愛する人がいる幸せの隙間
私には、愛する人がいます。
ただ、敢えて、彼のことを「彼氏」とは言わないし、彼と「付き合っている」とは言いません。
主観的にも客観的にも、私と彼はいわゆる「付き合っている」ということになると思うのですが、私は「彼氏」「付き合っている」という言葉にアレルギーがあるので・・・・・・。
本題を話します。
私は彼を愛している。私の愛とは、彼の存在自体に感謝し、心から愛おしく、体も心も彼を求めているということです。
それ自体がとても幸せなこと。人を愛することの幸せを彼からもらっています。それが題名の「愛する人がいる幸せ」です。
しかし、その幸せにも、ときたま、すきま風が吹きます。
たとえば、私はアラサー(29歳)なので、アラサー特有の悩みともいうべきでしょうか、結婚や出産を含めてこれから先の生き方を考えさせられるとき、私の幸せが揺らいでしまうのです。
私は彼を愛している。それだけで幸せって、甘いんじゃないの?
彼はどうなの?彼は私を愛しているの?
私が彼を愛しているということは、彼からも愛されたいと思うのは当然。でも、私は彼の愛を確かめるのが苦手。
「私のこと愛してる?愛してないの?」なんて、ふざけてしか言えないし、言っても、もみ消される。
一度、結婚したいという気持ちを込めて、
「あのね、これは・・・・・・私の気持ちを伝えるのであって、○○(彼の名前)に何かをお願いするとかねだるってことじゃないから、聞いてね。」
という前置きをした後、
「私ねぇ。○○の家族になりたいと思ってる。」と伝えたことがあります。いきなり「結婚」という言葉を使うのはどうかと思ったから、私が彼のことをどのように思っているかを伝えようという意図で言ってみました。
彼は、「えっ」と少し驚いて、その後、「あらっ」とふざけた顔。
私は続けました。
「私は○○の存在にとても感謝していて、○○がこの世に生まれてきてくれて嬉しくて、しかも私の目に触れてくれて嬉しくて、すごく幸せ、そういう気持ちなの。○○には、歴史が感じられるの。健やかに、教養豊かに成長して、素直に青年になって、努力してっていう、歴史が感じられるの、○○を見ているだけで。今まで一生懸命生きてきたっていう歴史が感じられるの。その存在が魅力的なの。」
彼は、「そう言ってもらえるのは、正直いって、嬉しい。」とゆっくり言いました。
私は続いて、
「それで私は、○○の家族の一員になって、お母さんとも兄弟とも家族として仲良くしたいし、あってはならないことだけど、お母さんがもし健康面なんかで不安があったらお手伝いしたいし、東京に出てきている姪っ子さんとも仲良くして、寂しいときがあったり困ったことがあったら助けてあげられたらいいなぁと思うし。私はつまり、○○を、こういう風に思ってるってことを伝えたかったの。」
彼には、結婚願望がありません。私は彼を愛していて、彼と結婚して家族になりたい。
こんな私の愛を、周囲は「時間のムダ」「別の人に切り替えろ」など言います。結婚したいくせに結婚の見込みのない彼にこだわるのはおかしいということでしょう。
でも私は彼との関係を切りたくありません。
切りたくないから、結婚の可能性がなくても「愛している」の一点張りをしていると言われてもしかたがないです。
私の望みは、彼の家族になることです。つまり、彼と婚姻関係を結ぶということ。
単に誰かと結婚したいというのとは違うと思っているのですが、
結婚したいなら、結婚してくれる人を探すように周囲には言われます。
私は、彼が、いつか、私と、結婚してくれることを、願っているのです。
長文、しかも乱文失礼しました。
何か、私に言ってくれる人、いますか。
お礼
回答のほどありがとうございました。参考になりました。