世渡りと結婚を同一線上に於いて比べることでもないと
思いますが…。
質問中に出てくる「容姿も性格もよくない人」や「常識はずれな人」、
「常識的な人」とは、質問者さんの主観的よるところでは?
確かに、「常識的な人」、「非常識な人」は世の中にいますが、
「常識的な人」ならこういう人生だとか、「非常識な人」ならこういう
人生だとか、「容姿も性格も良くない人」はこういう人生だとか、
こうであって欲しいとか、断定しないまでも、漠然とイメージしていませんか?
その様な考え、思い、イメージは、質問者さんの主観からくる「期待」的
な発想であって、世の中がそうだというものではないのではないでしょうか。
世の中の出来事を「こうだからこうだ」と言うように定義付けなど
なかなか出来ることではないでしょう。
昔は「良い事」とされていたことでも、今は「そうでもない事」となって
いることが多いように、時の流れによって様々に変化していくのが
世の中です。
それを、公式に当てはめるように、マニュアルに沿うように考え、行動して
いても、あるときからその公式もマニュアルも使えなくなる可能性だって
あるのです。
あくまで「常識的」なのは、本人にとってのものであって、人が変われば
その「常識的」なものも形を変えているのです。
ですから、「ある程度おかしな人が世の中うまく渡れる」のではなく、
世の中の流れを機敏に察知し、自分の「常識」に囚われず行動できる
人が世の中を上手く渡れるのだと思います。
質問者さんが「常識的な人」かどうかは解りませんが、「常識とは人の数
だけ存在し、時と共少しずつ変化する」と思えば、少しは疑問も和らぐ
のではないでしょうか。
あと「常識的な人ほどストレスがたまる」とありますが、
私は「几帳面で生真面目な人ほどストレスが溜まる」と思います。