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子育て失敗?
小学校3年生の娘の母です。 同居の私の母が、骨折しました。 うちは商売をしており、母が主体ですので、これから私は母の世話、商売での母の代わり、と忙しくなる事は確実です。 母を病院へ迎えに行き、待ってる時、娘が『お腹すいた』『眠い』『退屈』とワガママを言っていましたが、私は母の事、商売の事と頭が一杯で、軽く相づちを売っていました。 すると『今日のご飯何?』と聞いてきたので、『お祖母ちゃん戻って来たら相談するから待って。まだご飯の準備してないし、今日は忙しいからお弁当か何か買うよ』と言うと不満気に 『夜ご飯は私の毎日の楽しみなのに、お弁当なんて嫌だ』と言いました。 私のイライラした空気も気に入らなかったのでしょうが、あまりに自分の事ばかりの娘に情けなくなり 『お祖母ちゃんの事、心配じゃない?』『お祖母ちゃん可哀想だと思わない?』と聞くと、『う~ん』と考えてるので、『特に何も感じない?』て聞くと『うん・・・』と答えました。 先月、娘が風をこじらせ入院した時に私が付き添えない時、母が代わり娘に付き添ってくれた事等を例として挙げると、『う~ん、そうだね』とだけ答えました。 この娘とのやり取りで私は悲しくなったと同時に、娘には思いやり、優しさが欠乏しているんだと情けなくなりました。 娘の入院中、ついつい甘やかし、退院後の今もワガママが続いているのは確かです。しかし、それにしても、あまりにも人の事を思いやれない娘にがっかりしました。学校でお友達に対しても、自分から意地悪はしませんが思いやりは少ないような気がします。 まだ3年生、もう3年生。これからどの様に娘に接し、教えていけば良いでしょう?もう手遅れでしょうか? アドバイスお願い致します。
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- らんらん るー(@asu0w0asu)
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夜回り先生の言葉です。 『子育てに失敗は許されない』 何故なら、子育ての失敗=子供の死 だからだそうです。 子供が生きてる限り、子育てに失敗なんかない。私はそう思います。 究極の子育ては、単に『死なない、殺さない、死なせない、殺させない』なのではないでしょうか? これを前提とすると、あなたの子育ては何にも間違ってないですよ。 そもそも、小学3年生に、周りの人のことまで思いやれる余裕はないと思います。 例えば、友達が入院して学校に来れない、それを聞いて泣いた子が居るとします。 大人は『なんて優しい子なの!』と思うでしょう。 でも実際泣いている理由は、『入院してたら一緒に遊べないなんて!』が大半です。 おばあちゃんを亡くして泣いている子が居るとします。 その泣いている理由も、『おばあちゃんにもう会えないなんて!』 わかりますか?全て自分が中心なんです。本当の意味で、入院した子が可哀想で、死んでしまったおばあちゃんが可哀想で泣く子供は、そうそう居ません。 でも自己中なわけではないですよ。 小学生くらいまでは、まだ考え方が自分中心なのが普通です。 決して思いやりが無かったり、優しさが無いわけではありません。 相手の立場になって考える、といいことが出来る年齢ではないだけです。大人だって、出来ない人は沢山居ますよ。 まだ成長過程です。これから、『相手の立場になって考える』ということがどうゆうことなのか、一緒に考えて行けば良いんですよ。 お母さん、これから大変でしょうが、無理はしないでくださいね。 長文失礼しました。
- marun_2008
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小学3年生ですよね。ムリ。 ご自身は小学3年生から思いやりのあるコだったので そう言うんでしょうね。 精神的成長としては天才とか上中下でいうと上レベルです。 私自身振り返ると、小学4年のときに道徳かなんかの授業で 「ひとには自我というのがあります」というのを聞いて そこで、ふむふむ、言われてみれば自分は自分というのを意識できるぞ。 とか考えてました。小学4年でそのレベルです。 そこからさらに1年前に思いやりとか、ばあちゃんの入院とか 親を思いやるとかできたか?といわれると無理。不可能。 一般の人間がどういう成長をしていたのか、 当時の自分を振り返ることくらいしてあげてください。 今、忙しい、大変なんでしょ? 子供の教育とか考える前に自分のことを一生懸命やってください。 子供はそういう親の背中を見て育ちます。 やっておられるように、自分が考えていることを伝えるのは、 いいことだと思います。 根詰めると体に毒ですよ。早く寝るようにして、 悪い考えは忘れてできることを精一杯やりましょうよ。 えらいぞ。がんばれ。おかあさん。
最近の子はみんなだいたいそうですよ。 私も甥や姪が母親を召使みたいに扱ってるのをみて、「あんた達なにか忙しいの?見てたら携帯やゲームばっか触ってるようだけど。なんでもお母さんにさせて、お母さん大変だなあとか、自分の時間が無くてかわいそうだとは思わないの?」と聞くと、キョトンした顔で「なんで?子供の世話をするのは当たり前じゃないの?」と言われてしまいました。 私達の時代は・・・なんていうと年寄りみたいだけど、母が疲れていたら内緒で部屋をきれいに片づけたりして喜ばせたりしたものでした。 日ごろから、娘さんに何か手伝わせて、「ありがとう、助かるわ」といった経験はさせていますか? 娘さんには、今自分がしたいことを我慢してでも、あなたやおばあちゃんの為に何かを手伝った経験、そしてそれを感謝された経験がないのではないですか? 娘さんにとったら、「私の時間は私のもの、家族(お母さんやおばあちゃん)の時間も私のもの」、そういう環境に育ってるのでしょう。うちの甥や姪しかり・・・。 あなたは今「娘には優しさや思いやりといったものがないのか」と思われていますが、経験がないだけなのでしょう。 今からでも、最初は遊びながらでも、一緒に洗濯物を畳むとかしてはどうでしょう。例えばおばあちゃんの洗濯物を畳ませて、それを「ママがするより早くてきれいね。おばあちゃん○○が畳んだって知ったら喜ぶわね。ママが畳むよりも嬉しいのよ」と言ってみるとか。 ちなみに、私が甥や姪に何か頼む快くやってくれるのです。例えば、「ゲーム続けてやったら目に悪いから、休憩がてらひとっ走り買い物行って来てよ」とか。メモは丁寧に書きます。最近の子は商品が見つからないだけですぐに嫌気がさすので。私の子供のツメを切らせたり、10分ぐらいだけ散歩に連れて行かせたりします(うちの子にケガさせたらどうなるかわかってんだろうな、と冗談ですごむとウケる)。 今からでも全然遅くないです。家族みんなに可愛がられてきっと優しい子だと思うので、おばあさんのことをきっかけにお手伝いや人の為に何かする喜びを教えてあげて下さい。
- kirara-ki
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親は、どうしても自分の子どもに多くを望んでしまいますよね。 親ではない私からみれば、まだ子どもなのだな、甘えさせてもらって可愛く育っているのだろうなと思うくらいです。 気が利いて、優しい言葉が出てくるお子さんも思いやりがあり可愛いと思いますが、娘さんは親の愛情に守られて周囲に気を使ったりする必要もなかったのでしょう。 子どもらしいお子さんなのです。子育て失敗などということはありませんよ。 入院中にお見舞いにいったとしても、短い時間でお祖母さんの大変さは解らなかったと思いますが、帰宅されればずっと見ているので、お祖母さんの不自由さは伝わると思います。 お祖母さんを優しく介護する姿を間近に見ていれば優しい気持ちが育つと思います。 これからですよ。 >『夜ご飯は私の毎日の楽しみなのに、お弁当なんて嫌だ』と言いました。 「楽しみにしてくれていて、お母さん嬉しいな。用意出来ていなくてごめんね。買ったものが嫌だったら一緒に作ろうか?」 というように娘さんの気持ちを受け止めつつ、お手伝いをする方向に仕向けていかれてはどうでしょうか。 娘さんも、お母さんの注意がお祖母さんに向いてしまい、寂しい気持ちがあったと思いますよ。 私も、小学校の中学年時代はお米を研いだり、絹さやの筋をとったりと母の助手を務めたものです。 子どもも興味があり、一番やりたい時期ではないでしょうか。 高学年になると部活や塾で子どもも忙しくなります。 お店やお祖母さんのお世話で忙しくなりますし、一緒に調理する時間を親子のコミュニケーションの時間にすることも出来ます。 いつもお母さんがやっている仕事を自分がやることで、お母さんの立場に立って考える事が出来るようになるのではないでしょうか。 頼りにされている、任されている(実際は助手ですが)という気持ちがお子さんを成長させますよ。 質問者さんのお母様が早く良くなりますように。 質問者さんも、あまり無理をしないで下さいね。
- kanau122
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我が子に思いやりのなさを感じると、自分の育て方が悪かったのか、何でこんな子に・・って情けなくなったり、一人の人間同士として我が子に軽蔑の気持ちをもってしまったり・・・お気持ちよくわかりますよ。 うちの子も、今3年生ですが、つい最近同じようなことがありました。 うちは、学校から自宅が徒歩5分程度のところに住んでいるのですが、先日娘が帰宅する時間帯に、学校のすぐそば(我が家からも歩いて一分くらい)のアパートの一室で火事があり、消防や警察が出動して交通整備や野次馬の排除を行ったりしていて、いつもの通学路が通れず、回り道が必要だったそうです。 私もその火事の様子を見に行って、大変だなあと心配な気持ちだったのですが、そのあと娘が帰宅一番「あ~~~むかつく!」ときれてランドセルを投げ捨てたので理由をきいたら、交通整備で迂回させられたことに腹をたてていました。 どっちから遠回りしようと歩いて5分程度で付く家です。毎日30分歩いて登下校してる子だっていますし、火事でつらい思いをしてる人がいるという状況が目の前にあって、たかが迂回したくらいで何で自分のことしか考えられないのかと我が子ながら情けなくなり、その考えは人としてどうか、という意味もあって娘の頬をひっぱたきました。 やはり、このくらいの年齢になると、それなりに思いやりのある子ってのも増えてきますから、そういう周囲と比べてもっと思いやりがある子になってほしいと情けなくなってしまう気持ちはでてきてしまいますよね。 私は、そこで娘をひっぱたいてしまい、これでよかったのか、娘に伝わったのか、と自分に自信がありませんでしたが、先日こういった場でそのことを話し意見をきいたところ、ほとんどの方はそれでいいと思う、時には必要なことだといってくださいました。 私が娘の考えに情けない、人としてよくないと言葉で説明してもきっと伝わらないと思ったからやってしまったことですが、親にも人間としての感情があり、その娘の態度に憤りを感じたことや、悲しくなった気持ちをそういう態度で伝える必要も時にはあっていいのではないかといわれ、私もそう思いました。 もちろん質問者さんの娘さんについては、酷い言葉をいったりしたわけではないので、そこまでする必要はないことかと思いますし、うちの子も同じように、このくらいの年齢の子だと、やはり自己中心的な考え方になりがちですよね。 自分のことより他人のことを思いやれるというのはよほど出来たお子さんだからであって、できないからといって今の段階で子育てが失敗したとかっていうことにはならないと思います。 真剣にこちらの気持ちを訴える、ということもあっていいのではないかなと思いますし、今すぐにはそうなってくれなくても、それを過度に出来て当たり前だと期待するのではなく、そういう考え方はどうかと思うという気持ちを伝え続けていくとともに、親である自分自身が思いやりの気持ちを表していくのを背中でみせていくしかないのではないでしょうか。 「心配するのは当たり前」「心配じゃないなんてやさしさが欠けている」という押し付けではなく、「ママはおばあちゃんのことが心配」「おばあちゃんがこうなってとても悲しい」という、自分の気持ちとしてあらわしていくことや、おばあちゃんが心配な中でも娘さんに対しての思いやりの気持ちをもって、そこで、「ご飯楽しみにしているのにごめんね。これからもこういうことで大変になるかもしれないけどわかってほしいんだ」という気持ちを持って接することじゃないでしょうか。 子供が思いやりを持てるか持てないかっていうのは、自分に向けられた思いやりの気持ちが多ければ多いほど育っていくものだと思います。 私自身も、娘や息子に思いやりが足りないなと思うことが多いのですが、それは逆をかえせば、私自身が自己中心的な態度で子供に接してしまったり、自分がしてあげるよりも子供に求めすぎていたり、子供に優しくできなかったり、そういうことが積み重なってしまっている部分が大きいなと反省することも多いです。 相手に優しさをもってほしければまず自分が優しくする、やはりこれなんじゃないかなと思います。 その中で、少しづつ大きくなるにつれて育っていくものだと思うので、今の年齢ではぜんぜん遅くないと思いますよ。
小学校の3年生って8歳くらいですよね。 自分のことしか考えなくて普通でしょうね。 あまり心配することはないと思います。 わたしは祖母とは暮らした事はありませんでしたが、 イトコ(女の子)は生まれた時から同じ屋根の下で暮らした祖母でも 特に優しくしたことはないようでした。 お小遣いだけはちゃっかりもらっていたようですが。 母親と祖母(いわゆる嫁しゅうとめ)の関係の悪さを察していたせいかも。 これからも質問者様が普段からお母様を大切に思っていることを 言葉や態度で示していけば、 おばあちゃんは自分にとっても大切なひとだと だんだんわかっていくのではないでしょうか。
こんにちは あなただって、自分のことを一番に考えているじゃないですか? お母さんのお世話と商売で忙しくなるんだから、わがままいってほしくないって思っている。 でも、子供って、自分の存在が危うくなると、自然にわがままが出て、自分に目が届いていないことをシグナルとして出しているんだと思います。 自分が満足してこそ、おばあちゃんの面倒を見てあげて、ってなるんだと思います。 わがままというけれど、やっぱり、手をかけて、愛情をかけてあげることって大切だと思います。 そして、食事は子供と大人とでは重要度が違います。 大人にとってはたかが、食事。 でも、子供にとっては、親からの愛情を確認する意味でも、手作りの食事と言うのは、重要な意味を持っているんだと思います。 普段の食事を楽しみにしている、それはそこから、お母さんの愛情を感じているからこそ、楽しみにし、満足もしてるんじゃないかって思います。 むしろ、忙しい時こそ、わずらわしいというような態度をとらずに、手をかけてあげる。というか、食事も、仕方が無い時は今日は、おにぎりとトン汁よって事になっても仕方が無いと思います。 できるだけ、手作りで、そこでつながってるって娘さんは感じてるんじゃないかって思います。 素直でいい子供だとおもいます。 むしろ、私はいいから、おばあちゃんをみてあげて、って我慢するほうが、こどもらしくないとおもいます。
- kaede-com
- ベストアンサー率21% (214/993)
小学三年生ならそんなものではないでしょうか? 子供にとったら、病院など待っているときは退屈なものですよ。 大変なのかなということはわかっても、祖母が骨折したらどうなのか・・・ということにまで考えが及ばないでしょう。 お弁当が嫌だ・・・というのも素直なだけですよ。 逆に手作りの夕食を楽しみにしているということでしょう? 私は、小学六年のときに祖父が亡くなったのですが、やはり他人事にしか思えませんでした。 別居だったので、またお嬢さんとは違うかもしれませんが、亡くなったから夕飯までには帰れない、ちょっと遅くなるという電話を母から貰っても祖父が可哀想とか亡くなるということにピンときませんでした。 大変なんだなということだけはわかったので、味噌汁とツナサラダを作ってご飯を炊いたのを鮮明に覚えています。 祖父がどうということよりも、頑張って夕食を作ったことをお母さんに褒めて貰いたかった感じです。 冷たく感じるかもしれませんが、小学生・中学生くらいでは自分のことを中心にしか考えられないものではないでしょうか? 思いやりや優しさって、成長する過程で色々なことを経験して学んでいくことだと思います。 大人が思っていることと違う反応だったりしてがっかりすることもあるかもしれませんが、自分から意地悪なことなどをするのでなければ、いいのではありませんか? 逆に小学生が大人と同じ反応だったらそちらの方が怖くありませんか? また、娘という立場と孫という立場だとちょっと感じるものも違うと思います。 長い目でみてあげたら如何でしょう? 我侭なことを言っていたかもしれませんが、ちゃんと待っていられただけでも良しとしませんか?
- soon4561
- ベストアンサー率13% (55/398)
自分の昔と比較しているのですか? 娘さんの年齢で思いやりを押し付けても意味無いですよ… その年齢でやっとわがままと言う感情を出せたのだからむやみに押し付けるとお母さんを恨むかも…教育なんて親の気持ちだと思います。 お腹をすかせた子供を産んだ張本人が子供の人格否定したら絶対グレるか嫌われそう。 まぁ、お母さんの事でナーバスになっているなんてなかなか理解できないでしょう。
- Bouquiniste
- ベストアンサー率30% (24/78)
小学3年生なら、そんなもんだと思います。というか、20歳くらいまではそうだと思いますよ。 自分のことしか考えられないし、他人の痛みがまだわからないのだと思います。 風邪をこじらせて、入院云々は関係ないと思います。 おばあさんの骨折など、年をとることがどういうことかも想像がつかないのだと思います。 私はその逆で、幼い頃から「とても優しい子」といわれていましたが、 思いやりから優しくしているわけではありませんでした。 単に興味がないので、皆がいじめる子をいじめなかったり、 子どもなりの処世術から怪我をした子の鞄を持ってあげたりしましたが そんなくだらないことで何もわかっていない大人から優しい、といわれるのが心外でもありました。 あまり深く考えず、愛情をもって見守ってあげるのがよいと思います。 家族やおばあさんに愛された記憶は、いずれ大人になればわかってくると思います。