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母の面影
いま3歳の子を育てており、ふと、わたしが3歳のころの母に会いたいなあ、という思いがこみあげます。 面影を探るようなぼんやりとした思いです。 人の思いはさまざまですが、あのとき、あのころの母に会いたいと思われることはありますか? そんな思いがありましたら、お聞かせください。
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そうですね、私の母親は私の30を待たずして亡くなってしまいましたから、成人してからの方が時間的には短いです。なので子供の頃の記憶の方が鮮明ですが、ひとつは4歳くらいでしょうか。 東京にはトロリーバスや都電が走っていてまさに「三丁目の夕日」を彷彿とさせる光景が広がっていたと思いますが、母親の給料日には必ずパーラーでパフェを食べる習慣となっていました。その頃の母親に会いたい気がします。 もうひとつは、私が25の時くらいでしょうか。 母親は乳がんで亡くなったのですが、自らの健康・身体を省みずにがむしゃらに働いた結果、病巣の発見が遅れてしまったのでは・・・と子供ながらに後悔しています。 なのでその前に戻って会えるならば、無理やり検診に連れて行くと思います。
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雨合羽さん、こんにちは。そうですか。お子さんも三歳になられましたか。喜びも大きい反面、大変だったでしょうね。雨合羽さんならと安心して、少し個人情報を書いてみます。 客観的に見れば、私の母は、付き合いにくい人だったかも知れません。あまり、友達がいません。親友が早くに亡くなってしまったのが要因ですが、若い頃から少なかったのでした。母は周囲に比べると高学歴で、難しいことを言いたがり、お金の感覚も一桁飛んでいます。誰に対しても「その程度か」が口癖でした。 若い頃の母は頭の回転が早く、誰であろうと議論で負けたことはありませんでした。食事中に、テーブルマナーを無視して、消化不良になるほどに喧々諤々と議論をします。その相手はいつも私。「今朝の新聞で〇〇という記事を読みました」と五歳くらいの私に語って聴かせ、意見を求めるのでした。これがずっと、家を出るまで続きました。今も国際電話をかけると、この調子です。 私が、議論が仮に強いとすれば、母のおかげでしょう。母に「その程度か」と言われるのが嫌で、頑張ったものです。そして友達が多い理由も、母のおかげだと思います。母に比べると、大体の場合、嫌なことをされても大したことが無いのです。前に「人を怒らせるコミュニケーション術」という乱暴な問いを立てましたが、その達人は母だっただろうと思います。今は、それが分かっているので、母といるときは、私がフォローしてあるいています。 おかしなことに、母は、子供を悔しがらせると伸びる、という学説を信じていたそうです。恨まれてもいいのだ、などといっていました。どれほど、私が傷ついたことか。いい加減な学説だと、私は思います。そしてそんなことを鵜呑みにした母を、一時は許せなかったものです。しかし今は、母の気持ちも分かります。様々なコンプレックスがあって、孤独で、あんなに激しい気性であったのだな、と分かる気がするのです。 私が親になったら、もっと良い親になれるはずだと思っていたものです。私には子供はいませんし、結婚の予定もありません。しかし母の歳に近づいて思うのは、理想的な環境を用意してやることは、とても難しいということです。今にしてみると、母としては精一杯、頑張って私を育てたのだなと感じます。会ったら、私は抱きしめてあげたいと思います。今の私なら、よい友人になってあげられたことでしょうから。 雨合羽さんの子育て、心より応援しております。
お礼
退会してしまわれたのですか。 わたしは今、家で手が空けばミシンがけをしています。入園グッズを作っているのです。 積ん読や書類や草稿の乗った机にミシンを置くために、ノートパソコンを降ろしています。 お母様は、厳しいですね。鶴見俊輔さんのご母堂が極端にそのような方だったそうですよ。 子どもを悔しがらせ、決して褒めず、否定し、鍛えるというもの。 鶴見さんが、母親としていかがなものかと恨み事を言うと、ならば反面教師にせよと仰ったそうです。 可愛い子を甘やかすのは簡単で、甘やかさないという心掛けは本当に難しいです。 毎日そう感じています。 しかしながら、ひょっとすると、文学や芸術を息長く生み出す人間の場合には、 甘やかな幼年時代が必要だろうという気がします。 制作のかたわらで孤独を本当の友として生きられるだけの強さは、 満たされた幼年時代にだけ培われるものではないかと思っております。 お母様の話に戻りますが、 たぶん、非常にねじれのある方に違いないから、まだまだこれからです。 高齢になると、ねじれは深まるのですよ。 きっと複雑な、裏腹な、ツイストの効いた気骨に、いっそう磨きがかかることと思われ、 サイコロさんのご検討を祈ります。
- dell_OK
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そうだなあ。 あのとき、ではないが、私を生むよりもずっと前の、 子供の頃からずっと、私がそれを母と理解するまでの間を見てみたいな。 まぎれもなく、私の知らない私の母だ。
お礼
お母様のご両親が守っている世界と、お母様自身の秘密の世界ですね。 What a wonderful world と歌えるような大団円でありたいですね。
母は私の父の結婚する前、ある船乗りの人と文通して恋していたそうです。 母の地元近くの港に寄港する時に、とっておきのラブレターを持って会いに行ったとのこと。 …その後すぐに振られたそうですが… その後遠縁の紹介で私の父と見合い結婚してからは、父の暴力、借金、口うるさくて気難しい小姑(父の姉。独身で同居している)からの毎日のような嫌味など、苦労ばかりしているイメージですから、純粋に恋をしていた母に会ってみたいです。 母は合計5回妊娠しましたが、そのうち3回は自ら中絶しました。 私が物心ついた時は避妊薬をずっと飲んでいました。 自分のおかれた環境で、子供を育てていける自信がなかったそうです。 私を身ごもった時も父に内緒で中絶しようとしましたが父に見つかって手術できなかったとのこと。 我が子を産む時でさえそうなのだから、父と結婚してからの母は幸せではないのでしょう。 母が一番幸せだったのは船乗りさんに心をこめた手紙を書いていた頃ではないかと思います。
お礼
ボヌフォワという詩人の書いた詩の中に、文面は忘れましたけれど、 子どもは、 父と母の会話から、 弟か妹が生まれるのを知っている、 という内容の一文がありました。 物心ついたときにはお母様が避妊薬をずっと飲んでいたというのを拝読して、 ふと、そのような平穏な家庭を描いた詩のくだりを思い出しました。 船乗りさんに恋をしていた頃のお母様は、ほっぺを薔薇色に染めて夢心地でいらしたでしょうね。 でも、あなたを育ててよかったと、お母様は思うのではないかと、 ご回答の雰囲気から感じました。
わたしの母は19歳で父と見合い結婚をして、 20歳で子供を産んでいます。 特に父のことが好きでもなかったらしいのですが、 家の事情とか色々あって、 結婚した方がマシくらいの気持ちだったらしいです。 父は結構頑固な性格なので、 夫婦喧嘩のようなことになると、 家の前を走るバスに乗って実家に帰りたいと思っていたそうです。 20歳の母が赤ん坊を抱いて バスを眺めている姿を見てみたいと思ったりします。 でも実際に見たことがないのに、目に浮かぶような気がします。 帰りたいけど、帰れない、どんな気持ちだったのかなと。
お礼
さびしい情景ですね。でも腕にいる赤ちゃんの温かさがあります。 女、三界に家なし、と昔の人は言いますが。。。 妊婦さんのときも、バスを眺めたのでしょうね。
他の回答者さんのお答えを読んで、それぞれのお母さんに対する思いの深さに、気持ちがシンとしました。 大学生の娘の年頃の母に会って、”少しは周りの人の迷惑も考えなさい!!”と叱ってやりたいです。本能の赴くままに波乱万丈に生きた母でした。理解の範疇を超えていました。 ネフェルティティの胸像の写真が一番生前の母に似ています。いつかドイツまで行って、実物にあってみたいです。 子供はあっという間に大学生になって遠くに行ってしまいます。楽しんで子育てをなさってください。
お礼
愛憎こもごもに揺れる深みのあるご回答の文章から、人生の片鱗が零れ落ちてくるような気がします。 ネフェルティティの胸像を見てみました。 美しいお母様だったでしょう。 どんな内面を持っていらしたのでしょうね。 アメリカの女性のあいだでmeismというのが流行ったことがありましたけれど、 波乱万丈を貫けるほどの女性はきっと少なかったと思います。上昇志向の国ですし。 20歳前後の娘と母の関係は鬼ですね。そうでない方もいるのかもしれませんが、 うちは世間並みには、そうでしたから、 過去が見える望遠鏡があっても、見たくない気分です。 でも、自分がその立場になってみたら、またふと、そのころの母を思うのかもしれませんね。 幸い、男の子を育てていますので、違う轍になるのかもしれませんけれど。 あっという間ですか。さびしいですね。
- もこ猫ミクにゃん(@miku-chi)
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若作りなのか、若い頃が老け顔だったのか・・・ ファッションが変わったくらいで私を産んだときとそんなに変わりません。 ちなみに母の幼少時の顔は私の現在の顔にそっくりです。 できたらファッションセンスを鍛えて!と若き日の母に言いたい。 私の幼少時の写真が恥ずかしい服装ばかりで嫌。。。
お礼
ほほえましいです。 鏡を覗けば、将来もずっとお母様に会えますね。
父と母が出会ったあの日に戻り、会えないように細工します。29歳と20歳の出会いです。 この結婚は失敗でした。 自分の存在を消しても、父と母を救ってあげたい気がします。別の人生を歩んでいれば母も幸せになれたかも知れません。 父も相手が母でさえなければ、平均的な幸せな家庭を作れたかも知れません。 組み合わせが最悪でした。
お礼
そうですか。 面影は、苦しみなのですね。 あのころという一つ一つの情景でなく、 苦しみのまとまりとして、 子供であるあなたの内に刻まれているのですね。。。
- insolent-t
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画像が笑えて感慨に浸れないのですが・・・ まぁええや。 母親?優しかったときもあるんでしょうね。その頃の母親を見てみたいです。
お礼
> 優しかったときもあるんでしょうね。その頃の母親を見てみたいです。 考えさせられるご回答ですね。 望遠鏡の焦点を伺ってみたら、遠近法の消失点の答えが返ってきたような感じです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 このようなご回答をいただけてよかったと思いました。 4歳くらいの子と母親の、馥郁とした凝縮された幸福の時間のおすそわけをいただきました。 面影という日本語の奥行きをすんなりと了解なさってくださって。 そうしてわたしもひとつ、思い出しました。毎日の買い物についていくと、時折、ストア脇の小さな食堂で、みつ豆や軽食を食べていたこと。たたきに丸椅子とテーブルの簡素な店で、誰もが気安く相席するような時代でした。午後の空気とか、日々の張りのようなものがよみがえります。 検診は、そうですね。後悔は誰しもあることだと思いますが、今のわたしたちに属する心情なのでしょうね。あの時間の中には入り込めませんからね。