何でも、馬鹿にしたいなら、馬鹿にする理由にはなりますよ。
ただ、普通は自分にはあって、あるいはできて、相手にはない、ないしはできないことを馬鹿にする。
表面的にもわかるように表現するかどうかは別として、内心まで含めればね。
東大出ているのに・・・とは、東大出でない人はいいやすい。
ピーマンも食えないのに・・・は、笑い話になる。
恋人もいないのに・・・は、歌にまでなっているからいい易いのかな。
「恋人」だと思われる相手がいるひとの、「恋人」がドコまで本物かはわからない。
「ロミジュリ」のように、命かけてがそうだとするなら、今の世のかな、
本物の恋人を持つ人はダレもいないとさえいえる。
ただ、今好きな異性がいて、相手もそうだと言ってくれるという、
行為の好意ある、意思疎通ができているだけのこと。
限界は極められないでしょう。
「あなたの子供なんか産めないわ(命がけだもの)」
演歌的に「アナタのためなら死んでもいい(子供を、結婚、sex)」には、価値があるのでは?
一人でも自分のために身を犠牲にできる人がいるという、一つの現実が「恋人」でしょう。
もちろん、自分が相手のためにということもですが、だから、それほどの思う人がいるということのほうが
実はモット、重要なんです、それだけ、人に信頼を寄せることができる【自分】だということに。