直接的な回答ではないのですが、こんな話を読んだことがあります。
日本で最初の女子大学校である日本女子大学(1901年創立)の同窓会名簿『楓風会会員名簿』をみると、
初期のころは、俊・亨・章・茂・隆のように、
今の感覚からすれば男性のような名前がほとんどを占めていて、
第八・九回生くらいから「子」のついた名前が徐々に現れてくるということです。
八回生が1908年入学なので、最速で1890(明治23)年生まれ、現在では110歳を越えた方になりますね。
ただしこれはごく早期の例で、娘を女子大に通わせるような家庭が当時限られていたことを考えると、非常に恵まれた境遇にある人のケースです。
mokkun21さんの仰るように、今の80代でも「子」をつけない女性はいるのだから、
だいだい庶民層で「子」が普及してくるのは30年くらいの開きがあったわけです。
p_catさんが指摘されるように、まさに終戦の頃以降になりますね。
他の回答者様が指摘されている通り、女性の名前に「子」をつける慣習は、皇室や華族の影響が一番大きかったと私も推測します。
私の祖母(107歳)も「うめ」と「梅子」というように併用してました。
おそらく「子」をつけることに、長いあいだ新式でなおかつフォーマルな"よそ行き"のニュアンスがあったのだと思います。
以上の話は、日本の女性雑誌の先駆けである『青鞜』の研究者、堀場清子さんの『青鞜の時代』(岩波新書)から知りました。
『青鞜』の創刊は1911(明治44)年なのですが、
寄稿者の女性たちが創刊号に名前を載せるにあたって、一斉に自分の名前に「子」をつけ、二号以降はそれを削り、もともとの通り名に戻っていったという経緯があるそうです。
堀場さんによれば、彼女たちが「子」を名乗ることには、創刊に際した「せいいっぱい、よそいきをする心境」が伴っていたとのことです。
他方、他人の名前に「子」をつけて「漱石子」とか「鴎外子」と呼ぶことも敬称として慣用されていたので、こちらの線で習慣化したという
説もありますが、さだかではありません。
ながながと回答に関係ないことを書いてしまいましたが、なにかの豆知識にでもなれば幸いです。
お礼
こんにちは、もっくんと言います。この度はご丁寧に回答をいただきありがとうございます。 実は僕は”こちら名前探偵局”というサイトを立ち上げています。これは会社名、店名などの名前の由来についてのサイトですが、その中のコーナーの1つにいろいろな名前の由来の調査依頼があります。それでこういう依頼がきて何処にどう問い合わせたらいいのか分からなくて、gooに質問を致しました。 今回の回答をもらい自分も勉強なりましたし、依頼者にも安心して報告が出来ます。ありがとうございました。