※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:自由の本来の意味は「勝手気まま」)
自由の本来の意味は「勝手気まま」
非行に走った青少年が更生した話の記事で、その少年がこんな事を言っていました。
「自由とは「勝手気まま」と言う意味で捉えてしまって、自由の本当の意味を履き違えていた。
自由とは、責任が同時に付きまとう事だったと知った。」(見たいな事を言っていた)
これによって少年が更生したのは良い事。と言うのは置いておいて、私の浅い知識では、「freedom」や「liberty」の日本語訳が自由なのは事実だが、自由の本来の意味は、中国で使われていた自由の意味で、「勝手気まま」「好き勝手」と言う意味だと認知しています。
つまり、「freedom」の日本語訳が、「自由」と言うのは誤訳だ。と言う主張は正しいとも思われるが、「自由を勝手気ままと言う意味で捉えるのは、意味を履き違えている」と言うのはむしろ、そういう認識の人が本来の意味を履き違えていると思うが、皆さんはどう思われますか。
ちなみに私は、先に言った通り浅い知識しかありません。私の認識の誤りなどもありましたらご指摘下さい。
お礼
>日本に於いて用いられる「自由」の意味は中国語の自由ではなく、日本語の自由です。 そうです。しかし本来の意味とは異なります。 ちなみに本来の意味の自由は中国由来ですが、当時日本にその言葉が輸入されてきた時の「日本語の自由」も「自由出家」「自由狼藉」と言う意味で、中国語の訳と同じ意味で使われていました。 つまり、日本語としての本来の自由の意味は「勝手気まま」と言う事が私が、wikiと言う馬鹿の一つ覚えで手に入れた知識です。 中国語の例えの汽車などの話は、私は良く分かりませんが、それも日本に入ってきた当初は「汽車=自動車」と言う言葉として輸入され、時代と共に「汽車=蒸気機関車」と言葉が変わったのならば、汽車の本来の意味は自動車です。回答者様のご指摘通りになります。もしもそうであれば、「自由の本来」もそれだけ飛躍した話と言う事で、私は何も反論する事はありません。 しかし、それは汽車と言う言葉が日本に入ってきた当時から「自動車」と言う言葉だった場合に限っての事で、汽車と言う言葉が日本に入ってきた当時から「汽車=蒸気機関」と言う言葉の使われ方ならば話は別です。自由の言葉に対しての反論もこれに該当しません。 >「経済」という言葉は福沢諭吉が Economy という単語を日本語に訳すにあたって日本語にない言葉であることから頭を絞って考えだした造語であることは御存知でしたか? 知らなかったです。「自由」もそのように誤った訳ではなく、造語として正確の意味で伝わるようにして欲しかったです。福沢諭吉さんはそれだけの能力があるのだから。