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「先生」と呼ばれる人はたいしたことないか?
よく『「先生」と呼ばれる人はたいしたことない』とか『ろくでもない』いう言葉を耳にする。 私の父も言っていたし、先輩OBも言っている。 しかし、これは本当にそうだろうか? 先生と呼ばれる人といえば、学校の教師・医師・弁護士・代議士などがそうだ。 しかし、率でみると先生と呼ばれている職業の人よりも、先生と呼ばれてない人のほうが、たいしたことない人間が多いようにも思われるがどう思いますか? お願いします。
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先生というのは、先に生まれた人、年長者、老人で学問を教える人・転じて教師・師匠を指す言葉、学問や技芸に長じた人の敬称、などの意味があるようです。つまり、人並み以上の高い専門知識を有し、それを用いて人を指導したり、教育したりするのが先生なのですね。 昔の日本は、教育を満足に受けている人が少ないので、エリート教育を受けた一部の知識人が途方もなくすごい逸材に見えたことでしょう。 戦後に入り、教育を誰もが受けられる富裕さを国民が有するようになり、教育水準が飛躍的に高まりますと、実は、エリートと呼ばれていた人達が言われるほど凄い人達ではないという事実が広く知られるようになったのです。 賢さには、単純に言ってしまえば、豊富な知識と、それを使いこなす頭の切れの二つに分けられると思います。みんなの知識が増大した結果、先生と呼ばれる人が、知識の詰め込みによって専門家をやっているだけの凡人なのか、頭の切れを兼ね備えた本物なのかを見抜く力を身につけたのだと思います。 結果として、頭の切れのある逸材が世の中にごまんといるはずがないので、人々は「先生と呼ばれるわりには大した人物ではないな」と思う機会が増えたのだと思います。 少々尊大な物言いかもしれませんが、人は、自分を指導する人間には、自分よりも秀でていて欲しいと願うものだと思います。仮に自分と大差のない人間であるとすると、その人に物を教えられる自分も大した人間ではない、という考え方をする為だと思います。要するに、自分の自尊心を保つ為にも、自分の師匠は優れた人でなければならない、という考え方ですね。 そして、相手が自分から見て自分を教えるに相応しい人物ではないと考えた時、「先生は大した事ない」という言葉が出てくるのでしょう。 いわば、先生と呼ばれる人々に対する過剰な期待の裏返しでもあるのです。或いは劣等感の表出かも。「先生と呼ばれてない人」に対しては、誰も期待していないので、仮に「たいしたことない人間が多い」という事実があっても別の話なのですね。 また、社会的に地位のある相手を蔑視することにより、ちっぽけな優越感に浸りたいという願望が入りまじっているのかもしれませんね。
お礼
なるほど。 簡潔な回答ありがとうございました。 しかし、みんなそういう意味で言っているのかな?