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好き

本当に相手のことを好きという確信を持つまでアプローチはしたくない。 それは自分の気持ちが冷めた時が怖いから。 でも気になる相手と仲良くなりたい、近づきたいという気持ちは大きくなる。 こういう矛盾はどうしたらいいでしょうか? ある程度アプローチしたあと、恋に恋してたとか、勘違いの好きだったとか気づいてしまったら? 相手に思わせぶりな態度をとったあと、気持ちが冷めるのが怖い。 友達に恋愛相談をしたくても、やっぱり好きじゃなくなった、とかいつか言うことになったらと思うと怖くて、気になる人がいるということさえ言えない。 例え冷めるとかなかったとしても、元来人の目が気になる性格で、恋愛してる自分を見られるのが恥ずかしくて、周りの人に言うことができない。 周りの人にばれないように、相手に対する態度まで取り繕ってしまう。 それはきっと自分に自信がないから。 自分の気持ちにも自信を持てないから。 自分の気持ちを信じることができない。 本当に好きなのかどうか。 だけど近づきたいという気持ちだけは大きくなって、誰かに話を聞いてほしくなる。 自分で自分を縛って本能のままに生きれない。 本当の好きって何ですか? どうしたら自分の気持ちを信じることが、この気持ちは恋だと胸を張って言うことができますか? そして周りの目を気にせずアプローチをすることができますか? 自分の行動や発言1つ1つを重たく考えすぎてしまいます。 わかりにくい文章ですみません。 回答お願いします。

みんなの回答

  • key00001
  • ベストアンサー率34% (2878/8340)
回答No.4

> 本当の好きって何ですか? みんな、ソレを探しながら生きてるんじゃないでしょうか? 少なくとも、事前とか最初に判るモノではないです。 もしかすると、最後に判るモノかも知れません。 特に恋愛の世界は、正解は一つじゃないし、一生掛けても正解に到達しない人だっていますよ。 だから誰もが、過ちを繰り返すんです。 なのに質問者さんは、その「過ちを犯すコト」を怯え過ぎてるんじゃないですか? 判り易く、食べ物の好みなどで考えてみましょうか? 質問者さんも、何か「一番大好きな食べ物」は有りますよね? それは、なぜ「大好き」なんですか? 色んなモノを食べた結果でしょ? 仮に「みかん」としますと、産まれた時から大好きだったワケじゃないですよね? リンゴやイチゴなど、沢山のモノも食べた上で、それらと比べた上で「大好き」になったんです。 ただ、みかんに出会うまでは、リンゴが一番好きだった時期があるかも知れませんし、将来はグレープフルーツが一番になるかも知れません。 では、過去に「りんご」が一番好きだったコトは、間違いって言えるでしょうか? 現在、みかんが一番大好きなコトは、間違いなんでしょうか? あるいは「みかんが一番大好き!」で居続ける必要はあるんでしょうか? 最終的な正解は、恐らく全ての食材を食べ尽くした時じゃないと判りませんから、「答えは最後」です。 しかしそんなコトはなかなか出来ませんし、そんなコトをする必要も有りません。 逆に、「ピーマンが一番嫌い」なども有りますし、ピーマンが嫌いなら、似た様な食材は、そんなに好きじゃないワケです。 「普通」も有りますね。 じゃがいもが普通なら、恐らくイモ類は普通でしょう。 人間って、そうやって「成長」と共に「経験」して、それを知恵とか能力に変えていく生物です。 最初は大嫌いなピーマンも、一口食べてみると言う経験をしなければなりません。 そのピーマンを一口かじるのは、「イヤな思い出」ですが、その思い出で、多くのコトが学べます。 でも、その一口を怯えると言うコトは、「一番大好き」にも出会えないコトにもなってしまいます。 モチロン何でも食べてみれば良いってワケでも有りませんけど。 毒キノコなども有りますからね・・・。 冒険は考えモノです。 ただ、スーパーで売られて誰もが普通に食べている様な食材は、一度は経験すべきではありませんか? それが自分にとって美味しいかどうかは、食べる前には自信なんて誰も有りませんし持てません。 事前に自信が持てないコトだからこそ、質問者さんは一生懸命に悩んだり考えてるワケです。 それはそれで素晴らしいです。 食べずとも、一生懸命に考えれば、「多分、自分には柑橘系が合う」なんてコトくらいは判るかも知れませんからね。 また、恐らく質問者さんは、「大嫌い」を口にするコトは無いでしょう。 最初に一番好きなモノに出会えたら幸せです。 実際の恋愛でも、そういう人も沢山居ます。 でもソレは、満足や納得は出来ても、厳密には一番とは言えないかも知れません。 だから誰でも、2度,3度・・と恋愛を経験するのかも知れませんね。 > どうしたら自分の気持ちを信じることが、この気持ちは恋だと胸を張って言うことができますか? 「気持ちを信じる」と言うよりは、やっぱり「経験」するんでしょう。 その経験が知恵になって、「信じる」って言う強い力を産み出せるんだと思います。 それと、そもそも「信じる」って言うのは、頭で考えてやるコトじゃないと思います。 頭で考えたら、相手は言うに及ばず、自分でさえ信じるべきじゃないから。 だって信じちゃったら、裏切られる可能性しか有りませんし、気持ちは変わるモノだから。 むしろ、気持ちは信じられないモノだから、行動するんですよ。 たとえば「パートナーが浮気してるかも?」って言うのは、相手を信じてないだけでは無く、自分の心に弱い部分があるからでしょ? 浮気が心配なら、なるべく一緒に居たり連絡したりする努力とか、相手にとって魅力的であり続ける様に努力をすれば、相手を信じられない気持ちを解消出来ます。 愛情は花と一緒なんです。 愛情を持って、水をやったり手を掛けて世話をすれば、花は咲き、長持ちさせられます。 この花が立派とか高価じゃなくても、自分で一生懸命に育てた花を大事に思う気持ちは、胸を張って良いですよね? ところが質問者さんは、行動する前から、心配だけしてる感じですヨ。 「もし途中で手入れを怠ったら、花は咲かずに枯れてしまう。どうしよう?」 確かにソレは当たり前ですけど、ちょっとおかしいと思いませんか? 花を咲かせた人とか、咲かせたいと思う人は、花が枯れるのは怯えますが、それを怯えるだけの人ではないですよ。 質問者さんの真剣さとか慎重さは、「どんな花が咲かせたいのか?」「どんな手入れをすれば上手く咲かせられるのか?」って言う部分に向けられるべきで、「枯らせる恐怖」だけに向けられるべきではないと思います。

  • tebyoshi
  • ベストアンサー率21% (29/138)
回答No.3

恋に恋しているというか、自分に酔ってるような気がします。「本当の好き」っては、「私本当にこの人の事好き?」なんて考えないのではないでしょうか。 本当の恋に巡り会えると良いですね。

  • ta_kuchan
  • ベストアンサー率24% (1287/5162)
回答No.2

考えすぎ。。。かなw 好き=一緒に居たいとか触れたいとか そんな感じじゃないかな。 >気になる相手と仲良くなりたい、近づきたいという気持ちは大きくなる。 当然だよね。 >ある程度アプローチしたあと、恋に恋してたとか、勘違いの好きだったとか気づいてしまったら 仲良い異性の友達って感じで良いんじゃない? 友達としてすきって奴。(LIKEとLOVEの違いw) >本当の好きって何ですか? 上記同様に、一緒に居たい、触れたい、誰かと話してたりすると嫉妬する とかかな^^; >そして周りの目を気にせずアプローチをすることができますか? それは質問者様次第じゃない?(性格等) まぁ オープンでアプローチをした場合に 冗談に取られる場合多いけどね。 (仮に本気でアプローチしても)

  • blazin
  • ベストアンサー率50% (20251/40149)
回答No.1

矛盾は「無い」んだよ、実は。 貴方は凄くシンプルに書いている。 ただ、 貴方は「恋愛」という言葉に捉われ過ぎている。 だから必要以上に「意味」を気にしてしまう。 自分で書いているじゃない? 気になる人と仲良くなりたい。お近づきになりたい。 その気持ちを大切にする。 それ「そのもの」を目標にすればいい。 そこからどう進むか? 何を得られるか?得られないか? そこまでは考えない。 何故なら、 貴方の気持ちのセットアップだけでは成立しないから。 好きになったのは一つのきっかけ。 相手と育んでこそ「活きた」思いでしょ? 一人で二人分は創れないから。 貴方は「形」に捉われてしまう。 自分の行動や発言一つ一つを重たく考え「過ぎて」しまう。 その「過ぎた」部分こそ。 相手の範疇なんだよね? 相手の気持ちまで、相手から、周りからどう見えるのか「まで」 考えてしまう。 考えても良いけど。 答えなんてそもそも出ないんだよ。 相手の気持ちなんてコントロール出来ないでしょ? 相手には相手の「自由」があるから。 だからこそ、考え「過ぎ」ない。 気にするのは別に構わない。 でも、気にし過ぎても何も出ない。 それを自分に丁寧に言い聞かせてあげないと。 貴方は。 その「~過ぎ」の部分に偏りを創る事で。 一番大事な相手との交流、コミュニケーション 「そのものを楽しむ気持ち」を簡単に脇に置いてしまう。 言い換えれば「中身」の部分を脇に置いてしまう。 そして、相手の評価や進展ばかり気にする。 それって「形」でしょ? いつの間にか。 相手への穏やかな思いが、 悩む為に思っているような状態を創る。 貴方が全然活き活きしていないんだよ。 思えば思うほど沈んでいく。 良いなと思える人が現れた。 正直あまり自分に自信は無い。 でも、これも自分だと。私は私だと。 私は私の魅力で向き合っていこうと。 今の私として、 少しでも気になる相手との距離感が縮まればいいな。 コミュニケーションの中で相手を発見していけたら嬉しいなと。 相手にも私を発見してもらえたら嬉しいなと。 その気持ち「自体」が貴方を活き活きとさせていく。 その先にどうなるか?ならないか? そこまで一気に考えて動き出しても難しいという事。 プロセスの中で、積み重ねの中で。 相手との疎通の中で見えてくるものだから。 凄く素敵な「思い」じゃない? 等身大の自分として出来る事から丁寧にやっていこうとする。 「相手」と分かち合う関係だからこそ。 自分の気持ちばかりを急がないで、 丁寧に相手と向き合っていく。 その「志」って伝わるんだよね? 異性的に上手く行くかどうかが全てじゃない。 お互いにどの部分に良いなというアンテナがあるのか? 嚙み合う人もいれば、そうではない人もいる。 それは向き合ってみないと、 お互いを受け止め合ってみないとわからないんだと。 でも、 仮に恋愛的な足場は共有出来なくても。 お互いを丁寧に知っていく、受け止めていくプロセスを 心地良く共有出来た存在は。 自分の中に何かを残すんだよね? 最初は「好き」から入っていった気持ちから。 もっとお互いの「多面」を感じていけるような広がりが 生まれていく事もある。 だからこそ、 仮に恋愛的には難しくても。 人間関係として、尊い存在になれる事もあるんだよ。 それも得難い人間関係でしょ? そして得難い関係だけど。 一番底辺の足元が凄く自然。力が入っていない。 それはお互いの繋がりを、 無理なく楽しく感じていこうとするシンプルな気持ちが原点だから。 本当の好きは。 相手との繋がりの中で見つけていく。感じていく。 発信するだけでも一方。 受信するだけでも一方。 「双方向」の中で育まれていくのが中身の「ある」好き。 アプローチ云々とか、結果云々ではなくて。 良いなと思える相手と、 今よりも少しでも心地の良い関係を目指してみようと。 その心地の良さの中身は深い愛情「だけ」では無いんだと。 好き「だけ」は無いんだと。 お互いに多面体。 そのお互いの多面を、違いを感じていけるような コミュニケーション。 好きになったからこそ、 私なりに経験してみようと。 経験できるように向き合ってみようと。 そのコミュニケーションがどこまで深まるか?積み重なるか? それは相手もあっての事なんだと。 こうなったらいいな~という気持ちもあるけど、 相手と創り上げていくものなんだと。 私は不器用だからこそ、 自分を身軽にして動いていく必要があるんだと。 「中身」の充実を「楽しんでいく」自分が大事なんだと。 最初はそれだけでも良いじゃないかと。 今まで目を向けていない部分だからこそ新鮮だと。 これからは「中身」のある関係を目指していこうと。 恋愛というワードと自分を上手く切り離してあげる。 肩の力を抜いてあげる。 気が付いたら意識出来る位になっているのと、 最初から意識「ありき」で動いていくのとは全然違うでしょ? 貴方は考え過ぎたらバランスを崩すタイプ。 それは自覚して。 自分を一番よく知る貴方として、 良いなと思える自分自身を大切にしていけばいいんだと思う☆