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甘えなのはわかっているのですが……【長文】
- 最近、学校を長いこと休んでいます。昔から絵に関する仕事に就くのが夢で、今もその専門学校に通っているのですが、絵が描けなくなり課題も進まず休むようになりました。
- 絵が出来上がるまではそちらに集中しなければと思ううちに、台所は山になり、ゴミが部屋に溢れ、洗濯物がたまるようになりました。片付けなければと思うのですが、絵ができていないのにそんな暇はないと言い訳してしまい、やる気になりません。
- 皆さんもこういう気持ちになったことはあると思いますが、そういう時はどのようにして乗りこえているのですか?教えてください。お願いします。
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甘えているのではないですね あなたは「息が詰まる作品だね」これが克服できないわからない だから絵が書けない 学校へ行けない んだと思います 自分では良くできたと思ってた作品に言われたから じゃあどう書けばいいのかわからない と同時にまたあのようなショックなことを言われるかもしれない恐怖から書けなくなったんだと思います 私は絵の知識ないのでわからないんですが うまく書こう 褒められようじゃなくて あなたの感情で書いたらいいと思います 元々芸術ってわからないところないですか 考えがないからわからない 感情で表されてるから 考えちゃったら書けないと思います 気持ちで書いてみたら如何ですか 芸術をしらない私が言うこと出来ないものだけど 出来ないのは逆に考えがしっかりしてて本当に自分に厳しいからだと思います 頭では書けない、絵にならない 気持ちで書けってことじゃないでしょうか 後あなたは周りと比べますよね 本来比べられるものなのでしょうか 人の心はそれぞれ違う どっちが上でどっちが下はない 絵も感情で書くなら人と比べることは出来ない あなたは頭で書いてるから書けないのではないでしょうか 偉そうにすいませんでした
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- kiyo7041
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良かった 前向きに生きれる様になって 私の娘(今年22歳)なんて考え方を変えただけでそれまで出来てたニキビが出来なくなった~って喜んでましたよ どんだけ単純なんでしょうね 娘!偉いぞ(笑)
お礼
ごめんなさい! 頭がいっぱいいっぱいで、今になって何度もご回答いただいていたことに気付きました。 本当に申し訳ありません。 気付いて涙が出ました。 何度も答えていただいて、本当に嬉しいです。 とても力になりました。 娘さんが幸せそうで何よりです。 私は20歳なので、たぶん就職に関する不安もあったと思います。絵に関する専門学校なのでなおさら、働き先を見つけるのが難しいですし、アルバイト経験もないですし……。 好きな絵ですら辛くなり、寂しがり屋なのに家族も側におらず、休み期間で友達と会う機会も少なく、おまけに病気で体調も崩し……嫌なことが重なっていただけなのかもしれません。 何度も皆さんの言葉を読み返しているうちに、そんなに悩むことなのかなと思えました。 母に心配かけていますし、早く立ち直って実家に帰って元気な姿を見せられればと思います。 本当に本当にありがとうございます。心から感謝しています。 どうか、あなたも幸せでありますように。心からお祈り申し上げます。
- tomban
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まず先に「締め切りについて」の話をします。 締め切りの「目的」とは「切ること」なのです。 自分で納得できない作品でも、切るということが出来るかどうか。 考えて御覧なさい。 あなたの作品は、先生の作品よりも上手でしょうか?。 そうではないはずです。 あなたが「求められていること」は、別のところにあるんですよね。 それは「学校の生徒として、課題に対して真摯に向き合う」ということ。 つまり「態度」です。 大事なのは「締め切りに間に合わないこと」ではありません。 ましてや「間に合わせよう」と必死になり、パニックになりながら描くことでもない。 そんな作品は完成しても「失敗作」です。 気持ちがこもっていない作品、焦りが満面に出ている作品など、誰が好んで見たいものでしょう?。 大事なのは「出来ないときには出来ない」とあきらめる勇気であり、その態度ですよ。 それが出来ないうちは、締め切りを設定する意義はないし、失格だということです。 これは重要なことですので、しっかり噛み締めてくださいね。 態度が清廉であるならば、生活態度も少しずつ変わります。 反省も、そこで初めて深い部分でできるようになります。 今のままでは「仕事に疲れて帰宅した、単身赴任のオヤジ」です。 体調不良というハンデもありますが、自分を律するということは無理やりに講じても出来るものではないのです。 病気に関しては、早く治すか、難治性のものであるのならば「どうやってつきあっていくか」です。 乗り越えるとか、そういう類のものではありません。 自分で勝手に山を設定しても、その山を登るのは「あなただけ」ですよ?。 それは寂しくはないですか?。 みんなと一緒に、山に登りたくはないですか?。
お礼
締め切りに関しては、とても悩んでいます。 でも「出来ない時には出来ないと諦める勇気」はなくても、締め切りはなければならないと思うのです。確かに今の私は時間があっても質をあげることが出来ない状態にありますが、締め切りがなければますます作業が進まなくなってしまう気がします。ある程度の目途がないと、どうしていいかわからなくなってしまうのです。 だから、今は「出来ない時は出来ないと認めること」を意識しながら、締め切りの中でいかに自分を納得ささせるかということを考えたいと思います。 病気はそうですね、どうやら長い付き合いになりそうなので、ゆっくりやっていこうと思っています。幸い、家族や親戚に医療関係者が多くいるので、どうにかなりそうです。 設定する山が高すぎたんですかね……登れなくなって、転げ落ちてしまいました。 もっと気を楽に、前向きに、なんとか頑張ってみたいと思います。 ありがとうございます。
- kiyo7041
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命取られて殺される訳じゃないんだから(笑) 現に幼少期悩んでいたのが今では笑って振り返れるでしょ? 喉元過ぎれば熱さ忘れるでいつまでも引きずって生きてられませんって 人間は忘れて生きていける動物ですもん 甘えだと自分で思ってるだけ 思い込んでしまってるだけ 私は自分自身が大好きな人なんです 貴女も自分を好きになってくださいね
お礼
そうですね、その通りです。 皆さん甘えじゃないとフォローしてくださって、少しだけ楽になれました。 自分では甘えだとしか思えず、両親以外の誰にも相談できずにいたので(両親にも詳しくは話していないのですが)、ずっと辛かったんです。 何人かの友人がメールで心配してくれて、中には部屋に会いに行くと言ってくれた友人もいたのですが、そんな人たちに私の悩みを背負わせるわけにいかなくて、情けなくて情けなくて相談できませんでした。 自分を知っている人に相談するって、難しいです。 自分を好きに……。 そういえば、絵が描けなくなった途端に自分の全てが嫌になってしまった気がします。 もっと気楽に構えなければダメですね。頑張ります。 ありがとうございます。
- kiyo7041
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厳しいからと言って立ち向かえるとは限りませんよ 人間は所詮み~んな弱いもの 何だか弱みを見せたく無いが故に理屈できてるような… もっと肩の力抜きましょ 頭ではわかっているのでしょうが自身の性格が出来ないんでしょうね あまり深く掘り下げて考えないように努力しましょ
お礼
不思議ですよね。他人が同じことをしても許せるのに、自分だと許せないんです。でも結局逃げているからには、自分にも甘いんでしょうね。あるいは他人を許している気でいて、心のどこかでは厳しい意見を持っているのかもしれません。 よく考えすぎだと言われます。もっと気を楽にして、なんとかなるって気持ちで生きろって。 考えないようにするって私にとっては逆に難しくて……これでも自分では、今の辛いなんて将来は笑い話になる、とか、辛い時期なんて人生で見たらほんの数秒だとか、そういうふうに考えているんですけどね。 気楽に気楽に……。 意識して頑張ってみます。 ありがとうございます。
- qualheart
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それって甘えでしょうか? 確かに一般的な勉強ができないというのなら分かります。でも、絵ですよね? 本来それは「好き」でやるものではないですか? 描くことを「辛い」と感じるなら、「好き」ではないということではないでしょうか? あえて、「辛い」と感じる職種に固執しようとすることに意味があるとは思えません。 だって、ご質問者様はまだまだこれからですし、色んな可能性がある中、「辛い」職業を自ら選ぶ必要はないのですから。 絵を諦めることは「甘え」ではないと思いますよ。 現実を知っただけです。ご質問者様にとって絵は趣味であって、職業に出来るものではなかった、それだけのことです。 確かに学校に行かせてもらいながら途中で諦めてしまうなんて、親に悪いと思う気持ちはあるでしょう。 それはそれでその責任は取りましょう。 でも、絵を諦めることは別です。 ご質問者様にとって、より良い道を選ぶことが、ご両親にとっても良いはずです。 良くご両親と話し合ってみてください。 ご参考まで。
お礼
そうですね……その通りだと思います。 でも趣味だったことを仕事にしようと決意した人の多くが、一度はそれを嫌いになったり辛いと思ったりしていると思うのです。きっとプロになろうとするからには、絵に限らずどの職業に就いてもそうなのだと思います。 だから、ここで諦めて良いのかと疑問に思うのです。せめて五年はやりぬかないと、その仕事の本質の欠片も見えてこないのではないかと。ちょっと足を踏み入れて逃げ出すなんて、それほど無責任なことはないと思うのです。 何より、私は物心つく以前から、絵が好きでずっと絵を描いて生きてきました。人に自慢できるような大した努力はしていませんが、それでも絵を諦めるということは、これまでの生き方全てを無にしてしまう気がして怖いのです。この仕事に就けないのなら、私は今まで何をして生きてきたのかと思うくらいです。だから執着しているのだと思います。 心のどこかで、私はこの仕事に向いていない気もしていました。でもそれが逃げているだけなのか、本当に向いていないのかは、二年やそこらじゃわかりません。先生も、二年じゃ何もわからないと言っていました。 でも、そうですね、回答者様の言う通りですね。 私の人生はこれからと思って、もっと慎重に考えてみるべきなのかもしれません。 いずれにせよ在学中に夢を叶えられる可能性はほとんど無さそうなので、来年からは実家に帰って就職すると思います。できれば接客業に就きたいと思っているので、全く違う環境で遠くから絵というものを見つめて考えてみます。 ありがとうございます。
自分には、非常に好感の持てる質問でありました。 俗にいう「スランプ」と言う状況でありますね。 一つ、歯車が狂えば、それに関連する全ての物事がうまく回らなくなってくる、と言う事は、長い人生の中で確かにあります。 一つの悩みが解決しない内に、また新たな悩みが重なり、それがまた雪だるま式に膨らみ出して、収集が付かなくなります。 焦れば焦る程、益々袋小路に追い込まれる事でもありますしね。 ちょっと視点を変えて見ませんか? 原因が分かっているのに、解決しないのは、それが本当の原因ではないからです。 あなたがやる気さえ出せば、全てが解決する話なんですが、現実はそんなに簡単な話でもないでしょう(笑 「甘え」と一言で言い表せないような事は、世の中にはたくさんありますよ。 このような人生のスランプは、周りを見渡せばたくさんある話なのですが、実は、一人の人生で例えれば、早々何度もある事でもないのです。 一度スランプを抜け出た人間に、もうスランプは訪れたりしません。 何度も訪れる人間もおりますが、それは初めから何も解決などしていなかったせいなのです。 そう考えれば、今の状況はむしろ貴重な経験なんですよ? もっと楽しんだらどうですか? 根本的な解決とは、絵が書けるようになる事でも、片付けやゴロゴロしなくなる事でもないんですよ。 窮地に追い込まれたり、様々な葛藤があったり、本当にたくさんの事がありますが、そのどれもが自分自身の望んでいる事、と言う事をご存知ですか? 求める気持ちがあるからこそ、人は悩むんです。 悩む事は、悪い事ではないと、自分は思います。 嫌な事や苦しい事があれば、心が死んでしまうような気もしますが、実は逆なんですよ。 そうなのであれば、他に何を嘆くんですか? 気持ちなんてものは、行動を起こす事のきっかけです。 行動なんてものは、気持ちを動かす事のきっかけなんです。 不思議なものですよね。 いつでも絵が書ける状況であれば、むしろ考え過ぎて何も書けなくなるのに、いざそれを強制的に取り上げられてしまえば、きっと書きたくて書きたくて仕方がなくなると思うんです。 動けない事に、理由はいらないんですよ。 どんなに考えても分からない事は、初めから無くても構わなかった事の方が多いんです。 人の基準に合わせて、納得しなくてはいけない事ならば、初めから悩むだけ無駄なんですよ。 自分で納得する事には、いつでも責任があるんです。 責任には覚悟が伴います。そして、覚悟のあるものには納得出来るもんなんです。 もう一度、原点に戻って、ご自分の納得出来る事を考えて見て下さい。 良い絵が書ければ良いですね。 頑張って下さい。
お礼
納得できることですか……。 きっと私は良いものを見過ぎたのだと思います。インターネットや美術館、テレビで良い絵に出会うことはいくらでもあります。でもその絵を描いた人って、それなりの努力があって描けるようになっているんですよね。 理解してはいるんですが、私の中の基準がその自分が感動した良い作品に近くなってしまっていて、でも私はそれを描いた人たちほど経験もなければ努力もしていなくて描けなくて……と悪い方向へ転がっていってしまっている気がしていました。 私には自分に実力がないと認める覚悟がなかったのかもしれません。だから描けない描けないといって仕上げることすらできなくなっていたのかもしれません。自分にできる精一杯がどのレベルなのか考えることを忘れていました。 今まで私は嫌なことがあれば逃げてきました。だからまた逃げてはいけないと思う気持ちが、かえって自分を苦しめているのかもしれません。今のこの状況も逃げているだけだと思っていましたが、立ち向かっているからこその苦しみだったと思って良いのでしょうか? これも良い経験だったと思えるように頑張ります。ありがとうございます。
- kiyo7041
- ベストアンサー率16% (69/416)
そういう経験は誰にでもありますよ ただそれが続くか切り替わるかだけであって 自分に甘えでは無くて逆に厳しいから納得行かないと画が完成しないのでしょうね 周りに目を向けて乗り越えられませんか?
お礼
本当に自分に厳しい人は、描けないなんて泣きごとは言わないと思っていました。私には努力が足りないだけで、きちんと努力すれば描けないなんてことはないと。 ずっと悩んできました。進級審査のとき、私はこれまでにも増して精一杯に作品を完成させたのですが、先生の一人から「息が詰まる作品だね」と言われて以来、ずっとその言葉に悩んできました。もっと緩急がないと、全てに力を注ぎこみすぎていて重いのだそうです。 だから少し力を抜こうと思っても、ただの手抜きになってしまったり、何か違う気がしてつい突き詰めてしまいます。そしてまた、やりすぎと言われます。私にはそのやりすぎの加減がよくわからないようなのです。 でもできないなんてことはないはずなんです。考えがしっかりしている本当に自分に厳しい人なら、私のように逃げたりはせずに立ち向かえるはずなんです。私が本格的に絵を学びはじめたのはつい一年前からで、まだ始めて間もないのに挫けて、本当に自分が情けなくて仕方がありません。 周りの人にはよく褒められます。自分でも、全体の上位に入るだけの絵は描いていると思っています。でもそれは学校の私と同い年の人の中でであって、しかもその中にも私よりずっと才能があって努力している人はたくさんいます。より広い視野で見たら、私の絵なんかは大したことないんです。 でも結局は、周りがどうであっても私がどれだけ頑張れるかであって、周りが自分より上手いからとか下手だからとかいう理由で妥協してはいけないと思うのです。 そう思うから作業は進まず、これでは描いていないも同然だと落ち込んでいきます。同い年の人が同じように学校で頑張っていることを思うと、私だけがダメな人間のような気がしてきます。 大したことないのはわかっているんです。こんなの悩んでも仕方ないと思います。こんな苦しいのも今だけだろうとも思います。でもどうしても描けないんです。甘えてしまうんです。放棄してしまいます。 ……ごめんなさい。回答に愚痴を返すような真似をしてしまいました。 もっと気楽にならなきゃダメですよね。周りに目を向けてとは、そういうことなのでしょうか? 考えてみます。ありがとうございます。
- Ganeza2011
- ベストアンサー率17% (10/57)
乾いた雑巾はいくら絞っても何も出てきません(すみません変な例えで) あせっても 何も良いことはありません ゆっくり ゆったりです そうすれば やがて水も溜まってきます 学校なんて 休みたかったら 休めばいいんです 長い人生の中で 1~2年何もしなかったからと言って なんの影響もありません でも 部屋の衛生状態は保ちましょう (笑)
お礼
親にも同じことを言われました。 でも私は稼ぎがなく、学費も生活費も親から貰っています。だからなおさら、学校に行かない自分が嫌で仕方がないのです。それなのに絵は完成できず、完成できないことをとがめられること、周りに失望されることが怖くて学校に行けず、でも描けずの繰り返し……。 まずは落ち着くことが第一ということなのでしょうか? 冷静に周りを見てみようと思います。ありがとうございます。
お礼
すごく納得しました。 そういえばプロになりたいと思ってから、勢いで絵を描くということがなくなっていました。プロになるからには見る人の気持ちを考えなければと思うようになり、自分の描きたいものが二の次になってしまうことが増えました。 そのうえ、まず最初に文字で伝えたいテーマやイメージする言葉や設定を書き出し、それから構図やら色合いやらを考える癖もついてしまいました。 描くものを理屈で決めるようになり、描きたいという気持ちに欠けてきた気がします。 正直、先生に「息が詰まる」と言われて、ショックでした。 自分のために絵を描いても虚しくて、でも自分の絵でも誰かの力になれるかもしれないと思うと、楽しく描くことができました。 でも先生のその一言を聞いたとき、私は自分のために描いていたのではないかと思うようになりました。 いつも突き詰めて描いていたのは、自分が納得できないからでした。私は誰かのためではなく、自己満足のために描いていたに過ぎなかったんです。 そう思ったら、向上心と自己満足と、客観的な視線の区別がつかなくなって、混乱して、辛くなってしまいました。気持ちが曖昧なのでつい理屈で考えてしまい、でも考えても考えても答えが出ず、もうどうしたらいいかわからなくなってしまいました。 何を目的に描いたら良いやら、わからないんですよね。 褒められ喜ばれるのが嬉しくて描いていたのに、それが自己満足に過ぎなくて、でも自分で納得のいかない作品を提出するわけにいかなくて、何がなんだか……。 比べる気持ちは多少あると思います。 写実的なものか完成度の高いものを上手い絵だと言うのであれば、上手い下手はあると思いますが、そうでなければ絵の好みなんて人それぞれなので、比べられるものではないかなと思います。 だから前に私が「学年の中では良いものを描いている方」というのはそういう観点で言ったことです。 でも、写実面や完成度という意味で比べて気にしているのは確かです。絵の雰囲気とか感情とかではなく、技術的な意味で気になるんです。やっぱりプロになりたいのなら、中途半端な作品をつくるわけにはいきませんから……。 もしかすると、そういう考えもまた感情を抑えつけてしまっているんでしょうか……。 回答者様のご意見はすごく胸にささりました。まさにその通りだなと思います。 自由に描いていた頃の絵を見て、どんな気持ちだったか思い出してみようと思います。 ありがとうございます。