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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:エホバの証人はどのような宗教なのでしょうか?)

エホバの証人とは? センセーショナルな宗教の実態を解説

このQ&Aのポイント
  • エホバの証人は、長時間の労働を必要としない生活を求める宗教であり、学業も同様です。
  • エホバの証人は、国歌や校歌の歌唱を禁止しています。
  • エホバの証人は、習い事やクラブ活動などの妨げとなると考えており、子供がしたいと言った場合は対応に慎重になります。

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noname#259625
noname#259625
回答No.24

これは、A No.23 yangmaskへのお礼に対する返答です。 >あの環境では子供が考えるという機能が損なわれてしまいます。子供の時に宗教は如何なものかと感じます。親として弊害になる部分を見過ごして良いかどうか疑問にも感じています。    「考えるという機能が損なわれる」というのは具体的にどのようなことなのでしょうか。以前話し合ったような「エホバ神が絶対的な存在だからエホバの証人の教義には絶対服従」ということが関係しているのでしょうか。 >武道禁止の定義ですがエホバは組織が解釈した武道禁止を大前提に解釈するから自動的にそのための理屈を作っていないでしょうか?    エホバの証人の考え方をどう評価するかは各人の自由だと思いますが、それと同時にエホバの証人が武術をどう評価するかもやはり尊重されるべきだと私は考えます。しかし、説得は可能です。多分、bonjin0909さんはその努力をなさっているのでしょう? しかし、その説得がいかに論理的で明快であってもやはり最終的にはそれが受け入れられないことがあるものです。それを想定したB案のような他の対策の検討も必要かもしれません。 >・・・神はイザヤ2:4の聖句もそうですが、ガラテアの肉の業の部分もそうですが、直接、武道禁止の定義に結び付ける事は乱暴であるように思います。    この点について、一言。bonjin0909さんの見解は尊重します。しかし、それが実質、他者に受け入れられるには、その見解の正しさを「証明」しなければなりません。「これこれこういう理由で私の見解は正しいということができます」というような形で示さなければ他者はbonjin0909さんの見解を容易に受け入れることができないでしょう。あるいは、先回、イザヤ2:4がなぜ格闘技の授業をしない理由とつながるのかを示した私の見解を具体的に挙げて、その間違いを証明するという形でもよいと思います。いずれにしても、「証明」なしのただの主張だけでは説得は成功しないと思います。    「>この答えは武道のみならず、スポーツ全体を否定しています。そして、スポーツだけではなく、仕事する上でも勝負はあります。」→その人の考えだとそうかもしれません。それで、その人の場合、ある種の闘争心をあおるスポーツを避けたり、競争心の激しい職種や職場を選択しないかもしれません。当然、その人は武道もしないでしょう。それで、この人が、あるいはその子供さんが武道の授業を受けないとしても何も矛盾はないと思います。(要するに、スポーツや仕事に関する許容度は各人で幾分違うけど、格闘技に関しては見解が明確であるということです。)     「>聖書が作られた時代に武道と言うものが存在していない中で・・・」→当時も戦争がありました。人を傷つけ、または殺すためのノウハウは「武道」という名前ではなかったにせよ、存在したでしょう。しかし、当時の神の民であったイスラエルは戦いをしていました。しかし、イザヤは新しくエホバ神の元に集まる民について述べており、「彼らはもはや戦いを学ばない」と預言したのです。それで、先回述べたように殺傷行為に転用し得るノウハウをあえて学ぶことをエホバの証人がしないというのはこの聖句と何も矛盾していないと思います。    ちょっと手厳しい反論のように思えたなら許してください。説得の練習だと思って再び思考してください。時間をかけても結構です。私はbonjin0909さんのご家庭が幸せな方向へと向かえるよう願っています。    まとめると、(1)各人の考えは尊重されるべき、(2)説得には主張だけでなくその正しさを証明することが必要、というのが今回の要点でした。この指針に異議があれば述べていただきたいのですが、そうでなければこのような方針で質疑応答したいと思います。

bonjin0909
質問者

お礼

(1)各人の考えは尊重されるべきはそうです。 (2)説得には主張だけでなくその正しさを証明することが必要だと思いますが、相手が聞く耳を持たなければ話は進みません。 ちょっと手厳しい反論のように思えたなら許してください。説得の練習だと思って再び思考してください。⇒残念ですが、 yangmaskさんはフリーのクリスチャンではないですね!!輸血禁止の時から感じていましたが、聖句の解釈はエホバそのものですね。 bonjin0909さんのご家庭が幸せな方向へと向かえるよう願っています。⇒娘が信者になって私がマイコンされたら価値観が共有されますから幸せになりますよね!! 余計なお時間を取らせてすみませんでした。

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その他の回答 (23)

noname#259625
noname#259625
回答No.13

これは、A No.12 yangmaskへのお礼に対する返答です。 >聖書(神)は公正もしくは平等を重んじてはいないのでしょうか?    http://okwave.jp/qa/q7392685.html で私yangmaskがA No.11として答えています。まず、そちらをご覧ください。    結局、神は人間の自由意志を重んじるゆえに、強制されません。ふるいにかけられることにより、本当に神の正義を求めていた人たちは組織に残ることを選択し、そうでなかった(ただ楽園がすぐに来ることだけを願っていた)人たちは組織から離れることを選択したということです。(以前挙げたヨハネ6:22-71がその前例です) その選択にだれからの強制もありませんでした。しかし、神はそのように各人が選択せざるを得ない状況を生じさせた(ふるいにかけた)ということができます。その目的は、組織の精錬にありました。    確かに、神はすべての人が救いに至ることを望んでおられます。しかし、現実には自分の欠点や利己的な傾向など神が否としておられる特質を改めない人がおり、神はご自分の正義をそれらの人に強制はされません。その人たちは警告を再三受けることになりますが、悔い改めなかった結果、処罰を被ることになるでしょう。しかし、処罰は飽くまで最終的な段階であり、神は悔い改める猶予を十分にお与えになります。いずれにしても、人はみな自分のまいたものを刈り取るということです。(ガラテア6:7) 悪いことをした者には処罰が臨み、良いことをした者には報いが与えられます。その点で神に不公平はありません。 これは、A No.10 yangmaskへのお礼の(後半の質問)に対する返答です。 >先生は認めてくれるかも知れませんが生徒はどうでしょうか?(3)(12)の質問に連動しますが、元2世信者の話を聞きますと孤立したり、不思議な子供だったり、それが原因で虐められたり、エホバの信者とわかったらそれが原因でその親から圧力が掛ったりで難しいとも感じています。    エホバの証人の子供さんの場合、彼らがしっかりした確信を抱いていて一貫した言動を示すのであれば、かえって尊敬の念さえも得られます。「こいつは確かに変わってるけど、何かすごい奴だ」と思うわけです。しかし、逆に確信がいまいちでおどおどしており、絶えず人の目を気にして萎縮しているなら、周りの人は「単なる変な奴、っていうか、おどおどしていてキモイ奴」としか思われず、いじめの対象になるかもしれません。そういったところに違いが現れるのだと思います。それで、前者のような姿勢で学校生活に臨むなら、先生からも生徒からも理解を得ることは十分可能だと私は考えます。    ですから、娘さんがもしエホバの証人スタイルで学校生活を送るという意向であれば、確信をもってブレのない首尾一貫した言動を心がけるべきでしょう。問題は、娘さんがどれほどその教えを確信しているかというところにあります。確信するとは、確かな根拠に基づいてある事柄がなぜ正しいと言えるのかをしっかりと理解している状態ということができます。娘さんはなぜ国旗敬礼をしないのか、部活動に入らないのかなどの起き得る諸問題について、どれくらいの確信を抱いているでしょうか。ただ、奥様や他のエホバの証人の方々からそう言われたからそうしているというだけでは、bonjin0909さんがお調べになったように、板ばさみ的で大変かわいそうな学校生活を送るはめになるかもしれません。    娘さんのことがとても心配だと思います。それで、娘さんがどの程度確信をもってそれらの問題にあたっているのか、その点を具体的に確認してみるとよいと思います。奥様の時と同様、レポート形式か交換ノート方式をお勧めいたします。その際、事前にルールを設定しておくのもよいと思います。例えば、互いの見解を尊重する、怒らない、意見を(口頭で)述べる際には話をちゃんと最後まで聞くなど、宗教とは全く関係なく人間どうしの話し合いをスムーズに行なうための基本ルールです。こういう宗教的、信念的な問題は大変デリケートなので、一歩間違うと大議論となり、理解や調和どころか、対立してしまうかもしれません。事前にルールを設定してそういう事態を回避できるとよいと思います。    娘さんの気持ちを私は正確に知りませんが、もしかしたらエホバの証人の教えを実践したいものの、お父さんと疎遠になるのも避けたいと思っているかもしれません。それで、頭ごなしに否定したり、命令したりすれば、たちまち心の壁を作ってしまいます。もし、bonjin0909さんがお父さんとして寛容さを示すなら、娘さんの方もお父さんを理解者とみなして心を開き、お父さんからのアドバイスを受け入れやすくなるでしょう。これは別にエホバの証人の子供だけに限ったことではないはずです。思春期の子供たちが親に反発し、非行に走ったりする第一原因はやはり親と子の間に溝、心の壁ができることから始まるのだと思います。といっても、卑屈になって何でも子供の言いなりになればよいというのとは違います。子供は「理解してくれる親」を必要としていますが、「いつでも頼りになる(力強い、賢い)親」も期待しています。特に家長である父親には力強く賢明なリーダーシップが求められています。しかし、母親である奥様と連携しなければこの「大技」はなかなか決まるものではありません。ですから、娘さんに当たる前に、やはり奥様との密接な意見交換を行なうことをお勧めします。そして、夫婦で一致した教育方針を固め、娘さんがお父さんとお母さんの間で板ばさみになって悲しむことがないようにしてあげてください。

bonjin0909
質問者

お礼

娘さんがもしエホバの証人スタイルで学校生活を送るという意向であれば、確信をもってブレのない首尾一貫した言動を心がけるべきでしょう。という事は考えていません。それはこの子の性格です。 「エホバの証人の子供さんの場合、彼らがしっかりした確信を抱いていて一貫した言動を示すのであれば~先生からも生徒からも理解を得ることは十分可能だと私は考えます。」ですが、子供のとってはハードルが高すぎます。幼い頃、私も母を亡くし、父ともいっしょの生活をせず、12歳まで祖父母に育てられました。中学生になり、新しい母が来たのでそれから同居するようになりましたが、他の子と環境が違うだけで最初は虐められましたが、最終的にはぐれた少年時代になりました。私の子供はぐれるというより我慢すると思われます。その理由は性格的・エホバの教育内容を考えるとそのように予想しています。我慢する事はストレスをためる原因になり、ネットでよく見る元2世の声及び実際にお会いして話も聞きました。私にとっては衝撃的な内容でとても我が子をそのような状況にはさせたくないというよりさせてはならないと思っています。13個の質問についてですが、3,4,6,7番だけ少しずつ教えて下さい。すみません、勝手なお願いばかりで!!

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noname#259625
noname#259625
回答No.12

これは、A No.10 yangmaskへのお礼に対する返答です。 >私が宗教に対して無頓着だからなのかも知れませんが、無責任な組織に見えてきます。なぜならば、その時代に生きていてその事を信じていた人は気の毒に思います。ハルマゲドンが1975年に来ると信じた人はその後の人生はどのようになってしまうのでしょう?自己責任では済まされないように思えます。    <クリスチャンはふるいにかけられる> 確かに、1975年に終わりが来ると信じたものの実際には来なかったためにエホバの証人の組織から離れたり、熱意を失ったりした人がいたと聞いています。その点に関する私の見解を述べます。例えば、ある液体に試験液を入れると色が変わり、その色によって酸性かアルカリ性かが分かるという実験をした覚えがあると思います。つまり、ある衝撃的な事件(試験液)が起きる時、その反応によって各人の心の中に何があるか(酸性かアルカリ性か)が明らかになるということです。その点を聖書はこう言っています。「据えられているもの,それはイエス・キリストですが,それ以外の土台を据えることはだれもできないからです。さて,この土台の上に,金,銀,宝石,木材,干し草,刈りわらで建てるなら,各人の業は明らかになります。その日がそれを示すのです。それは火によって表わし示されるからです。まさにその火が,各人の業がどんなものかを証明するのです。」-コリント第一3:11-13    この聖句で「火」と言われているのはクリスチャンにとって試練となる状況のことです。聖書はクリスチャンには必ず試練がふりかかると明確に示しています。その試練には外部からの迫害だけでなく、組織内で起きる問題などもあります。ですから、例の1975年説によって「やめた」と言った人たちはそもそもどんな動機でそれを始めたのかということが明らかになったと私は考えます。(私もこの問題に関心があったので公正な観点から自分なりに熟考したことがありました。)1世紀にも最初はイエスに従ったもののイエスの言葉に「つまずいた」と言ってイエスから離れていった人々が大勢いました。聖書にこう記録されています。「そのため,彼(イエス)の弟子のうち大勢の者は,これを聞いた際に,『この話はひどい。だれがこれを聴いていられようか』と言った。・・・このために,弟子のうち多くの者が後ろのものに戻って行き,もはや彼(イエス)と共に歩もうとはしなかった。」-ヨハネ6:22-71    聖書のこの部分を全部読むと分かりますが、彼らは単に物質的な安定を求めてイエスに近づいたに過ぎず、本当に神の正義を求めてイエスに近づいたのではありませんでした。実際のところ、イエスは彼らがあえてつまずくようにさせたのであり、このようにして本当に神が求める正義を愛する人だけが残るようにされました。つまり、彼らは「ふるいにかけられた」のです。例えば、人がつまずく時、その原因は何ですか。小石か何かが足に引っかかったのかもしれません。では、小石が原因ですか。いいえ、小石はそのきっかけに過ぎません。実際、全く同じ状況でつまずかなかった人もいるのです。ですから、その根本原因は実のところその人の安定性にあったということができます。信仰のうちにしっかり立っていた人はつまずきませんでしたが、そうでない人たちは倒れました。ですから、1975説により彼らはふるいにかけられたのです。    <その本当の根本原因は何か> 要点を明確にするために、もう一つ例えを示します。例えば、誰かに悪口を言われた人がいたとしましょう。その人は怒って、もしかしたら暴力さえふるうかもしれません。そして、「悪口を言った人が悪い、自分は間違っていない」と考えるかもしれません。それでも、その人は最悪、暴行罪で逮捕されるでしょう。しかし、もう一方で、別のある人は全く同じ状況で悪口を言われたにもかかわらず、それをスルーして何事もなかったかのように通り過ぎて行きました。では、前者の人が怒った根本原因はどこにありますか。また別の例えを聞いてください。ピストルの引き金を引いらどうなるでしょうか。一つ目のピストルからは弾丸が発射されて人を傷付けてしまいました。当たり前だと思いますか。しかし、別のピストルは引き金を引いたにもかかわらず、カチッという音がしただけで、何も起きませんでした。なぜですか。弾丸が抜いてあったからです。ですから、引き金を引きさえすれば、弾丸が発射されるとは限らないということです。むしろ、引き金を引くことは単なるきっかけにすぎず、その根本原因は弾丸が入っているかどうかということにあります。人が怒ることも同じです。悪口を聞いたのは単なるきっかけに過ぎません。それによって、自分の心の中に抱えていた「爆弾」が爆発したというのが本当の根本原因です。ですから、1975年説の場合、「預言が外れた」のは引き金を引いたことに対応しており、きっかけに過ぎませんでした。しかし、それによって各人の心の中に何があるのかが明らかになったのです。    人は人生の壁にぶつかると、二種類の反応を示します。一方はいじけてしまう人、もう一方はその壁を乗り越えて成長する人です。前者はその問題を他者のせいにし、「あの人がこうしてくれていたら」とか「世の中が悪いからだ」などと愚痴をこぼします。後者はその問題で明らかになった自分自身の反省点を謙虚に認め、改善するゆえに、人間としてさらに成長していくのです。あのイエスに対してさえも「この話はひどい。だれがこれを聴いていられようか」と言った人たちがいたのですから、現代に同じような人がいたとしても別に驚くべきことではありません。私もつまずいた人たちのことは気の毒だとは思いますが、いつまでも「統治体のせいで・・・」と他者の責任ばかりに注意を集中して、自分自身の反省すべき点を直視しようしないならその人には何の進展もないでしょう。つまり、壁を乗り越えるには自己精錬が必須で、それはどんな理不尽な状況であったとしてもそうなのです。例えば、戦争や災害に遭いながらも愚痴を言うどころか人としてさらに器の大きくなった人たちについて考えてみてください。彼らはエホバの証人とは全く関係ありませんが、しかし、自分の内面、つまり見方、考え方、価値観などを調整した人たちです。内面を精錬せずに人は壁を乗り越えて成長することはできないのです。実際、1975年説の試練を乗り切った人たちはそのようにして見方を調整し、神の訓練にこたえ応じた人たちなのだと私は評価しています。    他の人の責任ばかりを追及し自分は被害者だと愚痴を言う人は、自己責任を回避し、できれば他の人からの同情と賛同を得ようとしていると私は考えます。とても冷たい言い方だとお感じになるかもしれません(私自身もそう思います)が、とても厳しいのですが、そのような人たちはその点をはっきり認識して、自己改革を行わない限り、明るい将来はないでしょう。それとも、エホバの証人の責任者が謝罪して、慰謝料を払ったりすれば、その人は幸せになれるのでしょうか。私は彼らが問題の根本原因を直視することを願います。一生愚痴る人で人生を終わってほしくありませんよね。    先回も述べましたが、エホバの証人の組織の是非に関しては聖書の歴史的な事実に基づいて評価しなければ正当な(聖書的な)評価とは言えません。クリスチャンの組織内でも問題は起きます。そして、そのような試練によってふるいにかけられることもあります。神とキリストがどのように組織を導き、指導しておられるのか、その方法を聖書から理解する必要があるでしょう。例えば、コリント人への第一および第二の手紙を読んでみてください。会衆内に様々な問題があったということ、それによってどんなことが起きたのかが洞察できると思います。また、物事の真の根本原因が何かを見極めることの重要性もお伝えしました。説明が難しかったなら、遠慮なくまた具体的にご指摘ください。後半の「先生は認めてくれるかも知れませんが生徒はどうでしょうか?・・・」の質問についてはまた後日回答させていただきます。

bonjin0909
質問者

お礼

いつもありがとうございます。気になったのが1975年当時の事ですが、聖書(神)は公正もしくは平等を重んじてはいないのでしょうか?yangmaskさんの言いたい意味は解るのですが、神はふるいにかける事をするのですか?当時も信者になったばかりの方、長く勉強している方等個人差があると思います。そうだとしたら、神の都合に人々は操られてるだけに過ぎないと感じてしまいます。これは組織がした事でしょうけれど、無宗教の私から見たら怖い話ですね。ふるいにかける一例をネットでみたのですが、1969年8月8日号15ページ目覚めよのメッセージで「若い人々にはどんな将来があるか」という記事にはとても驚きました。この内容を見ると神とは・・・・?という原点に戻ってしまいます。しかしながら、yangmaskさんのおっしゃるようにエホバの証人の組織の是非に関しては聖書の歴史的な事実に基づいて評価しなければ正当な(聖書的な)評価はできないと思っています。今は聖書から論じるという冊子を中心に無い頭を絞って研究しています。

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  • pantomana
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回答No.11

>エホバの証人はどのような宗教ですか?。 エホバの証人(JW)はこの世の終わりの前に現れると聖書に預言されている全ての徴を成就している偽預言者で、神が14万4千人の残りの者を選び、聖霊の証印を捺す為の選びの器(旧約のイスラエル、ユダヤ人と同じ)です。 教義自体は聖書の理解度10%位で、神の理解、イエスの理解、YHWH(エホバ)の理解、などは聖書全体と一致した理解ではありません、また崇拝の方式もイエスの教えた霊と真理での崇拝ではなく、旧約の山やエルサレムと言った物質的な崇拝方式です。イエスの建てた神殿は霊の神殿(教会、会衆)です。 JWは、獣であるカトリックとプロテスタントの三位一体を否定し(これは正しい)その背に乗って「我々こそ真の神のものだ」と立ってはならない聖なる場所に立っていますので、真理を求め本物の神を求めている人々は欺かれ安くなります。 そうした集まりの中で集会や奉仕活動や友の為に不義の富を使い果たし、神の本当の愛やキリスト・イエスの本当の教えを求める者を選び出す為に真の神が利用している悪魔の組織と言う事が出来ます。 JWは滅びの子です。イスカリオテのユダも滅びの子でした、解りやすい共通点はユダは金庫番でしたが、常々くすねていました。JWも、会衆では明確な会計報告をしますが、協会の会計報告は一切ありません、報告出来ない用途に使用している(くすねている)からです。 これがものみの塔、エホバの証人の聖書からの実体です。

bonjin0909
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。結局、ビジネスとして信者の方々は利用されているという事ですかね!!しかし、世界中でこれだけ多くの信者を集めているという事はとても頭が良い組織なのでしょうね!!私にとっては困りますが・・・・。

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noname#259625
noname#259625
回答No.10

これは、A No.9 yangmaskへのお礼に対する返答です。 >ハルマゲドンについてですが、3回位予想が外れたというコメントをネットで見たのですが、これについて信者の方々は可笑しいと思わないのでしょうか?また、予想が外れた事に対して組織はどのようなコメントを出したのでしょうか?    多分、それは、1914年、1925年、1975年に終わりが来るという考えだと思います。しかし、この問題に関する批判は、「エホバの証人が本当に神の組織なら預言が正確に当たるはずだ」という前提に基づいているのだと思います。果たしてその前提が正しいと言える根拠は何でしょうか。ところが、過去、実際に本物の神の僕たちがどのように聖書預言をとらえ、それを成し遂げていったのかは聖書そのものに記録されているのです。    例えば、イエスが処刑されて、三日目に復活し、イエスの弟子たちの前に現れた時、弟子たち(本物の神の僕たち)はイエスにこう言いました。「主よ、あなたは今この時に、イスラエルに王国を回復されるのですか」。つまり、弟子たちはかつてダビデ王やソロモン王が築き上げた古代イスラエル王国をイエスが再興するのではないかと考えていました。(当時、イスラエル人という民族は存在していましたが、かつての王国は分割されてローマ帝国の属州となっていました。多くのユダヤ人はローマの圧制から解放してくれる「政治的な」メシアを求めていました。それで、彼らはイエスを王にしようとしたことがありましたが、イエスはこれを退け、政治に干渉するつもりがないことを示されました。弟子たちも他のユダヤ人の影響を受けていたと思われます。) ですから、弟子たちの質問は、全くの検討違いな予想でした。イエスはそれとは全く異なった仕方で神の業を成し遂げるつもりでした。使徒たちの活動1章6から11節を見てみてください。(この節の説明がちょっと難しかったならごめんなさい。要するに、過去の神の本当の僕たちも預言に関する検討違いな予想を抱いていたものの、徐々に調整を加えられていったというのが記録上の事実なのだということです。)    このように、多くの人の考えと違って、本物の神の組織が実際にどのようなものかは聖書そのものに記録されており、もし現代に神の組織が存在するなら、その同じ「型」を踏襲していることでしょう。確かに、彼らも間違いを犯しますが、それでも神は彼らの不完全さを辛抱しつつも彼らの聖書預言に関する並々ならぬ熱意ある関心に目を留め、預言の成就に関する洞察をお与えになりました。ですから、エホバの証人を評価するにあたって「預言が外れた」という点よりも、彼らの行動の記録が聖書預言と調和しているかどうか、またその成就となっているかどうかを検討した方がより正当な(聖書的な)評価ができると思います。その評価についてはご自身にお任せします。その点に関する組織からのコメント等をお求めならば、奥様にお尋ねください。私の手元に資料がないので。しかし、私の見解を繰り返しますが、「予想が外れた」=「彼らは偽物」というのは飽くまで全く聖書(の記録)に基づいていない前提だということです。    ついでながら、このような「間違った前提に基づく不当な評価」は(エホバの証人に対する批判に限らず)結構多いような気がします。この前コメントした輸血拒否に関する問題でもそうでした。「命が何よりも優先されるべき」という前提は、多くの人が命よりも重要な大義を持っているという事実により正当とは言えないということを示しました。この「間違った前提」は人が間違った結論を下すパターンの一つとして覚えておくとよいと思います。一見、正当そうに思える考え(前提)が多いのでより注意深い考察が必要ですね。 続いて、13個の質問の2にお答えします。 >2、国歌・校歌を歌う事はどうしていけないのですか?    まず、エホバの証人は偶像崇拝を神に対する違背とみなしており、国旗敬礼はその類のものと認識しています。それは霊的(宗教的な)淫行、不貞とみなされています。偶像崇拝とはエホバ神以外の何かを崇拝の対象として崇めることを指し、それは神仏の彫像のような文字通りの偶像だけに限らず、金や性、国家権力などのようなものも含まれます。実際、1世紀の初期クリスチャンは当時支配していたローマ帝国による皇帝崇拝を拒否しました。往々にして、国家権力は国民に対して祖国やイデオロギーなどに対する忠誠や絶対的な服従を要求してきました。第二次世界大戦が終結するまで、ここ日本でも国民に対して天皇崇拝が要求されてきたのは周知の事実です。とはいえ、現在の近代的民主主義の欧米や日本などの国においてはかなりの自由が許されるようになり、以前のような極端なまでの崇拝行為は求められていません。しかし、この国旗敬礼をエホバの証人の方々はその名残とみなして、それに加わることを辞退しています。    さて、それを踏まえて、国歌や校歌を歌わないという点について説明します。日本の国歌の歌詞は大変慎み深いのですが、大抵他の国々の国歌は祖国の勇士や偉業を讃える内容のもので、国歌権力の威信を誇示しているとのことです。それで、そのような国歌を歌うことは国旗敬礼と同じく、国家権力を偶像視することにつながるためにエホバの証人は歌いません。校歌の場合もそれと同様の考えでしょう。(愛国心とか愛校心) 確かに一般の人々は偶像とか崇拝とか忠誠などのような見方をしていないかもしれませんが、エホバの証人の方々は真剣にその意義を考えた上でそのようにみなしているというのもまた事実です。各人でものの見方やとらえ方に違いがあってもそれはやむを得ないことではないでしょうか。    しかし、もう一つ、彼らは「中立」という立場を大変重んじてます。中立とはある一方の勢力だけに加担・支援・助力したりしない、すべての者に対して公平な立場を取るということです。もし一方の勢力だけに肩入れするなら他の勢力と敵対することになるために、彼らはそのような争いの根本原因に加わることを避けます。ですから、ある特定の国家や団体、組織に対する忠誠やそれを賞賛するような行為(国旗敬礼や国歌斉唱など)は避けるのです。ですから、彼らは徴兵も拒否します。軍務による殺人を避けるという面ももちろんありますが、ある特定の国家や組織に加担しないという政治的な中立の側面もあります。    このように、エホバの証人は偶像崇拝を避け、中立の立場を貫くために国歌・校歌を歌いません。しかし、彼らには何を崇敬の対象とし、またどこかの特定の国家、組織などに忠誠を尽くすか尽くさないかなどを選ぶ自由・権利があると私は考えます。それにしても、娘さんに対する影響のことですが、結局は娘さんご本人がどの程度エホバの証人の教えている聖書の教義を確信しているかによると思います。特に今から十代になると自分自身の考えがよりはっきりしてきますので、まず強制はできません。つまりそれは、逆に、娘さんが聖書の教義に従うという道を退けるという場合も同じなのです。しかし、この国歌敬礼や国旗斉唱をたとえしないからといって学業や成績に悪影響があるということはまずないでしょう。しかし、新学年の始めごとに改めて新しい担任の先生や関係者の方に前もってその旨を伝えるのが普通のようです。多くの良識ある先生や生徒たちは彼らの(宗教的な)立場を認めていると思います。

bonjin0909
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。拝見させていただきましたが、私の理解力のなさから頭が早速、混乱してしまいました。予言についてですが、過去の神の本当の僕たちも預言に関する検討違いな予想を抱いていたものの、徐々に調整を加えられていったというのが記録上の事実なのだということです。及びエホバの証人を評価するにあたって「預言が外れた」という点よりも、彼らの行動の記録が聖書預言と調和しているかどうか、またその成就となっているかどうかを検討した方がより正当な(聖書的な)評価ができると思います。についてですが私が宗教に対して無頓着だからなのかも知れませんが、無責任な組織に見えてきます。なぜならば、その時代に生きていてその事を信じていた人は気の毒に思います。ハルマゲドンが1975年に来ると信じた人はその後の人生はどのようになってしまうのでしょう?自己責任では済まされないように思えます。(2)のご回答ありがとうございました。エホバの証人の考え方はわかりました。しかし、「この国歌敬礼や国旗斉唱をたとえしないからといって学業や成績に悪影響があるということはまずないでしょう。しかし、新学年の始めごとに改めて新しい担任の先生や関係者の方に前もってその旨を伝えるのが普通のようです。多くの良識ある先生や生徒たちは彼らの(宗教的な)立場を認めていると思います。」についてですが先生は認めてくれるかも知れませんが生徒はどうでしょうか?(3)(12)の質問に連動しますが、元2世信者の話を聞きますと孤立したり、不思議な子供だったり、それが原因で虐められたり、エホバの信者とわかったらそれが原因でその親から圧力が掛ったりで難しいとも感じています。ただ、 yangmaskさんの言う通り、私が意見を述べたところで現実はかわらないので直視した時の準備だけはしておきたいと思います。

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noname#259625
noname#259625
回答No.9

これは、A No.8 yangmaskへのお礼に対する返答です。 >私はフリーのキリスト教徒です。との事でしたが、yangmaskさんのお立場(フリー)の方はどのような場所でお会いできるのでしょうか?    私にもちょっと分かりません。私は全く個人で聖書を研究している者ですので・・・。そのようなコミュニティーは存在するかどうかは不明です。私の知る限りでは多分ないと思います。 >1、ハルマゲドンがくるから、長時間の労働は必要なく、この世での生活ができる範囲の仕事で十分と考えていますか?また、学業も同様ですか?    13個の質問に少しずつお答えいたします。どの程度教育を受け、どういう仕事に就くかということはエホバの証人の中でも各人で違うと思います。例えば、私の知り合いの独身の女性の方は全時間(月から金、多分8時から5時までの仕事)に就いていました。確か、眼科の受付の仕事だったと思いますが。その他、家族持ちの男性の方は自営で自動車用の塗料を販売していました。もちろん、これも全時間の仕事だったと思います。(私は若い頃にこの会社でアルバイトさせていただいたことがあったのです。)私の知る限りではその男性は後に長老になられました。ですから、どのくらい仕事をするかなどの問題は全く個人に任されているというのが現状だと私は思いました。恐らく、日本国内ではどこでも同じようなものでしょう。    それで、問題はその人が「なぜ私は仕事をするのか」との自問自答にどのような結論を出しているかによると思います。つまり、本人の認識の問題です。確かに、伝道活動という神のご意思を全うすることに心身を捧げたいとそれを生きる目標にしている人にとって、仕事とは飽くまで生活のための手段であり、目的・目標ではありません。ですから、ご指摘のように仕事の時間を生活ができる程度の最低限にとどめ、その他の時間を伝道するために用いることでしょう。しかし、聖書は自分と自分の家族を養う義務を重んじるよう諭しており、その義務を果たさないなら信仰のない人よりも悪いと明言しています。それはテモテ第一5章8節に書かれてあります。ですから、いくら伝道に没頭するとしても、家庭に必要なだけは稼がなければなりません。また、家事とか親の介護とかその他の務めも私の知っている皆さんはまじめに果たしておられました。ですから、どれくらい仕事をするかというこの問題については、本人の認識(何を目標としているか)と(どれくらい収入を得るかの)必要性のバランスに基づいて各人は決定しているのだと思います。    さて、bonjin0909さんは娘さんのことを心配しておられましたね。娘さんにこれからどの程度の教育を受けさせるべきか考えておられることでしょう。結局は娘さん本人が将来何になりたいと思っているのか、そのためにどの程度教育を受けたいと思っているのかにかかっていると思います。現実には、エホバの証人の子供さんでも大学に進学することがあり、それが何か罪に問われるということはありません。例えば、私の知ってる子は近所でも名の知れた秀才で、結局東京の一ツ橋大学に行き、司法書士の資格も取ったと聞きました。将来、それをエホバの証人の組織で活かしたいと思っているようでした。    もし、bonjin0909さんがある特定の進路を勧めようと考えておられるなら、なぜそれが娘さんにとって益となるのかを論理的に説明すべきです。いつも言うことですが、「とにかくこうしなさい」とか強制・命令的な方法は普通うまくいきません。それは別に相手がエホバの証人でなくても同じことです。現実には親が思っているのとは違う方向に子供が進もうとすることはよくあるものです。それは認めなければなりません(親は大変でしょうけど)。しかし、だからといってすべてを本人任せにしておくべきでもありません。親は未成年の子供を監督・保護する責任を負っており、子供が若さゆえに誤った道に陥らないよう見守る義務があります。ですから、逆に、娘さんがある特定の進路を進む意向を表明するようになったなら、それがなぜ娘さんの人生に益となるのか、その点を一緒に確認するのがよいと思います。ですから、娘さんの教育に関して、強制をすべきでもありませんが、放置すべきでもなく、しっかり娘さんが人生設計を上手に組み立てることができるように父親としてサポートしてあげてください。

bonjin0909
質問者

お礼

1つ1つご丁寧なご回答いただきありがとうございます。ハルマゲドンについてですが、3回位予想が外れたというコメントをネットで見たのですが、これについて信者の方々は可笑しいと思わないのでしょうか?また、予想が外れた事に対して組織はどのようなコメントを出したのでしょうか?

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noname#259625
noname#259625
回答No.8

これは、A No.7 yangmaskへのお礼に対する返答です。 >yangmaskさんはどのようなお立場の方かお伺いしても良いですか?    私はフリーのキリスト教徒です。でも、エホバの証人の方々との接触もあり、その辺の事情はかなり詳しいです。 >この問題は妻が変わるまで子供は日々、エホバ社会に染まるような気がしてとても怖いです。将来、精神的なダメージが起きないかどうか?    「恐れ」という感情の原因の多くは「知らない・分からない」ということにあるそうです。そして、分からないがために色々と消極的な想像にかられ、不安に陥ります。bonjin0909さんはこのままだと将来どうなるのか見通しが不透明だということを心配しておられるのですよね。ですから、現状は真っ暗闇を歩いているかのような状態だと想像してみてください。どうすべきですか。何か人影のような気配がします。それで、棒か何かを振り回して殴りかかるかもしれません。それは正当防衛だと言いますか。いいえ、そういうことが問題なのではなく、その殴りかかった人が実は悪者ではなく奥様だとか娘さんだったとしたらどうなりますか。実際に外国であった話ですが、夜中に台所で物音がしていたので、その家の主人は強盗だと思って恐ろしくなりピストルで先制攻撃をしたのですが、撃たれたのは水を飲みに来ていた自分の息子だったのです。このように、「恐れ」は冷静な判断力を失わせ、よかれと思ってとった行動が壊滅的な結果をもたらしかねません。彼らの教えをやぶから棒に否定・攻撃するなら、奥様はそれをご自分に対する迫害とみなし、家庭内はますます緊迫した状況に追い込まれていくだけです。    「恐れ」の解決策は無知な状態を解消することです。闇に光をスポットライトを当てることです。自分の知らないことを色々想像するのではなく、実際にそれがどんなものなのかを具体的に正確に知り、把握することが必要です。そうすれば、「何だ、そういうことだったのか」と分かり、分かることによって対策を具体的に練ることができ、その結果不安も解消されるでしょう。「たとえ、最終的にはそうなるとしても、まずは奥様のお考えを徹底的に分析し、正確に把握することが必要です」と先回私は書いたのですが、「たとえ、最終的にはそうなるとしても」とは奥様が最終的に変化するのがbonjin0909さんの願いだとしても、まずすべき手順があるということを示したかったのです。例えば、奥様との交換ノートなどにより、奥様の考えを正確に知り、分析してください。あせって手順を間違えてはなりません。また、彼らの考えに関する客観的な見解を知る点で私もご協力できれば幸いです。 >ですが、私の命もですが・・・恐ろしいと思っています。    この輸血拒否の問題に関して以前他の質問者に私が答えた回答を以下に記します。    エホバの証人の輸血拒否に関するこの問題について彼らの信仰を批判したとしても、信仰の自由が保障されている以上彼らの考えは変化し得ないでしょう。ですから、彼らに対する批判によっては現状は何も変わらず、誰をも救うことにはなりません。ですから、患者を救うという観点からすると、これは「下策」と言わなければなりません。また、現在、未成年の子供たちに対する輸血に関して親権を停止し医療を優先させるなどの方策が検討されていますが、これによってたとえ命が救われるとしても、患者やその家族の尊厳、価値観、信仰に悪影響が及ぶことはやむを得ず、これは「中策」と言わざるを得ません。では、「上策」があるのでしょうか。あります。すでに欧米では無輸血医療が発達しているとのことです。エホバの証人は現代医学を否定・拒否しているわけではなく、むしろ積極的に活用したいと願っているようですので、彼らでも受け入れられる無輸血医療が開発されたことにより、彼らの命と信仰・尊厳が両方とも同時に救うことができるようになりました。    エホバの証人はいわば「輸血の(宗教的な)アレルギー患者」ということができるでしょう。彼らは日本だけでも20万人以上います。医学界は医学的な仕方でそのような患者たちのニーズに応えるべきではないでしょうか。そのような無輸血手術という近未来的な先進医療は輸血に伴うリスク回避にも貢献し、エホバの証人だけでなく一般の人々にも恩恵をもたらすものです。かのエホバの証人の子供さんが亡くなった「大ちゃん事件」からすでに27年も経ちました。その間、医学界は何をしていましたか。繰り返しますが、医学界は医学的な仕方でこの問題に応えるべきです。現状の医療技術で満足していては現代医学の進歩はありません。日本においても無輸血手術が基本的な医療技術の一つになるなら、エホバの証人の輸血拒否に関するこの問題は完全に解決することでしょう。(以前の回答終わり)    bonjin0909さんの目指すところは娘さんの命の保障や安全性のはずです。そうでしたら、不必要に信仰を変えさせようとしても反発を買うだけですし、苦労の割にあまりよい成果は期待できないと思います。現段階ですでに日本国内でも無輸血手術は一部実施されています。ですから、本当にご心配であれば、今のうちからそのような処置が可能な近くの病院等の情報を収集しておくことをお勧めします。例えば、仮に娘さんが特殊なアレルギー体質だとかいう場合でも突然の発作が起きる前にやはりそのような特殊な症状に対応してくれる病院をあらかじめ探しておくに違いありません。彼らは「(宗教的な)輸血アレルギー」だと考えてください。そういえば、エホバの証人の組織の中にそれ専門の人がいるとのことでした。詳しくは奥様にお尋ねするとよいでしょう。 >この組織は命を軽く扱う処が恐ろしいと思っています。    多くの人が「命を粗末にしている」と言って彼らを狂信者とみなしていますが、見落としている点がいくつかあると私は考えます。「命が何よりも優先されるべき」という考えに最初多くの人が賛同するかもしれませんが、それは次の質問をするまでのことです。「あなたには命よりも大事なものが何もないのですか」と。例えば、多くの親が自分の命を落としてでも自分の子供を助けようとするでしょう。また、命懸けで仕事や研究、競技などに打ち込む人もいます。例えば、ニューヨークのテロ事件の時、多くの消防士たちが殉職しました。あるいは、祖国のために自ら戦地に赴き戦死した人たちは無数にいます。また、大昔のことかもしれませんが、犯されそうになった女性が貞操を守るために舌を噛み切って死んだということもあったかもしれません。いずれにしても、要するに人は「大義」のために命をすら懸けることがあるということです。それは人間の本質的な部分とも言えます。    ですから、自らの信仰、信念、正義、主義、任務などのために命を投げ打つのはエホバの証人に限ったことではないことをまず確認しておく必要がありますね。彼らは「命を軽々しく扱う」というよりも、命よりもあるいは命を懸けてでも守り通すべきだと確信している大義があるというのが正確だと思います。(それに輸血拒否のために年間どのくらい大勢の人が死んでいますか。多分、そのようなことがあっても大変稀だと思いますが。) ただ、彼らの「大義」は他の一般の人々の大義とは少し異なっているかもしれません。それがマインドコントロールによる狂信的な大義なのか、それともそれなりの根拠に基づく正当な論理なのかを確認する必要があります。その方法は先回と先々回にお伝えしました。 >13の質問に対して第三者的な観点でも良いので教えて下さい。    13の質問は「選挙等も行わないですか?」でした。直接的な答えは「はい」です。しかし、その理由は(私が理解している範囲)は以下の通りです。 まず、エホバの証人の方々は政治的な中立を重んじています。それは立候補者のだれか一方の肩を持つことなくすべての人に公平であるということです。だれかの肩を持つということはそれに反する勢力との敵対を意味することになり、それは争いを引き起こすことになるからです。ですから、そのような争いの原因に加担することを彼らは避けます。    また、日本の場合、選挙とは多数決によって政治的な代表者を選ぶということを意味しています。この多数決という取り決めは少数意見の人々が多数意見の人々の見解に従う(合わせる、黙認する)義務を負わせます。ですから、投票するすべての人はその投票の結果選ばれた人物に関して共同責任を持つことになるのです。まあ、あまりそのような責任が具体的に市民に問われるということはありませんが。しかし、エホバの証人の方々はその点を重く受け止めておられると思います。彼らにとって選ぶべき指導者は(エホバ神の任命された)キリストだけですので、それ以外の人間の指導者を指名するということに共同責任を負うことはできないと考えるでしょう。その結果、投票権を棄権するという選択に至るのだと思います。私はそのような権利・自由を彼らが持っており、その行使によってだれの権利をも害するものではないゆえに、正等な行為であると考えます。    以上が今回の質問に対する私からの回答でした。補足すべき点やご指摘などあればまたどうぞ。

bonjin0909
質問者

お礼

yangmaskさんの話を聞いて少し見えてきました。私はマラソンでいえばスタートラインにつきましたが、何も考えず、走ろうとしている状況ですか?実はゴールまでの間にたくさんの障害が有る事を考えずに・・・・・という感じなのでしょうか? すみません!!大変、お願いしにくい事なのですが、13の質問というのは全ての意味です。申し訳ありませんのでポイントだけで結構ですのでお願いできるでしょうか?私はフリーのキリスト教徒です。との事でしたが、yangmaskさんのお立場(フリー)の方はどのような場所でお会いできるのでしょうか?教会ではプロテスタントのような反エホバという感じになってしまうので、冷静な判断が難しく感じてしまいます。ご回答いただきありがとうございました。

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noname#259625
noname#259625
回答No.7

これは、A No.6 yangmaskへのお礼に対する返答です。 >私の想像ですがエホバの教えは頑なに正しいと思った事を信じるではなく、確信の域のように感じます。例えば、私が妻子を救いたいと思っても妻子は逆に私を救いたいと思っているように感じます。そこで、お互いがお互いを尊重して聞く耳を持っても発展がないように思います。    「奥様に変わって欲しい」ということを大前提に行動するのは賢明ではないと思います。たとえ、最終的にはそうなるとしても、まずは奥様のお考えを徹底的に分析し、正確に把握することが必要です。医師に例えれば、「処方の前にまず問診」ということでしょうか。奥様のお考えを十分把握せずに奥様の言動を変えようとするとどうしても命令・強制という形になってしまい、「とにかくやめろ、するな」と言わざるを得なくなるでしょう。エホバの証人の方々はそれを迫害とみなし、ますます心の壁ができてしまうことは必至です。そうではなく、まず奥様のお考えを正確に理解し、それに応じて対策を練るのが上策です。先回奥様にレポートを提出するようお勧めしましたが、後で考えたら、一方的なレポートではなく、交換日記、交換ノートという形でコミュニケーションを図るのもよいかなと思いました。「敵を知り、己を知らば、百戦危うからず」ということです。もちろん、奥様は敵などではなく、これはものの例えですが、とにかく相手(エホバの証人の教義ではなく奥様自身の考え)をよく知った上で対策を講ずることが重要です。    その際、もしbonjin0909さんが奥様に「なぜその教えを信じているのか」と聞いても、奥様は「聖書やものみの塔誌にこうこう書いてあるから」と返答するかもしれません。もしそうでしたら、「なぜその(聖書などの)考えが正しいこと、真実なことだと言えるのか(あるいはそう思っているのか)説明してもらえるかな?」とさらに深く掘り下げた質問をしてみるとよいと思います。たとえ聖書などの言葉を引き合いに出したとしても、必ず奥様がご自分の言葉で、しかもbonjin0909さんのような一般の人でも分かるような仕方で説明するよう求めてください。 >娘は9歳ですが、生まれてからエホバの教育の中で育っています。今、娘は自身で考えて行動する力が弱いです。常に誰かに答えを求めているのですが、王国会館では常に答えがあるようです。このままでは、娘の将来はどのようになるのでしょう!!    ご心痛お察しします。娘さんを見たわけではないので正確なことは言えませんが、多分、娘さんはエホバの証人の教えを子供なりにも信じているのでしょう。しかし、お父さんともよい関係を保ちたいと願っていると思います。それで、「エホバとお父さんとどっちを取るか」という類の質問に悩んでいて、一見、「自身で考えて行動する力が弱い」ように見えるかもしれませんが、実はお父さんの前では心を開けないでいる(はっきり言えない)だけなのかもしれません。もし私でしたら、「どっちも取る」とか答えるでしょうけど、9歳の娘さんに二者択一の究極の選択は少し酷でしょうね。もし、娘さんがある程度エホバの証人の教えを信じているというのであれば、お父さんの方から、たとえ娘さんがエホバの証人であってもそうでないお父さんと一緒に仲良く生活できるということを示し、安心させてほしいと思います。しかし、そのように言うためにはやはり、彼らの考えをよく知ることが必要で、その点は奥様とご協力ください。先回も言いましたが、娘さんの教育方針は是非奥様と示し合わせた上で一貫したご指導をお勧めいたします。 >3月上旬からこの問題に直面しています。その経緯ですが、あまりにも活動がエスカレートしてきましたので、忠告を妻にしましたら意味不明な事を口にしました。    奥様がエホバの証人の教えに接してからかなり経つのだと思いますが、「活動がエスカレート」とは多分、伝道活動のことでしょうか。多分、「開拓奉仕」という制度があるので、そのために伝道活動の時間が増えたのかもしれません。もし、その活動によって家事がおろそかになっているなどの家庭内の問題が生じたのであれば、当然、その改善を図るよう求めたことでしょう。もしまだなら具体的にどのように家庭内に支障が生じているのか、その点を話し合ってください。その両立のために奥様は今後努力なさると思います。エホバの証人の方々は聖書の教義に基づいて伝道者としてだけでなく、妻としての務めを十分果たすべきであると認識していると思います。車の運転でも、スポーツでも、ピアノやギターでも、最初のうちは皆「荒削り」なものです。奥様もだんだん「丸く」なってバランスよくなってくるでしょう。ある程度の心の余裕をもって見ることも必要です。    「意味不明なことを口にした」とのことですが、それはbonjin0909さんには理解できない単語や概念を列挙して奥様が説明したからでしょうか。先程も言いましたが、「その点、もう少し分かりやすく説明してもらえないかな?」と言うとよいでしょう。奥様は当然それくらい分かっているはずだと思って話しているのでしょうから、実はbonjin0909さんにはその意味がよく分かっていないという意思表示をしっかりして奥様に気づいてもらう必要があります。奥様も現状に気づけば、もっと分かりやすい仕方で説明するでしょう。 >パパが事故に遭い輸血が必要だったら助けてくれますか?    奥様も娘さんもbonjin0909さんの医療に対する考えを尊重すると思います。しかし、bonjin0909さんが輸血をする場合、例えば、本人に代わって誓約書に署名するなど、輸血を助長する行為にはノータッチだと思います。なぜそう言えるのかというと、例えば彼らは武器をとって戦いませんが、武器を生産すること(助長する行為)もしないからです。しかし、それでbonjin0909さんが医療的な損失を被るということはまずないでしょう。医療を施すのは救急救命士とか、医師や看護士ですし、当然、奥様と娘さんもそれ以外の医療全般に関しては協力するでしょうから。    最後に、最初にbonjin0909さんがされた13の質問は、奥様にお尋ねになるのが一番よいと思います。重要なのは奥様自身がどう考えているかですので。それでも、第三者的な観点からその見解がお知りになりたければ、及ばずならご協力いたします。

bonjin0909
質問者

お礼

いつも長文で説明いただき、ありがとうございます。yangmaskさんのお答えは私の心配ごとを冷静にさせてくれています。 「奥様に変わって欲しいということを大前提に行動するのは賢明ではないと思います。」ですが、この問題は妻が変わるまで子供は日々、エホバ社会に染まるような気がしてとても怖いです。将来、精神的なダメージが起きないかどうか? 「奥様も娘さんもbonjin0909さんの医療に対する考えを尊重すると思います。~医療を施すのは救急救命士とか、医師や看護士ですし、当然、奥様と娘さんもそれ以外の医療全般に関しては協力するでしょうから。」ですが、私の命もですが、それ以上に娘がこの状況になった場合は私は父として輸血するしないではなく、娘の命を助けるための方法が輸血と医師から判断されたら、輸血拒否はできません。この事で躊躇していたら助かる命も助かりません。この組織は命を軽く扱う処が恐ろしいと思っています。すみません!!13の質問に対して第三者的な観点でも良いので教えて下さい。お願いいたします。最後に yangmaskさんはどのようなお立場の方かお伺いしても良いですか?本当にありがとうございます。

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noname#259625
noname#259625
回答No.6

   質問者のbonjin0909さんは、ご家族がマインドコントロールされているのではないかご心配なのですね。それを確かめるよい方法があります。特に奥様がなぜ、またどのようにその宗教に信仰を持つようになったかをレポートしてもらうのはいかがでしょうか。実際、重要なのはエホバの証人の教理がどうこうというよりも、奥様が実際どう考えているのかということではないかと思います。レポートというのは、つまり奥様の考えを文章化してもらうという意味です。口頭だとどうしても感情的になったりして、最後まで話ができなかったりしますし、それに文章であれば、何度も分析でき、証拠にもなり、必要なら具体的な箇所を質問したり、指摘したりできます。ですから、bonjin0909さんがここで挙げておられる質問は奥様ご自身に尋ねてみるのが一番よいと思います。というのは、同じ教理でも信者によっては若干違ったとらえ方をしているかもしれないからです。できるだけ信者ではない人でも理解できる仕方で説明するようあらかじめ言っておくとよいでしょう。自分とは違う信念を1度や2度で理解できるとは思わないでください。継続的で地道な努力が必要です。(すでに実施しておられたのでしたらすみません。)    意外に思われるかもしれませんが、それと同じことを他の宗教の人たちにしてみた時、どれくらいの信者の方が論理的に自分の信仰を説明できるか想像してみてください。例えば、死んだら極楽浄土に行くと本当に信じているのか、またなぜそれが真実だといえるのか、また、経を唱え、線香をあげれば死んだ人の助けになると本気で考えているのかなどとです。多分、多くの人が「先祖からの宗教なので信じている」とか「特に信じているわけではないが親戚がみんなやっているので自分もやっているだけだ」というような答えをするかもしれません。しかし、「根拠がないのに信じている」とか「信じてないけどやっている」って、これが本当のマインドコントロールと言うものなのかもしれません。ただそのような宗教的な認識が日本という地域に長年にわたりまた広範囲にわたって極めて深く浸透しているので、むしろ逆に一種の「世の中の常識」だと考えられているのが実情です。    そのような現状と比較してみて、ご家族が論理的にご自分の信仰を説明できるのであれば、その信仰はマインドコントロールではなく理性に基づく決定と診断できるでしょう。ただ、どんなに理詰めだってもすべての人がその論理に賛同するわけではないでしょう。例えば、医学的な根拠を徹底的に提示すればすべての喫煙者がタバコをやめるでしょうか。人間は理論(頭)だけでなく欲求とか願望(心)などによっても決定が違ってくるものです。それで、奥様がご自分の信仰についてどんなに理詰めだって説明してもbonjin0909さんが納得、同意するとは限りません。しかし、ここで重要なのはご家族がマインドコントロールされて悪い宗教に操られていないかということであり、ご家族と信念が一致符合するかということではないはずです。論点がずれないよう注意してください。ですから、奥様と娘さんがきちんと人間的な理性を保って物事を判断していることが確認できれば、それでよしとすべきでしょう。    bonjin0909さんの目標は家族の平和、ご家族一人一人の幸せであり、何か家族の信仰を変化させるということではないはずです。論点がずれないようにご注意ください。エホバの証人の方々は聖書をとても重んじているとのことですので(私も聖書を信じていますが)、たとえご主人が信仰を異にしていても奥様の方から結婚関係を破棄することはないはずです。確か、それは彼らの教義に反しています。「汝の敵を(も)愛せよ」というのがキリスト教的な考え方なので、宗教の異なった人たちとの共存を彼らは望んでいると思います。たとえ信仰が異なっていたとしても家族として平和に生活することは十分可能だと思います。その条件は互いの信仰や考え方、主義、理想などを尊重するということです。むやみに相手の信仰を攻撃したりすれば「小さな宗教戦争」が勃発するのは当然です。その点に関する他の質問者に私yangmaskが答えています。http://okwave.jp/qa/q5151495.htmlをご参照ください。    それから、娘さんの教育についても心配しておられましたね。以前、父親と母親の教育方針が異なっていたためにその子供さんが裏表のある二重人格的な大人に成長してしまったという話を聞いたことがあります。ですから、娘さんの教育方針に関してはよくよく奥様と相談し、示し合わせた上で一貫したご指導をなさることをお勧めします。でなければ、娘さんが板ばさみになってかわいそうです。    いずれにしても、互いが歩みよらなければ家庭内の「宗教戦争」は回避できません。よく、ニュースでイスラエルとパレスチナの宗教戦争の話を聞いていて、「何であんなに争わなくてはならないんだろう。もっと簡単に解決できないのかなぁ」と思うものですが、いざそれが家庭内に生じて当事者になるとその難しさが分かるような気がしますね。(以前、私の家もそういう時期がありました。)一方かあるいは双方かが頑固だとこれは解決しません。柔軟性が必要です。お互いが相手の考え方を理解しようと努力することから始まります。特にまず奥様の見解を聞いてみてください。そして、bonjin0909さんもご自分の考えを上手に伝えてください。宗教的なことだけに限る必要はありません。家庭のこと、仕事のこと、レジャーのことなど、家族として普通に会話を楽しんでください。    それから、余計なお世話かも知れませんが、最近、奥様をデートに誘われましたか。子育てに集中するあまり多くのご両親が「父親・母親」に徹して、結婚前のロマンチックな関係を忘れてしまっているみたいです。悲しい事に、そのようなことが原因で私の知っている人の奥さんは子供が4人いたのにも関わらず、別の男の人と駆け落ちしてしまいました。bonjin0909さんの奥様がそうなるという意味ではありません。しかし、女性としてやはり男性に期待していることがあるのも事実です。結婚前にあったような「恋人」としての関係を結婚後も継続することは夫婦の一致と幸福に不可欠だと思います。同じ男として是非、一女性である奥様を優しくリードしていかれることをお勧めいたします。もし、すでにしておられたならすみません。でももし、まだでしたら、近いうちに二人きりでお食事などいかがですか。花束などを用意して。久しぶりにラブレター(招待状として)などしたためてみるのもいいかもしれませんね。「夫婦」の原点を見失わなければ、bonjin0909さんのご家族もきっと幸せな生活を送ることができることでしょう。

bonjin0909
質問者

お礼

とても分かり易いご回答ありがとうございます。3月上旬からこの問題に直面しています。その経緯ですが、あまりにも活動がエスカレートしてきましたので、忠告を妻にしましたら意味不明な事を口にしました。心配になり、その時に私は傍にいた娘に「例えばパパが事故に遭い輸血が必要だったら助けてくれますか?」と聞きました。答えは涙を浮かべながら祈りますだけでした。私の印象はその答えをした瞬間に普段の私と娘の距離は明らかに違いました。そこで、このままではいけないと考え始め、今に至っています。先日、ご質問させていただいた内容は妻と話をする前に私なりにエホバの教えの内容と目的を理解しないと解決の道はないと考えたからです。その為に色々な方とお会いして話を聞きましたが、単純に否定的な意見だけを聞かされたに過ぎません。私としては頭から否定しても意味がないと感じていますので、公平な言葉と理論を確認したいと思っています。ご回答者様のご意見は私に冷静な判断を促しているような中身でしたので私も参考にさせていただきたいと思います。最後に私のコメントを見る機会がありましたら教えていただきたい事があります。私の想像ですがエホバの教えは頑なに正しいと思った事を信じるではなく、確信の域のように感じます。例えば、私が妻子を救いたいと思っても妻子は逆に私を救いたいと思っているように感じます。そこで、お互いがお互いを尊重して聞く耳を持っても発展がないように思います。娘は9歳ですが、生まれてからエホバの教育の中で育っています。今、娘は自身で考えて行動する力が弱いです。常に誰かに答えを求めているのですが、王国会館では常に答えがあるようです。このままでは、娘の将来はどのようになるのでしょう!!私は父親としてこれから80年位生きるであろう娘の人生が心配です。信者の方はこの世の人生より復活後の人生を重視しているようですが、このために娘の現在の人生を犠牲にしたくはありません。これが私の心境です。良いアドバイスがあれば教えて下さい。お願いばかりですみません。

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回答No.5

こんにちは > エホバの証人はどのような宗教なのでしょうか? ニューヨークにある「ものみの塔聖書冊子協会」が本部のユニテリアン志向の宗教団体です。 ユニテリアン志向というのは、三位一体を否定し、父なる神だけを本当の神だと主張するからです。 三位一体を否定するので、もはやキリスト教ではありません。 また、本部からさまざまな考えが冊子となって来ます。 冊子の内容には、よいものもありますが、たくさんの予言が今まで書かれてきて、残念ながらほとんど外れています。 結論をいえばエホバの証人とは、「ものみの塔聖書冊子協会」が主導する非キリスト教の宗教団体で、聖書を用いています。

bonjin0909
質問者

お礼

具体的に外れた予言とはどのような内容なのか私も調べ始めています。この外れた予言に対して信者の方はどのようなコメントをするのかも知りたいと思います。それが、妻子を救える手段の一つとも考えています。ありがとうございます。

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  • wimi
  • ベストアンサー率36% (13/36)
回答No.4

15年以上前に放送された、ビートたけし氏主演のドラマ 「説得 エホバの証人と輸血拒否事件」が今も頭に残っています。 DVDなどは出ていないと思いますが、 もし本を読む機会があるなら原作を読まれた方が良いと思います。 http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Yurinoki/4549/book2.htm

bonjin0909
質問者

お礼

この作品は覚えております。私が今の問題点を再認識させられたきっかけになっております。ありがとうございます。

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