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父の癌再発、家族の心配と支え
- 67歳の父の癌が再発し、家族は心配とショックを受けています。
- 前回の大腸癌手術から半年間の経過観察をしていた矢先、再発が発覚しました。
- 今回の発見は肝臓やリンパ節への転移がなく、治療に向けて前向きに取り組むことができます。
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癌の事は良くわからないのですが、私の父は現在70歳です。 五年ほど前に胃がんで胃を全摘出しました。よく胃の全摘出をすると何年かは食事も思うようにいかずに体調もすぐにはもとにはもどらいという話を聞きます。 義姉も同じく胃を全摘出しました。やはり6年ほど前になりますが、現在も体調はまだいまいちだそうです。 しかし・・・うちの父は生命力が強いのか、手術後入院中も「こんな病人みたいな飯くえない」とぼやいていました・・・「あんた、十分病人なんだけど・・・」(汗) ベッドの横の引き出しにビスケットを隠していて、看護師さんにこっぴどく怒られてました。 その後もバリバリ元気にやっていました。 が・・食道・大腸・と検査のたびに次々に癌がみつかり、そのたびに取っています。 今回も何か見つかったらしく、しばらく入院しました。 でも今もすこぶる元気なおじいちゃんです。 うちの父の生命力が物凄いのかもしれないけど、入院中も退院したら何処に旅行に行こうかとベッドの上で計画をしていますよ。 退院したら、あれとあれとあれを食べたいとか・・・ 上手くいえなくて申し訳ないですが、こんなじいさんもいると思い出してくだされば幸いです・・・
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- kurikuricyan
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私は癌患者でした。 スキルス性悪性印鑑細胞癌 胃がんでした。 5年前に噴門部分を残し、三分の二切除しました。 抗がん剤は 一度も使いませんでした。 キャンディーズのスーちゃんも 乳がん手術して 19年も生きました。 ただ、癌を経験したものとして言いたいのは、 「人は何であれ 必ず、何時かは 死ぬ」ということです。 貴女のお父さんも、来年までしか生きられないかもしれないし、スーちゃん みたいに19年も 生きられるかもしれない、、、。 それは、神様しかわからないことです。 ですから、「今日一日を大事に生きる」という心構えで過ごされた方がいいと 思います。 病気を抱えたまま 何十年も生きるのもつらいものです。 私も、胃の方は手術で抗がん剤治療もしないで完治しましたが、 手術による影響で 別の病気が発生し障害者になってしまいました。 正直、今、体の体調の悪さで「あの、胃がんの手術のとき、死ねていたら 楽だったろうに、、、」と思わないでもないです。 でも、生かされてしまったので、痛みに耐えていきてます。 一休さんが残した言葉に 「死ぬときは、死ねばよろしい」というのがあります。 「死ぬその日」まで、今日一日を 有意義に生きてください。
お礼
先ほど実家から戻ってまいりました。 父は元気そうに振舞っていましたがやはりすこしやつれて見えました。 子供を連れていったので、嬉しそうにしていたので行って良かったなと思ってます。 そうですね、人は誰でも死ぬんだし、もしかして自分も明日事故にあって死ぬかもしれない、人の寿命なんて分からないですものね。 死ぬ事もそうですが、これから抗がん剤を打ったり手術をすることによって弱っていくかも知れない父が可哀そうでなりません。これまでの抗がん剤でもやはりダメージがあったようで、ずいぶんと弱ってしまいましたので…。 「死ぬその日」まで、今日一日を 有意義に生きることは、なかなか難しいなと思います。(私はだらだら一日を過ごして割と後悔したりするので)でも、父が少しでも有意義に過ごせるようにサポート出来たらなと思えました。 実は、私の義母も胃がんで術後に手足の震えがあり、歩くのもおぼつかなくなってしまいました。 癌が治っても複雑な気持ちみたいです。あの手術は失敗だったとその病院で手術した事を悔んでいるようです。 少しでも皆が明るい気持ちになれるようにしないとですね。 とても考えさせられる内容のご回答、ありがとうございます。
- Kowalski_Japan
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私の父は段々と足腰が弱ってきて歩けなくなって、布団から起き上がれなくなっても病院には行きませんでした。 そしてオシッコが出なくなってしまい、慌てて病院に行きましたが、検査したところ脊髄膜に癌が出来ていました。 それで父は激怒して検査した医師を訴えると言い出しました。 訴えの理由が、「自分は癌ではないのに癌だと言ったから名誉毀損だ」というものでした。 そして「自分は癌じゃない。癌の訳が無い。だから癌じゃないことは明白だ」と言い出して、もう精神が錯乱しているとしか思えませんでした。 そして、ずうっと後になって判ったことですが、主治医に100万円もの賄賂を渡して検査をしないでもらっていたのです。 父は「検査なんかされたら癌にされてしまう」とも言っていました。 そんな父は、手術拒否のまま病院に1年も居座って、「人間の持つ自然治癒力は、本当に偉大です。どんどん良くなっています」と、見舞いに来る人に話していました。 ところが主治医から「余命はあと3ヶ月程度ですので、今の内に身辺整理をしたほうが良いですよ」と言われて蒼くなってしまいました。 そして「死ぬぐらいなら手術を受けたほうが益しだ」と言って手術を受けたのですが、癌は全身に転移していました。 本当に馬鹿みたいで、「入院してすぐに手術を受ければ癌は100%治ったはずですし、すぐに歩けるようになったはずです」と主治医に言われてがっかりしていました。 そんなときに薬局で薬剤師をしていた姉が面白い情報を仕入れてきました。 店に65歳ぐらいの女性と、40歳ぐらいの娘さんの母娘連れが薬を買いに来て、色々と話をしていたら、2人ともほぼ同じ時期に癌にかかってしまい、佐藤先生の開発した『佐藤療法』で完璧に治ってしまったと云うのです。 佐藤先生は開業医ですが、癌の免疫療法を長い間研究して、ついに『佐藤療法』を開発しました。 そして自分のクリニックで癌の治療をしていたのですが、医師会からは「インチキ医者」と糾弾されて医師会を除名されました。 そんなときに父の治療を頼みに行ったので、佐藤先生からは散々怒鳴られて「帰れー」と言われました。 まっくの八つ当たりですが、土下座して頼んだところ先生は治療を引き受けてくれました。 体育会系の健康な大学生から血をもらって、それを分離して培養してスーパーリンパ球と云うものを作り、それを患者に注射すると云う物でした。 そして父は、注射すること3回で完璧に治ってしまいました。 癌の主要マーカーは数種類以上有ると思いますが、そのうちの一つは健康な人の平均値が17だそうです。 そして父の値は4000を超えていました。それが、4~5にまで落ちたのです。 ですから「癌でない人より癌でない」と云う面白いことになりました。 その後佐藤先生は高齢で亡くなり、「佐藤クリニック」は息子さんが継ぎましたが、息子さんは『佐藤療法』を継ぎませんでした。 大変に残念なことです。 しかし最近になって、「佐藤療法」を始めたとHPに書いて有りました。 でも、何だか父が受けた「佐藤療法」と違うようなのです。 大学生から血をもらったときに、1回10万円ほどの謝礼をしていたのですが、医師会から「法律で禁止されている売血行為に当たる」として厚生省(当時)に告発されたので、それが原因かもしれません。 ですから、佐藤先生の「佐藤療法」と違うようなので自信を持ってお勧めすることが出来ませんが、こういう話も有ると云う程度に聞いてください。 「佐藤クリニック」の所在地は、横浜市中区だと思います。 横浜スタジアムの前です。興味が有ったらHPを見てください。 当時の話ですが、東京板橋区に誠志会病院が有り、ここの院長先生のお母さんが「佐藤療法」で癌が完璧に治ってしまったことから、提携していました。 ですから当時は、ここでも「佐藤療法」が受けられたわけです。 私の知人は埼玉県戸田市在住だったので、河を越えてすぐの、この病院を勧めました。 埼玉県の病院に入院していたのですが、癌で余命3ヶ月有るか無いか、そして黄疸であと3日の命と宣告されていたのですが、誠志会病院に転院してすぐに黄疸の治療がされ、「佐藤療法」もすぐに受けられて40日後には癌は綺麗に治ってしまいました。 しかし調子に乗って無断外出して外で食べ過ぎたのが原因らしく、腹膜炎になり亡くなってしまいました。 黄疸も癌も完璧に治ったのに、大変残念です。そう云う訳です。頑張ってくださいね。
お礼
佐藤療法ですか・・・初めて聞きます。HPを見てみましたが抗がん剤が使えないとか癌が一度は増えても徐々に無くなるとか症例もありました。 横浜はここから遠く、治療費も保険適応外で高額なので、それを受けるのはかなりの勇気がいることですので、今度の治療で様子をみてから検討したいと思います。 ありがとうございました。
お礼
早速のご回答ありがとうございます。 明るくて素敵なお父様ですね。やはり、心が元気でないと病気と闘うことはできないですものね。 昨日父親に電話したところ、思っていたより立ち直っていて、頑張ると言ってくれました。 その前に電話した時は落ち込んでいるようなので来るなと母から言われましたが…。 退院したら旅行など楽しい計画を立ててあげて励ましてみようかと思います。 私の仕事先のお客様も何度も再発されても明るくお買い物に来てくださる方がいらっしゃいます。 要は気持ちの持ちようですよね!!