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人から見た自分と本当の自分
- 心から笑えていない私の本当の姿とは?つらい過去や孤立感について。
- 他人とのコミュニケーションが怖く、自己否定する私の心の声。
- 自分を騙していると感じ、人との関わりに疲れていく様子。
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>>このまま私はゆっくりどんどんダメになっていくのでしょうか そんなこたあないです。 人は誰でも産まれながらにして、不可侵の確固たる自分がいます。 あります。 唯、多くの人は育ちの中で、色々な目にあったり、学習したりして、本来の自分を見失います。 本来の自分との信頼関係が損なわれる・・と言い換えても良いでしょう。 他人の目や言葉が気になるのは、その典型的な例でしょう。 確固たる自分がいれば、本来の自分なのですから、他人など気になりません。 気にならないと言っても傍若無人に振る舞っても良いと言う意味ではありません。 とても、良い関係が築けます。 さて、本来の自分はすでに、ある・・いるのですから・・ それを思い出すだけ・・ その思い出した結果を自分がいるとか、自分を確立するとか表現しています。 元々いるのですから、付け加える必要などないのです。 理屈は簡単でしょう? 人は(人に限らずなのですが)外部刺激に反応する様にできています。 外部刺激に反応出来なければ、多くの場合は自分の死に至る事が多いことでしょう。 人間以外の生き物は外部刺激に反応していれば、運が良ければ天寿を全うできます。 が、人はそれだけでは生きてはいけません。 もちろん、肉体は生きているので、見かけ上はそれで良しなのですが、残念ながら精神が満足出来ないのです。 で悩みやら何やらが出てきます。 それを解消するために一般的には、色々と飾り付けをします。 学歴やら、宝石やら・・あるいは勲章やら、洋服やら、あるいは家とか家柄などなど・・と、ありとあらゆるものをです。 が、それで本当に満足出来るかと思えば、それをやった所で本当の満足は得られないことでしょう。 欲には限りがありませんからね・・一つを得れば、もっと・・もっととなる事必然でしょう。 >>心は右へ左へ揺れて これぞ正しく、自分がいない状態ですね。 自分がいれば、どの様な選択をすれば良いのかが自ずと分かります。 頑固になると言う訳ではありません。 もし、その選択が違っていても、訂正するにも、あれこれ考えたりしません。 臨機応変・・が本当の意味で行われるだけなのです。 自分を確立する。 本来の自分を思い出す。 それには、色々なアプローチの仕方があります。 もう、無限と言っても良いくらいに・・です。 が、私は、足裏感覚を思い出す事を勧めています。 立って居る場合、本当は足裏には自分の体重が乗って居て、重さを感じているはずなのに、普段は全くその様な事に思い至りませんん。 しかし、一寸気持ちを足裏に向けてみると・・足裏には何かを感じます。 まあ、体重なのですが・・・ それを感じる事を、地に足を着けるとも言います。 が、直ぐに忘れます。 一寸した外部刺激にがあるとね。 それはさておき、 足裏感覚・・にいる、これは本来の自分を見つめていることなのですが・・・ まあ、難しくは考えずに・・ 歩く時にも足裏感覚・・を感じながら。 座っているときにはお尻に体重を感じる・・これも足裏感覚と同じです。 何時も自分の体重・・重さを感じていられるようになれば・・自分なかに変化が起きている、あるいは起き始めている事を感じる事でしょう。 他人からのあれこれなど気にならない、独立独歩の自分の存在を・・・
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- sayakannn
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こんにちは。 本当に本当に卑屈で心の醜い人の「作りものの笑顔」なら 周りはわかります。 あなたの笑顔は 周りを幸せにしてくれてる。 あなたはきっと心もきれいな素敵な人。 辛い時は泣いて、涙でグダグダを流しちゃいましょう。そしてまた笑いましょう。 私もあなたを見習って 笑顔でいれるようにしますから。
お礼
ご回答ありがとうございます。 つらいときはもちろんつらいと言いたいですが、 他の人もみんな頑張ってるんだからと思うと何も言えなくなります。 強くいなければいけないわけじゃないと百も承知しながら 泣くならひとり部屋にいるときに… と思ったりします。 笑うばかりじゃない、泣いて笑ってできる人生は 昔からの、私の理想とするものです…。 お互い頑張りましょう!
わー自分と似た風なひとがいるwwwと思いました。 ただ、私はあなたみたいに「遊びにいきませんか」とか「休みはなにしてた」 みたいに色々、話掛けられるわけじゃないけど じぶんダメだなと思うけど、自分のこと心の底では好きって思えるよ、 そこがちょっと質問者さんとちがうかな あなたが人から好かれているんだったら、素直に褒められたって思えばいいじゃない 「いやでも、これは偽りの笑顔なんだ(泣)」と思ってる? それは、あまいと思うよ。なぜかというと、つらい過去をもってたってそれは皆同じ。 偽りの笑顔とかなにを寝ぼけたことを……いっとるんだ! なんて思うよ(^^ きつかったらすいません。 穏やかな気持ちで書いてるのでゆるしてね。 とりあえず、悩んでもいいし、何したっていいんだからスキに生きなよ。
お礼
ご回答ありがとうございます。 「好きに生きる」というのがなかなか私には難しいようです。 回答者さんがおっしゃってくださるように、 笑ってても、偽りの笑顔だとか思わずにいられることこそがきっと、 私に必要なことのひとつじゃないかと考えます。 これから私はたぶん何度も悩んだりを繰り返すと思いますが、 思うように生きる、好きに生きることを目指して できる限り頑張っていきたいです。
- foosun
- ベストアンサー率12% (13/104)
人って好きでもない人に自分から話しかけたりしないよ。時間の無駄だし。 いい人ぶってる自分が嫌というのは何となくわかる。いい人ぶってない、本当の自分にも近づいてきてくれる人がいいんだよね。 では、いい人ぶるのをやめればいい。「あー疲れた」とかみんなの前で言えばいい。そうしないと、周りの人も本当のあなたがわからないよ。 つまり、あなた自身が、いい人ぶるのをやめたがっていないのでは?(例えば、素の自分をさらけ出すのが怖いなどの理由で) 私も人間関係には面倒くささと素晴らしさの両面があると思います。 でも、そういう葛藤があるからこそ相性の合う友人や恋人と出会ったときに嬉しいのだと思います。 小さい子供は自然に仲良くなれますが、仲間と一緒にいることで得られる充実感は大人の関係に比べて低いでしょう。なぜなら一緒にいられることの有りがたさが子供にはまだわからないからです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 もちろん私もいつも笑顔ばかりしていられない、疲れるときもある、 哀しいときもある、怒りたいときだってありますが、 偽りの笑顔でも、そうしてきたからこそひとは辛うじて私のそばにいてくれる、 だからそれをやめたらきっとみんな私を離れていくんじゃないかと、 そんな怖さが私にはあるんです。 でも私は、素の自分をさらけだす勇気を持たなければなりませんよね。 それで離れていくひとがいればしょうがないことだし 離れていかないひとを大切にしていけばいいと割り切る、 そんな簡単なことでいいんですよね、きっと。
頑張ってますねえ。ここまで誠実な人は久しぶりに見ました。例えあなたはあなたの事が嫌いでも、他人はあなたの事を好きになりますよ。 でも、一人で居たい時は、一人で居れば良いです。自分と向き合ったり、深く物事を考えたりするのは、一人じゃないと出来ません。 あなたはマトモな神経を持っていたが為に、自分で自分を騙せなくなってしまった。それを「ダメになる」と言うのであれば、確かに歯止めも効かないし、引き返す事も出来ないでしょう。 しかし、諦めるのは、まだ全然早いです。逃避や慰めを求めるのはもう止めて、自分も他人を騙さないで済む生き方や、本当に正しい生き方を模索してみて下さい。 正しい努力や、心の闇と向き合う経験は、決して無駄にはなりません。必ず、何らかの形で、報われますよ。
お礼
ご回答ありがとうございます。 自分にとっての本当に正しい生き方を探すことは つらくてもできる限り続けていきたいです。 このままじゃいけないという気持ちは心のどこかにずっとあって ああでもないこうでもないを繰り返していつか目指す所に 辿り着けたらいいなと思います。 こんなふうに、助言をいただいて背中を押してもらえただけでも また少し良い方へ頑張っていけそうな気がします。
- Virgo74
- ベストアンサー率12% (19/152)
他人に気に留められるということは、それだけあなたに興味があるということではないでしょうか。御自身が自分のことを嫌いでも、相手方はそう思ってない。『二度とかまわないで』と面前で言えれば追い払えるかも知れないが、そうでなければ、構われ続けます。 そこで「本当はどうなの?」みたいなことを言ってくれる人がいるとまた違うんでしょうが。 とにかく、幸せそうと思われることから逃れる術はないし、どんなにあなたがいやな人間でも、周りをだましているなんて考える必要もない。所詮は他者の言動とサラッと流すだけでいいんです。 私も10数年前に人間関係において大打撃を喰らって、メッキリ人付き合いをしなくなりました。40間近だというのに友達も恋人もいません。いつか良くなるだろうなんて淡い期待を持ちましたが、何の変化も起こらなかった。当然といえば当然なんですが。 つまりは、行動を起こさずにダメになると思い込んだら、ダメになります。そうなりたくなければ、必死に抗って自分を変えるしかありません。 一人で鬱ぎ込んでもなかなか変えられません。が、あなたは幸か不幸か人に気に留められるという魅力を持ってます。付き合いは面倒かも知れませんが、ふと、何かが変わる機会が訪れる可能性は高いと思います。相手を利用するぐらいな気概を持って生き抜いてみては。
お礼
ご回答ありがとうございます。 ひとから何を言われようが私は私だからと割り切れる気持ち、 良い意味で割り切れる気持ちが私は欲しいです。 でも頭で思ってるだけじゃきっと何も変わらない、 人と人との付き合いは気持ちを行動に移さなきゃダメなんでしょうね…。 正しいか間違いかより、目的の為に自分がどうしてきたか、 それを10年20年後にはっきりと言えるような努力を 心に無理をせずやっていきたいと思います。
これを読んで わたしが書いた文かと思うくらい同じことを思っています。 自分も明るくて社交的でしっかりしているようにみられますが、本当はかなり疲れています。 誰とも話したくもなく会いたくもないことがほとんどです。 まわりと距離を置いています。人の近況なんてどうでもよいですし聞かないでほしいくらいです。 自分に全く余裕がないからこうなるんですよね。 早く余裕をもてるようになりたいですが 過去の悲しい経験などで気持ちは希望がない状態になり このまま孤独死なんじゃないかと怖くなります。 とにかく疲れたら無理を全くしなくてもよいんじゃないかと思いますが実際そういかないから こうなるんですよね。 他人に関わらなくてよいんなら関わらなければよいんじゃないですか。 しばらくしたら気分が少しだけ変わるかもしれません。
お礼
回答ありがとうございます。 本当に、心に余裕を持つことは大切ですよね。 心に余裕がないとき、自分の足元がしっかりしてないときなんかは、 何をやっても何を考えても悪い方に転がってしまいますね。 今まで敢えてひとの中に入っていって くたびれながらもあれこれ試行錯誤してきましたが、 それでダメだったから一度、人に関わらずに一人の時間を増やしてって、 そういう日々を1年、2年と過ごしてみようかと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 確固たる自分… というのは私もいつも考えます。 ひとに左右されない、自分は自分だと思える強さがあればと思います。 そのゆるぎない自分を手に入れるにはどうすればいいか悩んで 思いつく限りのことをしてきましたがうまくいきませんでした。 でも、足裏感覚のようなものは重要ですよね。 身体的にも精神的にも「自分の重さ」を意識していくことを これから頑張ってみたいと思います。