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無関係な人間と比較され「幸せ」と言われ傷ついた方
- 無神経な比較によって傷ついた経験をした方の心情について考えます。
- 自分の苦難や幸福を無闇に他者と比較されることに対する疑問を抱く方の気持ちを共有します。
- 他者との比較による心の傷をいかに癒すか、その方法についてのアドバイスを求めています。
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質問者が選んだベストアンサー
はじめまして。 20代男性です。 「そうやって、相談者とはまったく無関係な世界の人間と比べて、無責任に「幸せだ」と決め付けることを何の疑いもなく、『励まし』だと思える無神経さが理解できません。」 この、コメントに対して強く共感したので、コメントしたいと思いました。 そういう、私は、比較による幸せ論は、現物対処理に、無力で、有ると考えます。 つまり、前述のような「幸せ論」や、「精神論」で、各人の、問題や要求に、答えることは、できない。と、いう意味です。 人は、何か問題に直面した時に、自分でそれを分析し、計画を立て、実行してくことでしか、解決できません。 たとえば、受験で失敗したら、それを分析し、スケジュールをたて、日々の、行動に移すことで解決されていきます。 無論、神様にお願いしたり、祈ったり、人に相談しただけだったり、幸せ論を、聞いただけででは、何も解決しませんし、自分自身、満足しないはすです。 そのために、私は、計画をたて、実行していくことを、推奨するべきだと、考えます。 例えば、手帳や、カレンダー、自作のスケジュール表を、作って、実行する具合です。 そうすることで、現実に向き合い、対処していく際に非常に有効だと考えます。 「幸せ論」や、「精神論」は、その自作した計画の、実行に移す際の、「モチベーション」を、あげることを、目的に、自分に言い聞かせる分には、十分有効だと、思います。
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- toshipee
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そういう言い方はしなかったつもりなので回答してみる。 まず、身体不自由な暮らしをしているヒトは、身内の看護経験から2種類ある。昇華できたヒトとそうでないヒト。昇華できていないヒトは、不自由を武器にする。自分がかわいそうだから、他人が何とかしてくれて当たり前という。そういうヒトはいつまで経っても、真の優しさに触れられない。 不自由なヒトにも自立がいる。アカの他人に介護を頼むにはお願いがいる。このご時世、ほとんどのヒトが「手伝ってあげなくてはいけないのでは」と思う。それを介護し続けて待っていては、ほとんどのヒトが、待ちでは何もしないことがわかったが、それが終わってみて、する方も悩むことも知る。 「世の中にはこれこれこういう人もいるんですよ、そういう人に比べたら幸せでしょ?」は、頑張って自分から動いているヒト「だけ」を指している。全員ではない。 誰でも何かを背負ってる。自分だけではないことを知れば、素直に受け入れられると信じて発言していると思う。
お礼
傷つけられた側の方のみ希望。
お礼
ありがとうございます。 私も若い頃は計画を立てたりいろいろやってきましたが、それがいつも他人が原因でぶち壊れるということが繰り返されて、本当に「呪われてる」とか、そんなレベルの話になるくらいなのです。 でも、無関係な誰かと比べられ、「あの人よりは幸せ」と言われる事の無意味さをご理解いただけて感謝します。