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図書館でよくいる人

よく、図書館で ノートに古い新聞かなんかわかりませんが、記事等の資料とか書き写してたり、 メモ帳に細かく字を書き込んでる人がいますけど、あれはなんの勉強なんですか? ただ、書き写してるだけで 何の勉強の役に立つんでしょうか?

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  • JBrahms
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回答No.4

質問者さまは「素読」という言葉は知りませんか。 昔は論語などの難しい漢文を、今の小学生程度(或いは小学生以下)の学齢の子どもが声に出して、ひたすら音読をしていました。この時は教師も決して意味を一字一句丁寧には教えず、というより一切説明や解説を加えず、ただひたすら「読むことだけ」に集中したものです。意味を考えずにただ読むだけ、そんなのが何かの役に立つのか、意味があるのか、と思われるかもしれませんが、現実には昔の日本人の漢文に対する理解力の高さは、こういう過程があったからこそと言えます。こういうのが「下地」になるんですよ。 何事もそうですが、物事の最初期の段階では、あまり過度に「目的」や「意味」を重視しない方が良いと思います。「なんの役に立つのか」という疑問を感じてしまうと、学問というものは進みにくいものです。そういうことは、ある程度理解が深まり、学問が進んでから考えればいいことで、入門期はとにかく何でも吸収することが肝要です。 質問者さまが図書館で見かけた資料の筆写という行為も、特に何らかの明確な目的をもってしていたことではないような気がします。ただ、それは決して無意味なことではなく、必ずどこかで自身の血肉になっているものです。 もちろん、こういうのは一時的に短期間マネしてみても意味がありません。 ある程度長期間にわたって継続することで意味が出てくるものです。 結果を焦ったり、過度の目的意識が先行してしまうと本末転倒なことになります。 まさしく「素読」のようなものですよ。

noname#164055
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 当方、実は毎日、白書とか古い新聞の記事をノートに写しこんでる 人を見て、精神的な病でもある人なのかと思ったんですが、素読の可能性も ありますね。

その他の回答 (3)

  • terepoisi
  • ベストアンサー率44% (4090/9254)
回答No.3

学校教育でも書き写すことそのものが重視されてきたのはご存知でしょう。 書き写してるだけでもスクラップとは違う意味で役に立つものだと思います。 書くことで内容の理解を深めたり、疑問点を整理することができますし、 記事や文章を書き写してオリジナルのノートを作っている人もいます。 私もコピーではなくメモを取って、あとで出典にあたったり 出版物や参考資料を探すことがあります。 小説やコラムは書き写すだけでも文章修行になるそうです。 すぐに何かの役に立つのか?と問われれば、そういうことは少ないかもしれません。 でも素養というのはこういうことの積み重ねで身につくものだと思っています。 記事内容にしても校閲を経ている新聞ならある程度の信頼性があるでしょう。

noname#164055
質問者

お礼

回答有難うございます。 新聞とかなんとか白書とか、ノートに書き込んでる行為を毎日してる人 、自閉症かなんかにも 見えますけど オリジナルノートなんですか。

  • oo14
  • ベストアンサー率22% (1770/7943)
回答No.2

書いて情報収集や記憶の足しでしょうね。 学生時代はノートに書き込んでいましたが、 最近はコピーかPDFの保存ですね。 それができない時は写真ですね。 図書館などではメモより写し取ることが多いです。 最近のカメラは拡大が自由ですしね。 どっちにしても再利用することはすくないので、 その時に、とにかく頭の中に叩き込むようにはしています。

noname#164055
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 自己満足というか 知識増やすためなんでしょうか。

  • rokometto
  • ベストアンサー率14% (853/5988)
回答No.1

新聞記事は学ぶことの宝庫ですよ 政治経済 法律 外交 地域 コラム さらに違う会社の新聞を読み比べると一社の報道だけを鵜呑みにしてはいけないと気づけます 日本の政治がダメなのは国民が政治経済に関心も知識もなく放置しているからだと私は思います

noname#164055
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 新聞を見るのはわかるんですけど、ノートに丸写し行為が。。