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家族の死で大きく変わったことは何ですか?
私は、立て続けに身内の死と介護を経験しました。今も別の家族の介護は 続いています。 特に親の死を経験してからは、心の変化がありました。 1、今までの様に人に興味が無くなった。おせっかいをする頻度が減った。 メルアドの友人(疎遠)を削除した。以前よりもさらに友人に心を 閉ざす気分になった。 2.死にたいとは、思わなくなった。 うまく表現できませんが、ひとつの人生の区切りというか、転機であるような気が 自然としています。 まだ心の整理はついていない段階です。みなさんは、大切な人の 別れを通して大きく変化したことはなんでしょうか? 教えてください。
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お疲れ様です。 ちょうど昨日、母の命日でした。 連絡も大してしてなかったのに、ここ何年も顔を合わせてなかった姉弟が実家にそろって集まっていました。きっと、母が呼んだのだろうと思います。 母が亡くなったときにはショックが大きかったので、後から思ったことです。 死ぬことが怖くなくなりました。 この世を去るときが来たら、きっと、親しい人達ともう1回会えるのだろうと思います。 その時に、こんなことがあったのよって話が出来るように、頑張って生きなきゃと思います。
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- alterd1953
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私は3才の時に、お産で母親と妹を亡くしましたので あなたとは状況が大分違うと思いますし また、その時にハッキリそう思う訳もないですが 物心ついて思ったのは 「世の中甘くないな」って感じでした。 そして「1日1日を大事に生きよう」と思って生きてます。
お礼
どうも有り難うございました。想像を超えた悲しみだと思います。
9年前に父を亡くしました。 喧嘩ばかりしていたから死んでも涙は出ませんでした。 ただ、死ぬ前に暴力を振るってきたので生きる意志がないなら早く死ねと 言ってしまったので。 その後は人に対して言葉を掛けることが少なくなりましたね。 でも、区切りとしては自分でやらなければならないことが多いことに 気づいて大変でしたが。 でも、まだムカツクけど。
お礼
ご回答を頂き、どうも有り難うございました。私も複雑な思いがありまだ整理がつきません。
- vintagewine
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大変、お疲れ様でございました。 相手を愛するとはどういうことなのか。 そのことを改めて気付かせてもらったように思います。 たとえ愛した対象が亡くなっても、自分の相手を想う、想い続ける気持ち自体には何の変化もないことに気がついたのです。確かにもう目に見える対象は居ないわけだし、声も聞けない触れることもできない、会話もできない、一緒に笑うことも不可能なわけですが、それでも、私の気持ちそれ自体には変化は無かったのです。愛とは自分が生きている限りは決して風化しないのだとつくづく感じ入りました。一つは四半世紀前、二つ目は20年前、そして三つ目は10年前の死でしたが、私のそれぞれに対する気持ちはあの時のまま今でも継続しております。 死にたいとも、死にたくないとも以前は考えたことがなかったのですが、今は死ぬ事が怖くありません。 安らかに死にたいとか、事故で死ぬのは真っ平だとか、そのようなことも考えません。大事なのは、その日が来るまでは何があっても頑張るのみ、という点です。その日が明日なのか、来年なのか、20年先なのかわからないだけに、それこそ胡坐はかけないな、と常に感じるようになりました。明日でもいいや、と思っていても、実は明日なんて無いのかも知れないと考えるようになりました。 未だ日が浅いということですので、質問者さまの今のご心境にも今後変化は現れると思います。 がしかし、身近なものの死というものが、何らかの節目になることには、同じ気持ちを抱いています。
お礼
確かに日々変化します。しかし、日常の仕事もありますので…。忙しいほうがいいですね。 節目であることも確かです。お優しい言葉をどうも有り難うございました。
- toiawasedesuyo
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18年前に産まれて3ヶ月の3男を無くしました 未熟児だったので、ずっと保育器の中にいました 病院に行っても、外から見るだけ 抱けたのは亡くなってから 涙が溢れて止まりませんでした。 無くなってからお骨は電話帳で探して預けってくれるお寺を探して預け、定期的に お参りに行きました お墓を作る気持になれず、かみさんとも意見が合わず、喧嘩ばかり 長男と次男は無事に成長して長男は社会に出て、次男は今年から大学生 今の現状をありがたく感謝しています 亡くなって10年後、土台だけのお墓を作りました 気持の整理が出来た3年前に家族で上に載せる墓石のデザインを考え、去年の命日に納骨しました なかなか納骨出来なかったので申し訳ないと思っています。 生かさせている事の有り難さに感謝しています 亡くなってからでは何も出来ません 出来るだけ、喧嘩しないで仲良く暮らして行こうと思います 毎日、家に帰ったらお線香をあげ、無事に家に帰れ、家族が元気で過ごせた事を感謝しています 時間は掛かりますが、前向きに考えて下さい 残された家族で一日、一日を大切に往きましょう 感謝を忘れずに
お礼
どうも有り難うございました。日々色んな事が起こりますよね。一日を大切に生きられるといいですよね。
- anndoromeda
- ベストアンサー率15% (279/1846)
母は1才の時に亡くなり・・何の記憶もないし、物心ついて母の死を知っても何の感慨も無かったですね。 父とは縁遠い・・後妻との家族と一緒だったので・・特別の感慨もなかった。 入院四日で亡くなったので・・余り苦しまずに逝けて・・それはそれで良かったとは思いました。 父母との縁が薄いので・・人付き合い・・・人との関わり方がよく分からない・・ 下手・・との認識はありますね。 人はその人のおかれた状況により・・様々。 それも、個性と言われるものの一部なのかも。
お礼
ご回答を頂き、どうも有り難うございました。私も複雑な思いがあります。人それぞれ・・・ですね。
- ni_si_ki
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私は16年前に母、3年前に父を亡くしました。 母が亡くなった当初は30歳でした。 純粋に悲しいという思いの他に、ああこれで、父の金銭的トラブルに頭を悩ませる必要がなくなったと安堵もしました。 借金を重ねてきたのは父でしたが、悲しむ母を見たくない想いで私は援助していました。 私にとって母は足かせだったのです。 父が亡くなった時は「私、よくやった」のみです。 父にいくらお金を費やしたのか、思い出すだけで馬鹿馬鹿しいので考えないようにしています。 両親に対し恨みなどの感情は一切ありません。 不器用な人たちだったという思いだけです。 今の私にとって両親は反面教師です。 親の死によって、自分の子供たちには同じ思いをさせないとあらためて思った次第です。
お礼
人それぞれの思いがありますね。私も、親とは普通の親子の関係では無かったので、 悩みは沢山有りました。反面教師は自身もずっと感じてきた素直な気持ちです。 どうも有り難うございました。
- yasuto07
- ベストアンサー率12% (1344/10625)
生命保険が沢山入るようなことがあれば、クアンピングカーデモカッテタビニデテミれば。 何も変わらないでしょう、身内がしんでも、ただ生命保険は別ですよね、素朴に嬉しいものです。
お礼
生命保険ですかぁ・・。保険がもらえたら私も少しは喜んだのでしょうか。それにしても やっぱり世の中お金が必要ですね(笑)有難うございました!
お礼
どうも有り難うございました。 >死ぬことが怖くなくなりました。 この点は、私も経験して感じることです。