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抗がん剤と放射線治療は患者を痛めつけるだけでは?
- 抗がん剤治療、放射線治療によって患者は大きく変わり果てる姿になると聞きますが、残りの人生を有意義に過ごせるケースは少ないようです。
- 延命できたとしても、抗がん剤治療や放射線治療が苦痛を伴うことは想像を絶するものであり、患者にとっての選択は困難なものとなります。
- 医師には患者に対して、自身の良心を持った正直な治療の勧め方が求められます。個人の意見と経験に基づく回答が望まれます。
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質問者が選んだベストアンサー
大往生したけりゃ医療とかかわるな「自然死」のすすめ 中村仁一著 をお読みください。 貴方の疑問に最大漏らさず答えてます。 私は自分の患者にはガンと戦う必要は無しと答えますが ゾンビのようになっても生きたいという人は多いですね。 ガンに罹るという事は寿命が来ましたよという天の啓示です。 ゾンビになって10年生きるより人間らしくQOLを維持し1年 生きて散るほうが格好いいと思いませんか。
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- yuubee(@yuubee)
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抗がん剤にしても放射線にしても、患者の体そのものよりがん細胞のほうが弱いという前提でやるもので、そうじゃないことはいくらでもあります。これに限らず医療は、つねにメリットとデメリットを考えてするしかないわけで、完璧なものはこの世にありません。自信というのは手技や方針に対してもつべく努力するものであって、結果に関して自信なんてありえません。せいぜい「なんとかなるだろう」「こんなふうになるだろう」といった見通し程度でしょう。 そして、治療法の選択にしても、がん患者に対してであろうがなんであろうが、選択肢があればいわないわけにいきませんから各種治療を提示するという次元の話で、患者が決めればいいことです。統計的社会的に医療するメリットがあるだろうと考えられているものが、保険医療の適応になっていますが、その有効性も「かなりいい」から「どうやらいいようだ」までいろいろです。 私がその立場になっても、がんにもいろいろあるのでまあ天秤にかけることになるでしょうが。 また、本人の意思とは別として、年金なんかにぶらさがった親族、一方的にかわいそうぶる親族が「とにかく延命」といってくることもありましょうが、それにしても患者と親族の積み重なってきた人間関係でそうなるわけで、その結果患者が選択した治療で本人が苦しんでも、医者の良心がどうのというもんじゃないのです。かわいそうにとは思うでしょうが。 医師の良心は「あきらかに無効な医療はしない」「本人の意思を最大に尊重する」というところであって、がん治療について本人が選択した限りは、やっても意味がない、ところにいくまでは保険制度で許された範囲で全力を尽くす、ところにあります。 あなたの質問は、医師に「おまかせします」といってそれが社会的に通用していた時代でならわかる質問ですが、現在の医療の社会状況からすると非常に焦点がずれています。自信だの良心だので方針が変わっちゃどうしようもありません。誰が見ても妥当な医療、をめざすしかないわけです。その根拠が、「エビデンス」であることが最近は求められています。 あと、削除するとかえらそうな態度で回答を募るのはどうだかと思いますが。
補足
以下の内容でお礼します。よろしいですか? 私の「建前は結構です。」という趣旨をご理解していただいていなようです。 私は、「お任せします。」の時代の話はしていません。焦点がずれているのはそちらのほうでは?最近「お任せします。」なんてことがないことぐらい小学生でも理解しています。 あと、有効性がどうで、保険制度の範囲でどうのこうのとおっしゃっているということ自体が私からみると建前なんです。 一番効果的と分かっていても確信がない治療を貴方は実際におこなっているんでしょ、>妥当な医療を目指すしかない、という発言が物語ってるのではないのですか、 患者、家族に対して良心をもって進めているのか、それに自信があるのかという医師の本音を聞きたくて質問しているんです。 あなたのように医療現場ではこうだからとか、ああだからとか聞きたくない発言があることを予想して「削除させていただきます。」の旨を書かせていただいたまで、えらそうな態度と取り違えるようではいかがなものでしょう? どういう医療が求められているかどうかなんて私は興味ありません。本音ですよ、本音、
お礼
ご回答ありがとうごじます。率直なご意見ありがとうございました。私が診てもらうならば貴方のような先生を選びたいです。生きることに貪欲な方はそれはそれで本人のご自由ですのでとやかく申し上げることは何もありません。 実は私20代で1才と2才になる子供を抱えたまま妻に先立たれました。医者からは助かる確率は0と宣告されました。妻の命は手術すれば半年~1年という説明でした。妻に告知ができないまま、手術の道を選びました。 半年でも生きていてくれれば妻の望むことを、借金してでもやってあげようと心に決めていましたが、一時帰宅が2週間とれた程度でなにもできないまま3ヶ月で妻は永眠しました。 20年以上の歳月が過ぎ、子供たが社会人となった今も、自分の判断がかえって妻を苦しめてしまったのではないかと自責の念に駆られます。 中村仁一氏の著書については私も存じ上げておりますが、まだ読んでおりません。これからの人に向けてのことだけではなく、過去のことに関して遺族がどう向き合えばいいものかも書かれてあるのでしょうか? お時間がございましたらご回答お願いいたします。
補足
以下の内容でお礼します。よろしいですか? 私の「建前は結構です。」という趣旨をご理解していただいていなようです。 私は、「お任せします。」の時代の話はしていません。焦点がずれているのはそちらのほうでは?最近「お任せします。」なんてことがないことぐらい小学生でも理解しています。 あと、有効性がどうで、保険制度の範囲でどうのこうのとおっしゃっているということ自体が私からみると建前なんです。 一番効果的と分かっていても確信がない治療を貴方は実際におこなっているんでしょ、>妥当な医療を目指すしかない、という発言が物語ってるのではないのですか、 患者、家族に対して良心をもって進めているのか、それに自信があるのかという医師の本音を聞きたくて質問しているんです。 あなたのように医療現場ではこうだからとか、ああだからとか聞きたくない発言があることを予想して「削除させていただきます。」の旨を書かせていただいたまで、えらそうな態度と取り違えるようではいかがなものでしょう? どういう医療が求められているかどうかなんて私は興味ありません。本音ですよ、本音、