「馬鹿」と言われたからにはそれなりの理由がある。
皆さんいつもお世話になっております。
私は物事に対する理解力が非常に無くて(つまり頭が悪い)
こうやってキーボードを叩くことはできてますが、
基本的に手先はとても不器用で、動作も愚鈍です。
それゆえにともかく「馬鹿」と言われてきました。
感想としては愉快ではありませんでしたね。
ただ、そこでもう一人の自分と自問自答してみました。
「お前は“馬鹿”と言われたことを不満に思っているようだが、
じゃあ、お前は“馬鹿ではない”と言えるのか?
それとは正反対に“頭が良い”と言ってもらいたいのか?
“賢い”と言ってもらいたいのか?違うだろ?
“馬鹿”と言われた時、その理由を真剣に考えて、努力した
ことがあるのか?」
…というものでした。
「馬鹿」という言葉を全て単なる誹謗中傷として受け止めて、
ふてくされるのは簡単です。しかし、言われたからには
それなりの理由もあるはずです。「自分の言動にも
間違ってる部分があったんじゃないか?それに対する指摘
なんじゃないか?」って。
そういう結論になった時、少なくとも今の自分は「馬鹿」と言われても、
「何故そう言われたのか?」と考える余地ができました。
それに私は「馬鹿」と言われてきて、不快に思ったことはあっても
理性のタガが外れて切れる。つまり暴力行為に及んだことは
全くありません。頭が悪い上に理性まで無くしてしまったら
お終いだからです。
話しはそれますが、今こっていることは車の運転をすることです。
お恥ずかしいことに高速道路は教習所の授業の一環として
走ったことがあるのですが、怖かったので、ずっと走ってません。
地元も、田舎ゆえか車線の少ない道路なので、片側の車線が
多い地域は走る自信が少し無いんですよね。
ただ、研究すれば、わかってくることもあるんじゃないか?と
思ってます。
私に限って言えば「頭が悪い自分は、物事がわかるまでの
距離が周りの人より遠い。しかし、いつかは見えてくるものが
ある。だから簡単には切れるな」ということですね。
質問になってないような文章ですみません。
他に皆さんの方で、もっとこうしたら良いんじゃないか?
というご意見がありましたらよろしくお願いします。
読んで頂き、ありがとうございました