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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:どうすれば「寛容」な男になれるでしょう。)

どうすれば「寛容」な男になれるでしょう

このQ&Aのポイント
  • 寛容な男になるための方法は何でしょうか。30歳の独身会社員である私は、大人になると寛容になるべきだと言われますが、具体的にはどうすればよいのか疑問に思っています。
  • 寛容な男性になるためには、自分の気持ちを抑え、相手の気持ちを尊重することが重要です。また、自分のこだわりを少なくし、周りに対する期待値を下げることも寛容さを養うポイントです。
  • ただし、自分への期待値を下げることとは異なります。自分に厳しく、人に優しくを実践することが真の寛容さを身につける方法です。結婚などの人間関係においても、相手に多くを求めずに諦めを持つことが大切です。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.1

>「寛容」 = 「自分に厳しく、人に優しく」 「自分に厳しく、人に優しく」は、どちらかと言えば「克己復礼」に近い考え方だと思います。 日本語の辞書のとおりだと >> 心が広くて、よく人の言動を受け入れること。他の罪や欠点などをきびしく責めないこと。また、そのさま。「―の精神をもって当たる」「―な態度をとる」「多少の欠点は―する」 と成ります。 しかし、通常「寛容」というのは、自分とは違う「思想信条」「宗教や宗派」を認め攻撃しないことです。 古代ローマの思想から来る概念です。 古代ローマ帝国は、周辺諸国を束ね治めていました。当然、様々な民族の宗教がその領域内には存在しそれらを否定せず存在を認めました。 これは、クレメンティア(ラテン語:Clementia)と呼ばれる精神でローマ帝国を支える概念と成りました。 他の人が持つ精神的な内面を、否定せずに受け入れる態度です。 今の日本にはなかなか無い精神だと思います。 なぜなら、思想心情的に自分の都合の悪いことを無視し無かったことにする人が大勢いますから。 「寛容」 = 「他人の思想信条・宗教や宗派を否定しない」 と言うことだと私は思います。

noname#191846
質問者

お礼

深いお話有難うございます。とても参考になりました。先ず私自身の理解が大きく間違っておりました。確かに「自分に厳しく、人に優しく」は、「克己復礼」、ですね。有難うございます。 「寛容」が「自分とは違う思想信条宗教や宗派を認め攻撃しないこと」であること、了解いたしました。これをより人間関係の上で解釈すると、「自分とは違う思想・信条・宗教・価値観・特徴の相手を認め攻撃しないこと」となりますね。確かにこれが正しい「寛容」の定義だと感じました。 「中立」「Fair」に近い考えかもしれませんね。 非常に豊富な背景知識を元にご説明を頂き、目から鱗でした。有難うございました。

その他の回答 (6)

noname#203300
noname#203300
回答No.7

 私は、『寛容』になるより『不寛容』を認めさせるほうが簡単だと思ってます。「私は、自分に甘く、他人に厳しい、極々普通の人間的な人間です。」とはっきり公言することです。やることをきちっとやっていれば認めざるを得ない。

noname#191846
質問者

お礼

コメント有難うございます。

  • kyo-mogu
  • ベストアンサー率22% (3398/15358)
回答No.6

 経験の数。これだと足りないのでドラマや映画。小説などから学ぶ。  許せる範囲を増やす。これはトラブルに対して、対処方法を多く考えられるかどうかです。対処方法があり、軌道修正が可能となれば、許せる事も増えてきます。また、自分でも何とか出来る。なんとかしようという自信も必要です。だから寛容でいられるんですね。  それと、リスクから逃げない。どんなものにもリスクとメリットがあります。リスクを0にすることは出来ません。一つのリスクを消しても別のリスクが顔を出してきますから。そういった事を理解する。リスクを減らす。弱くすることは可能。それによってメリット部分が多くなりますからね。  自分に厳しいのも強いから出来るのです。厳しさを求めるのは自分を鍛えるから。鍛えて強く成るから。でも、鍛えてばかりでは駄目で、時には甘やかす必要もあります。そのタイミングも大切かな。  結婚なども、相手に対しては甘える。でも、其れ以外では厳しい。でも、時には相手に対しても厳しい時も必要ですがね。

noname#191846
質問者

お礼

有難うございます。強く賛成します。理論ばかりではなく、実践と経験を詰め、ですね。kyo-moguさんも苦しい中を生きてこられたのだと推察致します。「良い男」になるべく、参考にさせて頂きます。

  • kanakyu-
  • ベストアンサー率30% (1916/6194)
回答No.5

こんにちは。 わたしの知る限りは、寛容な人は、 「人にやさしく、自分にはもっとやさしく」というタイプです。 自分に寛容にしてもらいたいから、相手にも寛容に接するし、 自分に甘くしているから、他人にも少々甘く接するのが楽なんだと思います。 基本的に、楽にながれるタイプで、無計画で、その場しのぎです。 「正しい」ことよりも、「楽」で「周囲と調和」することを選ぶので、人には好かれやすいです。 ただ、身内に尻拭いをさせることも多いと思います。 自分に厳しい人は、他人に寛容になるのはとても難しいと思います。 自分が我慢するほど、他人も自制心をもって自分に厳しくすることを望みます。

noname#191846
質問者

お礼

ご回答有難うございます。

noname#175251
noname#175251
回答No.4

「寛容」という言葉には、もっと前向きな意味があると思います。 「相手に期待しすぎない、求め過ぎない。諦める」事は、反って自分を狭くすると思うんです。「人は人、自分は自分」って事ですよね。 例えば結婚。 ぶつかる事が嫌、喧嘩になるのが嫌だから「期待しない。求め過ぎない。諦める」と、結婚相手が何を求めているのか、どんな関係を築きたいのか分からないまま、冷えた関係になると思います。 お互いに期待をしたり、求めたりして、理想と違う事に反発し、衝突する事で、受けとめたくない所も受けとめる「寛容」が育つと思います。 「自分が受け入れ難い事を受けとめる事」=「寛容」と、ワタシは思います。

noname#191846
質問者

お礼

有難うございます。御指摘の点はご尤もだと感じました。我慢する、忍耐する、そういったネガティブな側面ばかりでなく、これまで認められなかったことでも、新しく意味を理解する、発見することで自分の可能性を広げて行く中に「寛容」は存在すると感じました。コメント、有難うございました。

noname#182038
noname#182038
回答No.3

お早うございます。 日本もマダマダ希望を持てるんだ!と安心をします。 人生哲学を紐解いてください。 人生を達観できる立場に身を置きますと、ご希望の世界が 忽然と目の前に広がるはずです。

noname#191846
質問者

お礼

応援の言葉、有難うございます。勇気が湧いてまいりました。「希望の世界」にたどり着けるか自信ありませんが、今後も努力して参ります。

  • kyoromatu
  • ベストアンサー率14% (746/5024)
回答No.2

質問を拝見いたしましたとても立派な自己研鑽に対する お考えだなと感服しました。 寛容を辞書で引きますと 異なる意見・行動などを許容すること 度量の大きいこととあることは既にご存知の通りです。 ただ寛容とは単に個人の徳目ともありますから つまりその人となりということでしょうか。 しかし寛容とはある面では 緩いとかぬるいといういう意味合いも多少なりとも含みますので とても解釈に含蓄のある言葉です。 私的には 自然体で躊躇なく清濁併せ呑める人物も ある意味では寛容の人なのかもと理解しています。 つまりそれには柔軟な判断力が必要不可欠の 大前提となるかも知れません。 ですので真面目が過ぎて生真面目・馬鹿真面目・糞真面目 という類で我の価値観が唯一絶対主義的となっている 頭の固い頑固な御仁では、 逆立ちしても到底無理なことであろうと思います。 いずれ正解のないご質問なので色々助言を集めて ご自分なりの妥当解を導き出して頂ければ幸いです。 ただそれとても絶対視せず常に見直していく柔軟性は 忘れないで欲しいものですね  自ら寛容さにブレーキをかけるようなものですから ◎◎が一番重要というもう結論ありきの 考え方はしないほうが宜しいかもです。私的にはお薦めしません では

noname#191846
質問者

お礼

有難うございます。とても本質をついていると感じました。「清濁併せ呑める」と「物事を絶対視しない」がKey Wordだと感じました。「柔軟性」とも言いかえられる。多様な視点で色々な思考を巡らせ、幅広い物事に精通し、まんべんなくFairに物事をとらえる。必ずしも「これだ」と一面的に決めつけることはせず、ある程度、考えに常に幅を持って、考えを改めることもする。色々な物事の可能性を感じられる人間も「寛容」の範囲に入るのかもしれませんね。確かに「自分に厳しく人に優しく」を絶対視してしまうことも、やや「寛容」からは外れた考えなのだと感じました。貴重な御見解、有難うございました。