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書道の精神
書道の心得はありません。 他の「道」から書道を見ています。 楷書を書くのを見ていると、呼吸を整え、筆のつながりを意識しつつもきちんと文字を正しい姿勢で書いているのが伝わってきます。 楷書は、もはやそこにある基本を忠実に、とりあえず自分の個性を前面には押し出さないような雰囲気を感じます。 軸もきちんと意識しているためか、力が抜けた文字にも硬さを感じます。 呼吸も自分の呼吸というよりも、型(文字)に合わせているように思います。 そんな勝ってな印象を私は持つのですが、行書や草書の書くときの「心」というか、方向はなんなのでしょうか。 基本的なものから離れている印象を持つのですが、どのように止揚しているのでしょうか。 漠然とした質問で申し訳ないです。
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お礼
分かりにくい質問にお答えいただいてありがとうございます。 私がお訪ねしたいのは、うまく言えないのですが、「自称書道家」の文字のことではなく、正しい(という言い方も変ですが)草書や行書のことです。 例えば、書の心得のない私が見てのことですが、墨がかすれてきたから墨を付けるのではなく、自分の呼吸を整えるためであるかのように墨を付け直しているように見えるわけです。 ところが、楷書は、自分の呼吸を文字に合わせているように見えるわけです。 基本をもとに、自分の心をより積極的に表現したいという心があるのかなと思うのです。 そんなような、心はどんなものなのかということをお聞きしたかったわけです。 ますます意味不明になってしまいました。