行われると危険性が意味のあるものになる) 1側の意見は主として妊娠の危険性(責任が取れないから行うな) 2、3側の意見(1側への反論)はその危険性があってもどの道世の中が危険に満ちている事(責任が取れないことにあまり意味がない)と、親の考え方を子供に当てはめようとしても上手くいかない事 が中心だと思っています。 それぞれ自分の立場と自分の意見を述べて下さい。
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- yonesuke35
- ベストアンサー率11% (609/5531)
> 双方ともに中高校生のカップルのどちらかの親であるという想定で娘、息子とどう向き合うか意見を聞きたいです。 男18歳、女16歳になってから婚姻届を出してからしなさいと言いますね。 それ以降は他人で相続以外に親子関係はありませんから生きるも死ぬも自己責任です。
- suzuko
- ベストアンサー率38% (1112/2922)
親の意見が「妊娠」だけを問題にする、非常に狭い意見に思えるのですが。 親が「中高生同士のSEX」を嫌がるのは、それだけではないでしょう。 人によっては「貞操観念」や「性交渉における精神性」も問題にするのでは? ですので、反論の「どの道世の中は危険に満ちている。(交通事故、火災、病気、etc)」は「議論をしません」と言っているだけで、反論にもなっていないと思えます。 「車の多い道路で遊ぶのは危険」と教える事と「外の世界は危険だから家で遊べ」と命じることとは違うように。 また、親の「性」への捕らえ方を伝えるのは、親の「生き方」「家族の形」を伝えることになりますので、単なる学校での「性教育」では伝えられないとも思います。 そして、10代の女性の「性交渉」が「快楽」に直結するとは経験上、思えません。 どちらかと言うと、その後の「セックスレス」に繋がっているようには感じています。
この情報化社会の時代に、親からわざわざ性教育 されなければ知識も得られない中高生って恥ずか しくないのかね。 小学校の高学年にもなれば、リスクが何なのかは、 数学の証明を解くように考えなくても分かるだろ。
- okei-santa
- ベストアンサー率20% (3/15)
男18歳、女16歳、両方とも満たしていなければ1 両方とも満たしているなら2 10代で妊娠&結婚して幸せな家庭を築いた人もいます その逆ももちろんいます なので、若いからダメとは一概には言いきれません うちの子供には、付き合う人ができたら必ず家に連れてこさせます(小3なのでまだまだ先ですが^^; 連れてきたら、お互いにどこが好きなのかを聞くかなぁ 仮に妊娠とか聞いた時には必ずうちの子を凹ります 産むか中絶するかは別として、妊娠という現実は相手の親にも会って伝えないといけないだろうし、その場でも凹ります そうでもしないと示しがつかないし、当の本人にも事の重大さを自覚させないといけないので
暇な童貞君がこういう作文を作るんだなぁ。 誰が誰とSEXしようが個人の自由です。 例外としては20歳以上が18歳以下とSEXした時は犯罪にあたります。
- rokometto
- ベストアンサー率14% (853/5988)
自由というのは行動した結果全て責任をとる、とれるという前提である。 つまり妊娠した結果責任を取りきれない中高生を強制的に止めるのは大人として、保護者としての義務である。 それができないのであれば親になる資格はない。 恋愛は責任の取れる範囲で自由にすればよい。
お礼
では、あえて逆の立場側での反論を書かせてもらいます。 >自由というのは行動した結果全て責任をとる、とれるという前提である。 根本的に、世の中には必ず(100%)結果責任を取れる状況と言うものが存在しない。(どのような状況においても、責任を取れない時はどの道取れない) 結果責任を取ることが難しいとしても、それを行って良いか悪いかは時と場合による。 そもそも、必ずしも結果責任を取ることが難しい事に意味があるとは限らない。 尚、必ずしも結果責任を取る必要があるとも限らない。(これも時と場合による) >つまり妊娠した結果責任を取りきれない中高生を強制的に止めるのは大人として、保護者としての義務である。 >それができないのであれば親になる資格はない。 結果責任の定義(何を持って「妊娠」に対する「結果責任」を取りきった事とするか)を「子供を一人前になるまで育て上げること」とするのであれば、中高生にはそれは難しい。 しかしながら、これは当事者同士の問題であり、当事者同士がその事について納得し合っているのであれば、親がどうこう言うことではない。 そもそも、これは特に意味のある事ではない。 どのような状況においても、子供を育てられなくなる可能性は0ではない。(前述) また、これは当事者同士の問題であり、当事者同士が納得し合えるのであれば、それを持って「結果責任」を取りきったものとすることも出来る。 >恋愛は責任の取れる範囲で自由にすればよい。 得てして妙である。 「責任」の定義にもよるが、中高生(未成年者)である場合、一般的には(法的にも)「責任の取れる範囲」なるものは存在しないとされているハズである。 中高生である場合、一般的には、どの道その全てが「責任の取れる範囲『外』」である。 (学校の廊下で別の生徒とぶつかって相手に怪我をさせても責任を取ることはできない)