• 締切済み

なやみ事について

聞いていただけませんか。 私は男兄弟の中の一人娘だったので、父に甘やかされて育ちました。 習い事も「やめたい」と言えばすぐやめられました。 当時はお金もありましたから、買いたいものなら客船でも買ってもらえました。 父に言えばなんでも願いが叶いました。 弟が居るのですが、弟と喧嘩になったり弟の気に入らないところなどがあれば、 私から父に言えば弟が叱られました。 長男である兄よりも、娘である私が何でも優先されました。 私が小学校にあがったころ、父は不倫し、相手との子供も二人生まれたので、母とは別居することになりました。最近戸籍を確認したのですが、この頃離婚していたようでした。 父は時々家に帰ってきませんでしたが、自分の身の回りのことは何とかできる年齢だったので、特に寂しいだとか、不便だとか思っていませんでした。私を何より一番に考えていると父は言っていて、それは事実でした。寂しいと思うことがなかったのはそれを私が疑うはずがなかったからです。 中学にあがる前に父は定年をむかえ無職になり、生活が一気に苦しくなったので、光熱費の節約でもしなければと思い、折を見ては母兄弟のいる実家に夕飯やお風呂に帰ることもありました。 そのときはまだ誰も幼かったのですが、しばらくこの生活を続けて、私は父の居ない家で居場所がなかったことを知りました。 弟や兄は、私の身勝手で理不尽な理由で父に辛い目を見せられていたこと、 それを悪びれもしない私を避けるようになりました。 母にとって息子たちは自分だけが愛せて自分を愛してくれる存在だったと思います。だから母も、こんなどうしようもない私の世話を、心のどこかでは億劫にしていたと思います。 父の会社を兼ねた家に引越し、そこから一番近い高校を選んでほしいと言われ、悩み事が重なり自暴自棄になっていた私はそのままその公立高校に決め、難関高校でしたが必死に勉強し、合格しました。母や別の会社に就職していた兄も父の会社で働くことになりました。我が家の生活は毎月赤字でした。 入学して半年も経たない時分になると、自分がこの学校に通っている意味、本当の将来の夢、日々の何もかもに腹が立ち、不登校になりました。父は、心根の弱い私に何も期待していない様子だったので、特に叱ったりはしませんでした。でも私がこうなってしまったのはこの環境のせいだと、父と喧嘩しました。 結果私は留年し、今年からまた通い始めました。父とは一緒に住めなくなったので、実家で暮らし始めました。 母は親としての責任で私を家に置いてくれましたが、兄弟との溝は取り返しがつきません。 それでも私も家族に負い目を感じていて、自分の家族の役目を探して、「住ませてもらってるんだ」と言い聞かせて過ごしてきました。こんな被害者意識とにているような考え方はよそうと、家族には笑顔を見せていたり、普通の家族のように滑らかで、でも決して図々しくならない振る舞いを心がけていました。 やがて私の情緒は安定し、自分の生活が思い通りにいかないことを、父や家族や他人や環境のせいにしてきた自分を改め、高校生なのに雇っていただいたバイトも続けるようになり、母にも今までより迷惑をかけないようになったと思いました。 でも母はやはり、娘のことは、なんと言ったらいいのかわかりませんが、 とにかく疎ましいようです。何を考えているのか分からない、時々ふっとわいたようなうわごとを言い出し、自分のことを軽蔑しているように見える娘を、本当に愛せないようです。もう家には帰ってこないでくれ、父親は自分のところに置いてくれないかもしれないが、そっちの家で暮らしてくれと先ほどいわれ、車から降ろされました。 最近兄に初めて彼女ができ、月に一回は遠く離れた関東に居る彼女の元へ足を運ぶようになりました。 母はそれがなんとも気に入らないようです。 父が私にそうしたように、兄が言うことは母にとって盲目的に絶対です。 私が服や化粧品を欲しがっても、買うことは許されませんでした。 買ってきたら捨てられました。 母にとっては初めての子である兄を愛する気持ちなんだというのはわかります。 でも、私はそれでも母のことは好きだし、同性の家族だから、もっと一緒に買い物にでかけたり、おいしいものを食べたり、おしゃれをしたい。そう思っていました。 母にとって私は、ひきこもりがちの陰気で友達とも彼氏ともうまくやっていけない人間で、トラブルばかり起こし身勝手で利己的な娘なんだと思いますし、まさしく私はそのとおりです。でももっと愛して欲しいな、他人に分かってもらえなくとも当たり前だけど、実の母親に期待したいことはたくさんあります。 料理をうまく作ったらおいしいと言ってほしい、かわいい服やかっこいいタレントをほめたら笑ってほしい、私の好きなものをそんなに嫌わないでほしい。 思うことは本当に陰気なことばかりだと思われるかもしれません。 自分の招いたことを、他人や環境のせいにしてきたから何も得られなかったことも理解できました。 でも、私は何をして良いんでしょうか。 家事は私が大半をします。母は昔から家事はしない人でしたから。 でもそれを「恩着せがましい」と言うのは、娘にはあまりに酷なのではないでしょうか。娘の私の主観でしかないかもしれませんし、私は人のことを満足に考えてあげられない人間ですから、そう思われても仕方ないのもわかってます。 でもかつては私にも私なりの夢があって、いまではそれを目指す道はどこにもなくなってしまい、警官になって親孝行をするよと言っているけれど、今でも忘れられない大切な自分が心の奥で時々泣いているのです。 でも家族のためには、このままこの学校を無事に卒業し、今雇っていただいているバイト先の給料を貯めて警察学校へ通う学費にあて警官になるのが最良です。 それは家族のためだけではなくて、自分のためでもあります。 もしかしたら、警官になり親孝行をつくした頃には、今のこんな悩みなんてなくなったり、退職して夢をこっそり叶えていたりするのかもしれませんが、こんな私では卒業さえわかったものではありません。 どこまでも嫌になるこの気持ちですが、私は本当にどうしたらいいんでしょうか。 余談になってしまうのですが、私の心からの夢は、美術関係の職業の道に進むことです。本当にこの道はありえないと思っていますが

みんなの回答

  • ymd0018
  • ベストアンサー率25% (11/43)
回答No.2

警察学校は、学費かかりませんけど。 警察学校には、警察官に採用されてから入るので、逆に給与がもらえます。

  • poizom19
  • ベストアンサー率8% (15/167)
回答No.1

こんばんわ そのまま進むのが いいかと思います