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新興宗教への献金について
- 義理父母が新興宗教を長年信仰しており、献金についての発言が気になる。
- 義理父母の宗教は献金が強制ではなく、使途も公表されていると主張しているが、私から見ると奉仕活動を含め間接的に貢いでいると感じる。
- 義理父母の行動や発言に不快感を抱き、これから生まれる子供にどう説明するか悩んでいる。
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<私からしたら、単なる表現の仕方の違いで、やっていることは大して変わらない気がするのですが.... あなたの考え方が正しいです。義理父母さんの宗教は時間をものすごく捧げるようですが、私の通っていたモルモン教も同じです。全財産の十分の一、2年間の半ば強制的な布教活動、教会への奉仕活動、子供への信仰の虐待等、たくさんあります。モルモンも他の宗教の悪口を言いますが、自分たちだって教会の責任にかまけて自分の子供を放っておくことが多いのに、そのことには気づかない人が多いんです。そんでもって過去に信者が虐殺をしたこと、教祖に30人以上の妻がいたこと、それも10代や20代の若い妻もいた、数目当ての布教活動を組織ぐるみでしたことなどはほとんど教えません。だから、高慢になって自分たちの宗教が一番だと、完全に洗脳されてしまうのです。かつて私もそうでしたのでよくわかります。これが過激な宗教の問題点だと思います。 あなたの義理父母の宗教のリーダーに何を頼んでも、恐らく助けてはくれないでしょう。 ただ、宗教をやっている人全てが義理父母さんのようではないのでそのことを子供さんに伝えてあげれば大丈夫ではないでしょうか?あと出来る限り近づかないしかない。不愉快でしょうが、正気な人ではないと考えて受け流しましょう。
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- xlgangster
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fuwarinn様 相変わらずワケのワカンナイ宗教観を持った舅&姑ですね。 そこで一言・・・バカじゃん! 未来ある、これからこの世に生を受けるお子さんのためにも駆逐しましょう。 その信仰故に命を落したり苦難の道を歩まされたりするのは、宗教家にとってこの上もない名誉と歓びのハズですので(^。^)/ 日本人の宗教観・・・もともとは自然崇拝で、自然現象に素直に驚き、自然現象を素直に恐れ、自然現象を素直に崇め奉ったことがベースだと思います。 自然現象は数限りなくありますから、それぞれに一柱ずつ、雨の神様、風の神様、太陽の神様、その他大勢の神様がいらっしゃるのです。 ちなみに仏教も、伝来当時は神様の一つとして受容れられたのだと思います。 加えて、なぜかは分かりませんが、特にお願い事がなければ神社仏閣にお参りする必要はありません。 何か困ったこと、お願いしたいことがある時はそれぞれの経済状態に見合った何がしかのものを献上奉り、真心を以ってお祈りする・・・世界一自由で束縛を受けない宗教観です。 宗旨の違いを理由に、他宗教を迫害するようなことは一切ありませんでした。 江戸幕府によるキリシタン迫害は、その宗旨などは関係なく、一派を組んで反抗することに対する排除行動でした。 エ○バの証人のごとき、聖書の一節を曲解し献血を否定するような邪教の門に入り込んだ連中にとやかく言われる筋合いはありません。 こやつらのベースとなっているキリスト教は、それと相容れない他宗教信者を神に替わって成敗するとばかりに血生臭い侵略を行ってきた歴史があります。 十字軍遠征しかり、スペインによるインカ帝国滅亡しかり・・・ どちらが自由と平和に相応しい宗教観でしょうか? 少なくとも日本の神様仏様は、清く正しい心を以って臨めば誰だって受容れて下さいますよ。 正式な信者になるために無報酬の奉仕活動と献金を強要するエ○バの証人とは大違いです。 コマッタ舅・姑が家の中に立ち入らぬよう、悪霊退散の御札を貼ってみては?
- michael-m
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資金を必要としないもの、個人でも団体でも絶対にありません。それは義父母様の所属しているところも同じ、様々な寄付で成り立っているはずです。 ってゆうか、お金を払うことを悪と考えているのは日本人だけです。例えば日本でボランティアとかサービスと言うとタダだと考える人が多いですけど、ボランティアでも有償の場合もありますし、サーービスは日本以外では立派なビジネスです。日本では無用なチップは払ってもサービス料を嫌うと言う歪んだ教育がなされています。 ですから、その宗教団体にしても諸外国の信者はそんな言動はしないでしょうね。他の信徒が自分たちの施設を指差して「子供の命も救わずに喜んでいる殺人集団」とでも言ったらどうするんでしょう。 自分がされたくないことは人にしない。そんな道理も無いのが日本の宗教を持つ人の特徴でもあります。 信仰により救われる。でも信仰に入った後はその教えに従い護ることを義務とされます。信仰に入らずに居るのは知らない事による罪。でも信仰に入ってからの罪は知っている者の罪。 つまり信仰を持っていれば救われる訳ではありません。信仰に入っての罪はそれ以前より重く、決して許されるものでは無いでしょう。 神道や仏教における寄付行為は別に払わなきゃ願いが叶わないという意味ではありません。確かのそのように言っている愚者も居ますけど、そんないい加減な俗説を鵜呑みにしているのでは、自分たちが何を言われても反論の余地は無いということでしょうね。 ちなみに神道においても仏教においても(神道の考えは神仏習合の時代に生まれました)これは布施(施し)という行為です。この考えに近いことはユダヤ教でもイスラム教でも行われており。イスラムでは更にはっきりと人に施すことにより神の国が近くなるとしています。仏教ででは「徳を積む」ともいいます。 神道では感謝のために収穫物を収めることが起源で、商業や金銭ができた後にお金で出すようになりました。 また神道の賽銭にはもう一つの起源があり、これはスサノオが高天原で暴れた事に対する賠償金。ここら罪の許し>穢れを取り除く、つまり金銭に罪穢れを載せて祓い清めると言う意味になってきました。
お礼
回答ありがとうございます。 〉信仰により救われる。でも信仰に入った後はその教えに従い護ることを義務とされます。信仰に入らずに居るのは知らない事による罪。でも信仰に入ってからの罪は知っている者の罪。 〉つまり信仰を持っていれば救われる訳ではありません。信仰に入っての罪はそれ以前より重く、決して許されるものでは無いでしょう。 私は特別な信仰を持っている訳ではありませんので、ここらへんのうんちくは良く分かりかねるのですが… 私が言いたいことは、宗教をしている人の、そういった思考の持ち方、つまり罪だとか、罪ではないとか、救われるとか救われないとかそう言ったことに拘って、他人を裁く感じが理解できないのです。 私の義理父母もそうなのですが、宗教のことを学んでもいないくせに何もわからないのにまず学んでから言って!!と言います。 これって、要は「信仰に入らずに居るのは知らない事による罪。」という言葉と関係がある考え方だと思うのですが、私は仮に、信仰の内容をきちんと知ったとしても、特定の信仰というものは持たないだろうと思います。 神様がいるかいないかは私にはわかりません。 その存在を決して全否定はしませんが、私にとっては神様という存在はあくまで「人が脳内で作り出したかもしれない、自分を生きて行きやすくする為の妄想的道具」である可能性を否定できないのも事実です。 人は物事をいろんな角度から見ることができて、その視点の置き場所によっては善にも悪にも、罪にもその物事を捉えるのだと思います。 その視点の置き方に拘って、ここから見た視点が絶対正しい、と決めてしまえば、心理的に悩むこと、苦しむこと、混乱することを避けることができるので楽になれる。だから、人には神様が必要なんだろうな、と思います。 結局は我こそは本物の神を敬っている、とか永遠に答えの出ないようなことで、罪だとか罪でないとか、言い争っていることが私にはそもそもバカバカしく感じるのです。 神様って、何なんですか? 私には、全てがとは言いませんが、ほとんどの神様はとっても性格が人間くさい方なんだなぁとしか映りません。 黙って聞いているとヤクザみたいなチンピラみたいな感じに聞こえます。(特に義理父母の神様なんかはそうです。) 「私は神様なんだぞ!!偉いんだ!!だから私の方を見て!注目して!こっちむいてよ、気付いて、いつもチヤホヤして~!!私に尽くしなさい!!言う事聞きなさいよね!!えっ?!信じない??生意気なこと言うのなら、あんた、天罰下すからね!!三世代先まででも、千年先まででも、呪ってやる~!!!まだ言うこと聞かないか!!なら千年後にでも殺すからね!!その時が来たら滅ぼしてやる~!!」 まるでカエルの生殺しみたいなことして、恐怖政治です。 真理も愛もなにも、条件付きの愛しか持たない、トラブルメーカーの根源みたいな存在だな、って思います。 こういう考えもきっと、人間のくせに不遜だ!!ってなるんでしょうね… でも、これが私の正直な感想です。 宗教とか、神様とか、もう考えないでいい生活がしたいです。
- r1r1ch1yo
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私もとある宗教に入っています。 基本的に他の宗教の批判はしない、という考えの宗教ですが、やはり中にはそういった思想の方もいるので、考え方1つにしろ解釈によっては1人1人まったく信仰の仕方が違います。 違って当たり前、何を心の中だけで思うのか、そこまでは自由ですが「他の人を不快に思わせる」言動や行動はは「一般社会」では通用しないですし、どこの宗教も一般的考え方の上に成り立っています。 けれど、それを忘れてしまったら現社会より離れ、宗教ありきの生活になってしまうんですよね。 実際は誰がどんな信仰の形をとろうが、どの神様が1番だろうが、はっきり言うと他人がとやかく言う立場にはないと皆思っているはずです… それは人間が決める事でもない、と私は思います。 自分たちが信じる信仰を続けてるだけではいけないのでしょうか。 神様の事を皆さんに押し付ける前に、人間に嫌な思いをさせ、少なからず他の人に迷惑をかけているお義父さんお義母さんを神様が見たら、なんて言うのか。 神様を目にしていなくとも、神様はその様子に嬉しく思うはずがありません。 神にとって人間は子供のようなものです。 人間皆に仲良くしてもらいたいと、普通に考えれば御心が分かると思います。 神様は大体厳しい方が多い(設定されている神様) 全員に手を差し伸べる訳ではないと、自分の信仰する神様がお2人には分かっているから、逆に派手な言動を行ってしまうのか、とにかく理由が分かりませんが、お2人の考え方を変えさせるのは多分無理です。 今の様子では人の意見は取り入れてくれないでしょう。 お子さんの前でも、そういう話をし続けるとも思います。 出来れば同じ宗教の入ってる「普通に常識が分かる人」に説いてもらうのが1番だと思います。 全員が社会を無視してる集団でなければ、解決してくれると思います。 最悪はお義父さん・お義母さんに無理にでも宗教をやめてもらうしかないですよね。 人間関係を悪くしてまで続けるものでもないですし。
お礼
回答ありがとうございます。 〉出来れば同じ宗教の入ってる「普通に常識が分かる人」に説いてもらうのが1番だと思います。 私もそう考えて、その宗教団体の配布している冊子の協会に電話して苦情を言ってみました。 何回か電話を取り次がれたあと、中年の男性が出られたのですが、何故か「苦情」ではなくって、私の「悩み事相談」という風に話が変わっていました。 男性から何か自分は悟でも開いていますよ、的な猫なで声で「どんな事でお悩みですか?」と囁くように言われて、私が上記の事情を話すと、「それはあなたのおっしゃる通りですね、そのような信者がいるのは悲しいことです。」と言われ、「では、私から言っても義理両親は受け入れてくれないと思うから、そちらの幹部、あるいは集会のまとめ役の人からさりげなく指導をして欲しいのですが。」と言った所、「それはできません。」と言われ、「あなたの義理両親の管轄の指導者にお話を全て打ち明け、皆で話し合いを持つべきです。」と返されました。 私が「ですが、義理父母の集会の中での立場や顔もあるでしょうし、そのことで集会で噂になったり、排斥とかにでもなったら、信仰で心を支えている義理父母ですから、それはあまりに可哀想です。そんなに大袈裟にしなくても、私はただ、その迷惑行為というか、発言をやめてもらいたいだけなのです。」と言ったところ、 「そうですね、貴女としては義理父母との関係がやりにくくなるからそういう場所でハッキリさせると困リますからね。」と返され、話になりませんでした。 私は別に、義理父母との関係など、既に亀裂が入っていますし、そんなことどうでもいいのです。 ただ、単純に、身内ですので関わらないというわけにも行きませんし、子供にとっては祖父祖母になりますし、義理父母がその信仰をもう、人格形成の一部として取り入れてしまっていて、長年それで生きてきていることも配慮して、その宗教の教えで義理父母の考えが変な方向に行ってしまったのなら、その宗教の教えで正しい方向性に導いて欲しい、そう言いたかっただけなのですが。 その宗教団体の幹部の方と関わったのは、その時が初めてでしたが、義理父母の思考回路(白黒思考で、融通が利かない、人の気持ちより何より、裁くことに夢中になる)が何故、このようになってしまったのか、判ったような気がしました。 ほんとに、 人間関係を悪くしてまで続けるものでもないものなのに、何でこんなに意固地になれるのか、理解不能です。 ですが、義理母にとっては、 「信仰のために命を賭けれるって、素晴らしい!!って心から思ったの!!そこまで出来るって、そうそう簡単なことではないじゃない!!」だそうです… 私としては出来れば、本音はやめて欲しいですし、恥ずかしいです。 でも、嫁の私が出しゃばることではありませんし、そういう義理両親だからしかたないですもんね…本当に、嫌になります。 長文ですみませんでした。
- bigmin
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完全にカルト教に足を踏み入れてしまっていますね・・・ 人の考え方とかは自由ですが僕はカルト教の考え方だけは理解出来ません。 まずは義理父母にカルト教を脱退してもらうように質問者さんの配偶者に説得してもらってはいかがでしょうか? それでも駄目だったら距離を置くとか。 カルト教の思想が周りの人に与える影響は測り知れません。 でもそこまでお子さんの事を考えていらっしゃるなんていい親御さんですね。
お礼
回答ありがとうございます。 〉まずは義理父母にカルト教を脱退してもらうように質問者さんの配偶者に説得してもらってはいかがでしょうか? 出来ることならそうして欲しいのですが、夫が説得して話を聞くような義理両親ではありません…(強烈なカウンターが返ってきて、何時間でもそれに付き合う羽目になります。夫はそれが嫌なので、はじめっから無駄だからやらない、と言います。) 〉カルト教の思想が周りの人に与える影響は測り知れません。 自分たちでは全くそう思っていなくて、逆に自分たちが一番正しい、ぐらいに確信を持っているので厄介です(泣) 義理父母曰く、「息子たちも、いつかは必ず真理にたどり着くはずだから心配してないわ。」だそうです…。
お礼
xlgangsterさん、こんにちわ!! お返事が遅れてすみません。 〉悪霊退散の御札を貼ってみては? これで恐れて避けてくれればいいのですが、現実はそうそう甘くはなく… 「そんな偶像崇拝、そこから悪霊が入ってくるのよ!! お嫁ちゃんは恐がりのくせに… バカバカしいことはやめなさい!!」 的なことをグタグタと言い出して、引き下がるとか、関わる回数が減るとか、そういうことにはまずならないと思います(泣) 旦那も旦那で。そんなことをしたら「お前が親を挑発している!!お前も悪い!!」と言い出すでしょうし… ほんっと、私が理解できないのは、自分たちは親や先祖の大事にしてきた、代々守ってきたお墓や仏壇、伝統習慣に背を向けて、これでもか!!ってくらいに砂をかけ、親、親戚の顔に泥を塗ってきたくせに、自分たちは子供から同じことをされると認めないって、どういうことなんだろう、って思います。 私たちに親を敬え、っていうのなら、何で自分たちは親の反対を振り切って変な宗教にはまれたのかな、って思います。 自分たちができていないこと、出来なかった事を、子供にさせようとしたって、カエルの子供はカエルなんだから、言うこと聞くわけないわな、だって、そういう背中を自分たちが見せてきてないんだから…っては思わないのかな~って、呆れます。 言うことに説得力がないんですよね、自分たちだけは違うと思っているだけで、実際は自分たちも同じことをしているのに、人のことばかりあれこれ批判してる姿が滑稽に感じるから。 自分たちはいいけど、人はダメ!!みたいな事してばかりなのに、それに気がつかない、指摘しても認めない、そういう子供みたいなところが大嫌いです!! 愚痴ですみません… いつもありがとうございます!!