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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:合理的な回答お願いします。)

大学生のいじめに対する不安と法的手段の選択

このQ&Aのポイント
  • 大学生の私は中学時代にいじめられた経験があり、いまだに同じようなことがあるのではないかという不安があります。
  • 法的手段を取る場合、当時に暴力を振るわれた上級生の報復や手続きの長さが心配です。
  • 一方、黙って泣き寝入りする方法では自分が弱いままでいるのではないかとも思います。どうすべきか迷っています。

質問者が選んだベストアンサー

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  • gongon8
  • ベストアンサー率30% (6/20)
回答No.10

もう関わる必要なんて全く無い「過去」に対して、過剰に執着するのは良くないですよね。 だからこそ、「こんなことに思考を働かせるのは一刻も・・・」という質問者様の気持ちは 非常にノーマルな反応だと思います。 まずは体を動かしましょう。スポーツなどで。 自分の意識が、わざわざ過去の傷口に集中するのがそもそも良くない。 だったら、その意識、体を動かすことで、分散させてしまいましょう。 キーワードは「積極的休息」です。 私、決して筋肉熱血バカみたいなこと言いたいわけじゃないんですよ・・・。 ただ、自分の経験から出た結論が「体動かそうぜ!」に落ち着いたわけで。。。 でも文字にすると「体動かしたらダイジョーブだよ!」っていう軽薄なヤツと 同レベルになってしまうんですけどね。。 もし質問者様が「体は充分に動かしている」あるいは「体が不自由でスポーツなんて 出来ない」というなら、別の手立てが必要ですね。とりあえず心療内科あるいは カウンセリング等で、生身の人間に話すことが必要かと思われます。 私も経験ありますし、知人のカウンセラーからも聞きましたけど、人の悩みって 多種多様ですよ。「漠然と不安だ」とか「同僚の方が給料多くて悔しくて苦しい」 とか「メディアで報道される事件が自分にも降りかかってくると、と考えてしまう」 とか。。最後のは私ですけどね。w とりあえず、こんな「教えてgoo」なんかで得られるアドバイスには期待でず、 動いてみてはいかがでしょう? ここ(教えてgoo)は専門家でもない素人が、大して出来の良くない頭でいろいろと想像して、 一方的に質問者様に文字を投げつけるだけの存在です。私も含めて。 こんなところで得られるアドバイスは、今の質問者様にとってあまり有益ではないと思います。 失礼しました。

kschoo1
質問者

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回答ありがとうございます。

その他の回答 (9)

回答No.9

起きる可能性の低い事をシミュレーションして、一人で悩んでしまう経験は私にもあります。 他人から「そんな確率限りなくゼロに近いよ」と諭されても考えてしまうんですよね・・。 さて、合理的、かどうかは分かりませんが、もし出くわした場合、そして、運悪くそいつがまたあなたをいじめようとした場合について考えてみました。 一番手っ取り早いのは、「大声を出す」です。 言葉はなんでもいいです。「助けて!」でも「やめてくれよ!」でも。 とにかく周りに非常事態が起きている事が分かる言葉にしましょう。 後は、日常生活で一人きりにならないよう心掛けることです。 日中に人気がない所ってなかなかないでしょう。通りに人がいなくても、そばに家があれば人がいる可能性は高いです。夜間は、できる限り人気が多いことろを選んで歩く。 周りに人がいれば大丈夫。後は大声を上げれば、周りの人が警察に通報してくれます。 自分で警察に通報して証拠を集めて・・・というと大変ですが、とりあえず大声を出すことを目標にすれば、なんとかできそうじゃないですか? せっかくの人生ですから、不安から解放されて楽しい毎日を送って下さいね!

kschoo1
質問者

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回答ありがとうございます。

noname#181940
noname#181940
回答No.8

ジョゼフ・マーフィーの潜在意識の本ってご存知ですか? 人間の脳は思ったとおりになってしまう。。らしいです 会ってしまうかも・・と思っていると会ってしまうかもしれません 「もう、終わったことだ」と言い聞かせてしまったらどうでしょうか? 私も、具合が悪くなるほどの悩みを抱えた時 「このことは終わったことだ」とずーと言い聞かせて ふっと気が楽になった経験があります。 思ったとおりになるのなら楽しい事を 思い描いたほうがいいと思います 穏やかな大学生活がおくれるよう祈ってます

kschoo1
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

  • hyuuma8579
  • ベストアンサー率29% (326/1097)
回答No.7

簡単に言ってしまえば、今あなたの心に捉えられている問題よりもはるかに大きな問題に遭遇することです。 心が離れないのは、それだけその問題に執着があるからです。 しかし、それよりも大きな問題が発生すれば、執着は解け、そこにかまっていられなくなるのです。 私もそうでしたが、かつて執着していた過去の問題がいくつかありましたが、その後に経験した究極の試練を乗り越えてからは、「こんなこともあったな」などと笑い話になってしまいました。 悩み執着していたことが、取るに足らないことになってしまったのです。 大と小は相対的概念です。だから見る位置や経験性によって、相対性があるのです。 同じ程度の問題でも、心が小さいか弱い時には問題が大きく見えるし、心が大きいか強い時には、問題は小さく見えたりします。 また、大きな問題を経験してから見るとそれ以前に大きかったはずの問題が「な~んだ」って小さく見えたりもします。 執着心がゼロになり、記憶にははっきりあっても、その時の不愉快だったり、悪い感情はなくなってしまいます。 とはいえ、過去の執着を絶ちたいがために、そんな大きな試練を望んだとしても、望んだからといって、都合よく来るような試練はありません。予期せぬ時に来るから試練なんです。 試練が来てそれを乗り越えるのは、その時にそうすればいいこと。 ならば、来るのを待つのではなかく、過去の執着にわき目もふらず夢中になる何かを探すことです。 今囚われていることよりももっと大きな執着心があるものを見つければ、解決します。 こっちの方が主体的、生産的ですね。 つまりは、物事全て相対的なのです。 しかし、ついでに言いますが、絶対的な経験を一度すれば、全ての問題から解放されるのは事実です。 そこはどこにあるかといえば、例えですが、地獄の底を貫いた先に天国があるのです。 但し、普通の人は、地獄から逃げよう離れようとしてしまうので、よもやの天国までは辿り着けないからくりがあるのです。 天国の門は、敗者にではなく、勇者に開く・・・う~ん、人生ってようできてます!!

kschoo1
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.6

失礼ですが、逃げてばかりという 感じがします。 いじめられる理由がわかるような 気がします。 戦ったらどうですか。 勿論、大人の戦いですよ。 法的手段に訴えればよいでは ないですか。 その為には、法律や訴訟の勉強を したらどうですか。 それが戦うということでしょう。 どんな証拠が必要なのか、告訴状を 警察が受理しない場合はどうしたら よいか、ボイスレコーダーはどうなのか などなど戦うための準備はいくらでも あるでしょう。 そういう経験を積めば、大切な人も 護ることができるようになりますよ。

kschoo1
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

noname#164833
noname#164833
回答No.5

 悩みが解決されるのは、その問題が消える時ではなく、その事にこだわらなくなる時です。あなたさえこだわらなければ、問題なしです。  とは言え、「悔しさ」が混じると、ひとは拘るのです。「悔しさ」から卒業しなければなりません。  近年は「被害者の人権」が声高に叫ばれ、加害者を厳罰に処すことが当然のように言われています。しかし、合理的に考えると、「他人の不幸が自分の幸せ」であろうはずがありません。同じ異性をねらっている他の同性が振られれば、自分のチャンスは広がりますが、競合していない他人の不幸(厳罰)が自分の幸福に繋がると考えるのは、非合理的です。  人間の心理はもともと非合理的です。よし、こうしましょう、「悩むのなら自分のことで悩みましょう」、「自分の哲学を持ちましょう」。  

kschoo1
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

  • KVJ
  • ベストアンサー率70% (355/505)
回答No.4

悩まないでください、大丈夫です。 そのいじめっ子だった人たちは、 質問者さんのことなど憶えていません。 ばったり出くわしても、声をかけてきません。 もし、憶えていたとしても、気付かないふりをして通り過ぎますし、 でも、たいがい、本当に気付きません、顔すら憶えていないんです、相手は。 質問者さんは、いじめられた時から今日まで、成長しました。 それと同様に、いじめっ子たちもまた、成長しているんです。 いや、何かを成して長けたかどうかはわからないですが、 少なくとも、同じだけの時間が過ぎました。 質問者さんも、元いじめっ子たちも、人です。 人というのは、全く変わることなく在り続けることが、本当に苦手なんですよ。 どうしても、いやでも、変わってしまうんです。 質問者さんも、あの頃と全く同じではないように、 元いじめっ子らも、あの頃とは違うんです。変わったんです。 現在の質問者さんが過去に捉われているなど、みじんも思っていないでしょう。 そもそも、いじめっ子に、いじめたという意識なんてないのですから。 訴えることも、泣き寝入りすることもありません。 そんなトラブル自体、起こる要素がゼロなのです。 それを危惧するのは、単に、質問者さんが自意識過剰なだけです。 他人からそんなにも強く思われ続けることなんて、そうそうないですよ。 仮に、同じ立場の友人がいたとして、質問者さんは「危惧するべき」と勧めます? 勧めませんよね、「いらん心配だ」と、「相手にするな」と教えるでしょう? 「こっちから「誰?」って言ってやれるくらいにならんと!」って励ますでしょう? ご自分に対しても、そうなさってください。 私も小・中・高校と、ずーっといじめられっ子だったんですよ。 悪質でしたよ、生傷も絶えなかったし、持ち物はどんどんなくなるし。 でも、だからこそ、自信をもって案ずるなと言い切っちゃいます。 昔のいじめが再現される確率なんて、宝くじの1等当選と同じ程度なんですよ。 どんなに運が良くっても、一生に一度もないものだと思いません? それでも実際に出くわしてみないとどうにも不安だと言うのなら 会いに行ってみたら良いです。同窓会に参加するんでも良いですよ。 きっと、拍子抜けできます。 どうぞ、心安らかな明日を求められますように。

kschoo1
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

  • Umi34
  • ベストアンサー率63% (49/77)
回答No.3

合理的かどうかはわかりませんが・・ 一つ不明な点があります。 たいていは、No1の回答者さんの仰るとおりになると思います。 ですが、質問者さんは何年も前の事がこれから起こる「かもしれない」という予測を懸念されているわけですが、 そもそも、なぜそのように気にされてしまっているのでしょうか? もし、質問者さんが暗い過去によって受けたトラウマのようなもので、今現在の意識が支配されているという可能性も考えると、 このようなFAQサイトで意見を募るよりも、心療内科などでカウンセリングを受けて根本的な改善の必要があるように思いました。 平時では何事も無く過ごせていても、例えば誰かから意地悪されたなど、当時を思い出させるような何かがあり、 それが起こるたびに引き金を引いたような状態になるということが稀にでもあれば、私からは大げさだとしても専門家に相談して損は無いのではないか?と思った次第です。 件について、もし実際にそうなってしまった場合は、質問者さんは「今現在」の質問者さんが考えられる反対行動で対処すれば良いと思いますよ。 それが、法に頼る事でも、誰かに相談するでも、人によっては同じ事をやり返すなどもあるでしょうか。 とにかく肝心なのは今の質問者さんが、仮にそのような場面に出くわしたとして、落ち着いた心をキープできるかであって、 もし、その自信が無かったり、できないという予測が先行するのであれば、カウンセリングも有用という見方も一理あると思っていただけましたら幸いです。 くり返しますが、どのような過去も、今の自分が乗り越えられているのであれば、それはその人にとって一つの記憶であり糧に、 しかし、乗り越えられていないのであれば、それは手かせ足かせ、心の枷といった負担にしかならない、と私は考えており、 それが今の質問者さんの生活、今の思考にどのような影響を与えているか?がポイントです。 自分で乗り越えられないず、それでもいつまでもその状態でいることのほうが、人生スケールで見た場合にどうなのかな、と思う次第です。 乗り越えられていない人もいるから、カウンセリングというものがあるとご理解いただければと思います。 なんだか回答の方向が完全に違ってしまっているのですが、ご容赦願います。

kschoo1
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

回答No.2

中学のころは大変つらいことがあったようですね。 心中お察しします。 そういう私も小学校低学年のころ毎日高学年に集団でいじめられていました。 どうしてもそれから社会人になるまで強迫観念とか自己否定とかばかりしてました。 けど自分にとって本当にいい経験でした。 さて、この悩みを解決する合理的な策とありますが、 無駄な思考を働かせる事を解決する方法を聞いているのでしょうか? 悩みの正体ってなんだと思います? 数学的に言えば”ゼロ”、論理的に言えば”無い物への妄想” 要するに無駄な思考なんです。 ○○したらどうしよう。○○が~したら・・・。 ちなみに”ない方”の想像力は、起こりうる可能性の比較的高いものを往々にして想像しますが、 いじめっ子の話だろうがなんだろうが成り立ちます。 だって明日核戦争が始まって自分の命がなくなるかもしれない。 朝通学途中に交通事故にあって死ぬかもしれない。 隕石が落ちてきて頭にあたって死ぬかもしれない。 いやな人に街ですれ違ったら・・・。(←これは比較的ありそう?) すべて可能性は0ではないはず。 頭の中から、けど、だって、しかし、否定の思考すべてを消し去ることです。 ないものはない。 環境のせいにしない。 すべてあるものを受け入れ心の自分を肯定しあるものだけを信じて突き進むこと! 人間は、一日活動している間に約6~8万回思考を繰り返しているそうです。 そのうち8割がネガティブな事を考えるそうです。 にんげんって、みんな幸せになりたいじゃないですか?そう思いません? 8割はない方の事を考え(つまりはリスク)、危険を回避し自分が幸せになってくれるように無意識的に処理してるんですよ。 でもそれって神経すり減らして疲れません? どうせ100%みんな死ぬんだから、否定の思考回路なんてなくせばいい。 細かいこというと哲学・心理学(フロイト・ユングとか)を学習されたらいいのではないでしょうか。 (心の声)そんなこと言ったって、だって。。。、 これは訓練です。私はちなみに本を勉強してから3年かかりました(笑) おかげで仕事も遊びも人を思いやる気持ちもわかりすべてが毎日うまく行ってます。 お勧めの本があります、石井裕之さんの「ダメな自分を救う本」です。 ちなみに、今のあなたはこれからの人生最高にハッピーになる要素を持ってますよ。 そして、そのいじめっ子さん。 このまま行けばろくでもない人生を歩む恐れがあります・・・。 人生油断した時点でおしまいです。 自分を信じてがんばってくださいね!

kschoo1
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

  • drum_KT
  • ベストアンサー率43% (1108/2554)
回答No.1

仮に偶然出会ったとしても、昔と違って一緒にいなければならない理由はないので、厄介に巻き込まれる前に即逃げる。 それだけで十分な気がしますけども。

kschoo1
質問者

お礼

回答ありがとうございます。