• 締切済み

最近、ふっと思うんですよね。 人間も含めたすべての動植物は、どうして子孫を残し、生存競争に勝とうとしているのでしょう。 そしてなぜ、生きようと懸命に努力するのでしょうか。 生まれ、成長し、子供を授かり、老いて、死に逝く。 この命のバトンパスはなぜ生まれたのでしょうか。 僕は、自殺志願者でもなければ、生きる希望を失った人間でもありません。 ただ、次から次へ生じる、謎を抑えきれないだけです。 こういった話に興味があれば、御意見をお願いします。

みんなの回答

noname#175120
noname#175120
回答No.4

元から細胞分裂を始めて自分のコピーを作るという能力を身につけたから、子孫を残す、繁殖ってのは生物して根源中の根源なのだと思います。 それ自体に意味は無いでしょう。 まあ本能と言っても良いでしょう。 変に知恵がついたから本能さえにも意味や目的を見出そうとするのが人間だとも言えますね。 本来生物なんて極単純な物なのだと思います。 生まれて、食って、産んで、死ぬ…基本はこれだけ。 考えるから疑問が生じるんです。 元から答えなんて無いんですよ。 なぜなら本能だから…、多分ミミズなんかは何も考えてない、彼らこそ純粋に本能なのです。 これら答えの無い問いに娯楽や学問として答えを見出そうとするなら良いですが、それが生活に支障を及ぼす程度なら辞めた方が良いかも知れません。 突き詰めて自ずから答えを見出して納得するか、あるいは宗教などに身を任せるかですね。

newsweeks
質問者

お礼

言われてみればそうですよね。 生命について説明できるのであれば 考える必要なんて、無いんですよね。 人の数だけ、その答えがあるのかもしれませんね。 ありがとうございます。

  • e-toshi54
  • ベストアンサー率22% (728/3265)
回答No.3

今存在するすべての種に、子孫を残し、生存競争に勝とうとする特性があったから、今も存在するのだと逆説的に考えると落ち着きませんか。そのような特性(本能)を持たなかった幾つもの種は既に絶滅しているか、絶滅しようとしているのです。 「生きる」と言うことに色んな考え方があるでしょうが、あまりにも単純に聞こえますが、子孫を残すということを生きる目的にするという選択肢に入れていいと思います。 具体的には、子供を作れる健康体を維持し、恋愛をして結婚し家庭を持つことを生きる目的にする。そして子供を育て、孫を愛でて・・・、そして死ぬ。人間が種として存在し始めた時から連綿と続いているサイクルです。 ただ、今の日本はそのように生きるのが難しいと思うと悲しい気持ちでいっぱいです。自殺者が多い国というのデータがそれを物語っています。 ちょっと話が横道に逸れましたが、もし多少でも共感を覚えていただいたなら、その生き方を志向してみて下さい。人間としての幸せ、生き甲斐を感じられるはずです。

newsweeks
質問者

お礼

子孫を残すことが、生まれてくる理由の一つ、ということですね。 自殺をする方が一人でもいなくなることを こころから願いたいです。

noname#212854
noname#212854
回答No.2

 日本語の《音》が同じ言葉は、オリジナルな大和言葉では、同じ言葉だった。  大陸との交流によって、同じ音の言葉が細分化された、とする説があります。  具体的には、《のぼる》という概念を《登る、昇る、上る》と分けたり、《きく》を《聞く、聴く、効く、利く、訊く》としたりすることです。  《せい》の場合は、《生、性、聖》が、もともとは同じものことだったと考えて良いでしょう。   ☆  ☆  ☆  また、《生存競争に勝とう》としているのは、多くの動植物に見られる特徴ですが、人間の場合は自殺等によって負けるという選択肢を持っていることが最大の特徴の一つです。  だから《生まれ、成長し、子供を授かり、老いて、死に逝く。》というバトンパスは生き物の特徴ではあっても人間の特徴ではありません。   ☆  ☆  ☆  《生》そのものに対する疑問の多くは、現代社会では宗教産業が扱うジャンルです。  宗教者の言葉には、老病死を現実的に迎えるに違いない人を弱者とし、宗教産業に奉仕することによって老病死を、忘れさせてくれる効果があります。  弱い人は、いずれかの宗教産業に取り込まれればいいのです。  そして多くの人々が、様々な宗教に取り込まれて、個人的には幸せになり、社会人としては不幸の種をまく人となっているのです。  人間の生には、社会化が必然ですから、人を不幸にする宗教産業に取り込まれてしまう、こと以外の生の在り方を模索しなければいけないのです。  その切っ掛けの一つが《せい》つまりONE WORDで《生、性、聖》を考えることでしょう。

newsweeks
質問者

お礼

生、というそのものにまで視野を広げて下さったのですね。 貴重な意見、ありがとうございます。

  • iapetus
  • ベストアンサー率60% (248/413)
回答No.1

ロングです。すみません。 そのご質問に対する答えは、一筋縄ではいかないでしょう。 WWikipediaの「生命」の項では、「定義」の項目は編集を保留しているくらい、生命と非生命との違いを論じるのは難しいでしょう。 増して、なぜ生きようとするのか、なんて、全ては、卵が先か鶏が先かの、不可知論に行きつく話かもしれません。 生命は、宇宙から彗星がもたらした有機物に、水と太陽からの熱と紫外線と放射性や放射性物質と、宇宙線による化学変化がもたらした産物でしょう。 それは、ただ生きて子孫を残すという、最も単純な生命形態から、現在の多様な生命へと進化してきた訳です。 今生きている生命は、環境の変化に適応し、他の生命体との相互作用(弱肉強食といっていいでしょう)の中で、相手を食い(植物とてそれは同じ)、食われる関係が成立し、さらに効率よく食うための能力として、例えば鋭い牙や速い足や相手を溶かしてしまう酵素などを獲得し、食われまいとする側は、棘や硬い殻や速い足や強い毒素を身に付けてきたのです。 これは、その生物の意思などではなく、遺伝子のコピーミスによる突然変異が、偶然にも生命の存続に有利に働くことで、必然的に生き残ってきた結果です。 例えば、フグ仲間の祖先には、恐らくテトロドトキシンへの耐性は無かったため、泳ぐのが遅くて食われ放題だったかもしれません。 しかし、食物に含まれるその毒素への耐性と濃集の能力を身につけることで、食われたらその食ったものは死ぬことになります。 一方、食う側にも、フグを敬遠するような遺伝子変化が起きた場合、誰からも教えられることなくフグを食わずに死ぬこともなくなるのです。 こうして結果的に、フグはあまり食われない魚へと進化したことになります。 そのうち、毒に耐性を持つ大きな魚が生まれたとなれば、フグは安泰ではいられなくなりますが・・・。 これがまさに、生命淘汰の結果であり、それには恐らくフグの意思などは働いておらず、偶然に、しかも必然的に達成されたのです。 これと同じことが、脳を持って自我意識のある生命についての、脳の働きについても、同じことがいえるでしょう。 例えば、天敵に遭遇した際、恐怖を感じて全力で逃げる、という能力は、過去に大量に食われた祖先がおり、恐怖心を感じ逃げるように変化したものだけが残った結果です。 最も、恐怖が先か足が速くなることが先か、という不可知論は内包してはおりますが。 このようにして、生きるのに有利な能力獲得をするという偶然が必然へと固定化することで、結果的に生命は必死に生きようとしているように行動するのだと思います。 それは、人が知性を獲得したことにさえ、当てはまることでしょう。 バトンパスが生まれた理由は、不死の脊椎動物だけしかいない世界を想像すると解る気がします。 不死の動物だけの世界では、先に生まれた個体に次々と子供ができ、その数を増やしていきます。 そのうち、すぐに食糧を致命的なまでに食い尽くし、絶滅の危機に瀕すると考えられます。 一方、比較的短時間で年老い、死ぬことで次の世代へバトンパスする生命の場合、自分が死ぬことで生存のスペースと食糧を明け渡すことで、次の世代の生存可能性を高めているのだと考えられるのです。 そうすれば、その種は生殖が確実に行われている限り維持されます。 その証拠として、サルとヒトの寿命の違いが挙げられます。 チンパンジーは、人が健康に飼育しやっても、30年前後で老衰で死んでしまいます。 ヒトは江戸時代、平均寿命が35年くらいでしたが、それは乳幼児の死亡率の高さと医学の未発達が原因であり、病気さえしなければ、ヒトは70年程度は楽に生きるのです。 これは、チンパンジーには30年程度、ヒトには70年程度で死ぬよう、遺伝子にプログラムされていると考えられるのです。

newsweeks
質問者

お礼

大変貴重な意見、ありがとうございます。 長文でお返しできなくて、申し訳ありません。 生命ってとても難しいものなんですね。 もしかしたら、定義がないのが答えなのかもしれませんね。