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第93回高校野球選手権大会開催中ですが・・・
貴方の思い出の選手、最高の投手は誰ですか? <余談> 私の場合は、作新学院 江川投手(後、巨人)です。 怪物と言われ、本当に高校生では打てそうも無いような球を投げていました。 そんな彼でも、チームワーク良く、コツコツと全員で挑むチームには、根負けしていたのが懐かしい。 甲子園と、その後の活躍(空白の一日、オールスター戦での8人連続三振他)は、まさに怪物が進化成長したエピソードである。
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私が記憶にあるのは早実の王投手でした。 カーブがすごかった記憶で、かなり騒がれた投手でした。 その後漫画の「巨人の星」でも出てきましたが、あのまま投手を続けていたらどうなるかなという気はしています。 1番さんの板東英治の時は判官贔屓で村椿投手を応援していましたが、投球内容を思い出そうとしましたが、完全に失念、もう1度見てみたいです。 これ以降ですと、太田幸司、顔はすぐ思い浮かぶけど・・・、坂本佳一、1年生投手で負けたときも次があると思ったんだけど・・、と割とアイドル系投手が記憶にある。 それと青山久人が下手投げなのに球が速かったので印象に残ってますね。
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鮮烈に印象に残ってるのは 高知・伊野商のエースだった渡辺智男さんですね。 ”甲子園の星”清原さんを完璧に押さえ込んだ ’85年のセンバツの準決勝は忘れることができません。 高知の初出場の無名の学校が、当時、高校野球界で間違いなく”最強”だった あのPLをなぎ倒して優勝までしてしまうという・・・ そして数年後、社会人を経てプロに入った渡辺投手が入団したチームが 「西武ライオンズ」・・・なんと清原さんとチームメイトに なってしまうという・・・う~ん、なんて展開。 プロでは活躍した期間が短かったものの、いい投手だったと思います。
お礼
ご回答を賜りまして、誠のありがとうございます。 >高知・伊野商のエースだった渡辺智男さんですね。 ”甲子園の星”清原さんを完璧に押さえ込んだ ’85年のセンバツの準決勝は忘れることができません。 高知の初出場の無名の学校が、当時、高校野球界で間違いなく”最強”だった あのPLをなぎ倒して優勝までしてしまうという・・・ そして数年後、社会人を経てプロに入った渡辺投手が入団したチームが 「西武ライオンズ」・・・なんと清原さんとチームメイトに なってしまうという・・・う~ん、なんて展開。 ↓ 少し時代は異なるかも知れませんが、渡辺・山沖選手や伊良部選手と・・・、何れも四国から、当時あまり有名で無い学校から、優秀な投手が甲子園で活躍していた記憶があります。 清原との同一球団には、KKコンビを巡る巨人軍との出来事も含め、不思議な因縁を感じますね・・・。
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秋田経法大附属高の中川申也投手です。 当時、中学生だった私は、野球には疎く、華やかなバッターに注目することが多かったのですが、「野球では投手の存在も重要なんだ!」ということを中川投手の投球から教えられたのです。 彼が1年生ながら投手を務めた秋田経法大附属高チームは、見事ベスト4に進出しました。 でも、その試合では、あいにく勝ち進むことが叶いませんでした。 先輩選手が悔し涙を流す中、中川投手は毅然と「来年、また(甲子園へ)来ます!」と仰っていました。 その姿がなぜか忘れられず、私は彼を好きになったのです。 ──本当は皆と一緒に泣きたかったけど、“来年・再来年の甲子園出場チャンスが残されている自分が、ここで涙を見せるのは、先輩の手前、申し訳ない”と、涙を必死で堪えていたこと。 ──実は、甲子園のベンチの裏に隠れ、人知れず泣いてしまっていたこと。 テレビカメラの前では、あっけらかんと振る舞ってみせていた中川投手の、そうした真相を知って以来、彼の内面というか根性に惹かれ、本格的に応援するようになりました。 1989年の宣言通り、中川投手はその翌年も甲子園へ登場しました。 有言実行を貫く意志の強さには、あらためて胸を打たれました。 その年の試合では、ツーアウトを取ったところでスリーアウトと勘違いした中川投手がベンチに戻りかけたところをチームメイトに呼び止められる、お茶目な一幕を観ることもできました。 甲子園ベスト4進出以来、地元秋田の練習場にも、報道陣が押しかけるようになりました。 雪のグラウンド、動いていないと耐え切れない寒さの中、白い息を吐きながら、薄手のユニフォーム姿で、写真撮影に応じる中川投手の背中が印象的でした。 また、甲子園出場選手を対象とした取材記事で、「好みの女性のタイプは?」の質問に、他のチームの選手が容姿を回答する中、彼は「性格美人」と答えていて、そんなところにも、彼の性格の片鱗を覗けた気がしました。 ただ、笑った表情があまりにも優しげで──“彼はプロ野球には向かないのでは”と個人的に感じたものです。 中川投手より技術的に優れた投手はまだまだいるかも知れませんが、彼は「高校野球は成績よりも勝敗よりも心意気が大切」と、私に伝えてくれた最高の投手です。 私にとっては、憧れのお兄さんであり、人生で初めて出会った理想の野球選手でもありました。
お礼
ご回答を賜りまして、誠にありがとうございます。 甲子園での活躍だけでなく、人となり&言動等のエピソードをご紹介頂きありがとうございます。 今、お聞きしても、爽やかな、心温まる感動秘話だと思います。 貴重な情報提供に、心より感謝とお礼を申し上げます。 ありがとうございました。
- niko63
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自分は東洋大姫路のアン投手とか、柳川の香月投手、東北の真壁投手、まぁ一人には選べませんは。 毎年毎年名選手が出てきてもプロで輝きをはなち今でも活躍している選手は一握りってのを考えるとホントにプロの世界は厳しいって事が分かりますよね。
お礼
ご回答を賜りまして、誠にありがとうございます。 そうですね・・・厳しくもあり華やかな世界でも有りますね。 プロに入って伸びる選手も居れば、投手から打者に転向して成功した選手も、プロゴルファーでスターに成ったJ尾崎や、2軍生活を続け数年を経ずユニフォームを脱ぐ選手も居ましたから。
- toshineko
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第51回大会、松山商業の井上明投手です。 かたや快速球、三沢高校の太田幸司投手。二人の投げあいを固唾をのんで見守りました。 井上投手の素晴らしかったのはコントロール。 ストレートとカーブをコーナーぎりぎりに決める制球の素晴らしさ。 「うわあ、あれは打てない」と思ったものです。 ※当時は今のようにセンター方向からではなく、バックネット裏方向からの映像だったと思います。 それでもバッターの手の出ない外角いっぱいのストレートの制球にほれぼれしていました。
お礼
ご回答を賜りまして、誠にありがとうございます。 そうですね ◇初めて東北に優勝旗が行くのではと、手に汗を握り、両方に応援する心境で、期待・見てましたが・・・ ◇また、プリンス太田投手は、初の甲子園アイドル・若い女性ファンを増やした草分けだったように思います。(その後に、バンビ坂本君『東邦』や大ちゃん『早実』ハンカチ王子『早実』ブーム) 後、甲子園に女性ファンが増え、彼らのプロ野球入りで、その女性ファンがプロ野球にも、球場の応援席に目立ちだした切っ掛けだったように思います。 と言っても、私の場合、高校野球の記憶は、プロ野球のナイター中継と違い、多くはラジオ専門ですが(車・勉強や仕事、ながら族ですか)
- reiho-fuji
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98年夏、この年は松坂大輔選手一色の大会でしたが、私が推すのは同じ大会での宇部商の藤田修平投手です。 延長15回彼のボークで試合が終わった試合があったのですが、非常に思い入れのある選手でした。
お礼
ご回答を賜りまして、誠にありがとうございます。 残念ながら、私自身は余り記憶にありませんでした・・・ そんな貴重な記憶やエピソードの選手・プレーをご紹介頂きありがとうございました。 松坂投手への注目で、たの投手や選手、学校の印象が、当時は記憶に残っても、年月の経過で一つの事に集中され薄れてしまうのでしょうか? 私の、今、強く思い出す選手は<春・夏併せて> 尾崎投手『浪商』 池永投手『下関商業』 江川投手『作新学園』 松坂投手『横浜高』
こんばんは! 沢山いすぎてこまってます。清原和博選手・松井秀喜選手・荒木大輔投手などなど。 でも、一番はやはり桑田真澄投手(PL学園-巨人-パイレーツ)です。 一年生から前述の清原和博選手とKKコンビで一世を風靡しましたね。 のちに質問者様がお薦めの江川卓投手の空白の一日ではありませんが(運命のドラフト)で巨人に入りました。日本シリーズやオールスターでのKK対決は胸が痛みました。 晩年は二人揃って巨人のユニフォームでプレイされて本当にうれしかったです。 いつか見てみたいのが、桑田監督&清原コーチ、または清原監督&桑田コーチです。
お礼
ご回答を賜りまして、誠にありがとうございます。 桑田投手『PL学園』並びに清原とのKKコンビで1年生から大活躍で、蔦監督率いる池田高校の畠山・水野投手や強打の山彦打線を相手の激闘は高校野球での記憶に残る名勝負でしたね・・・。 そして、都道府県別の優勝回数や勝利数で大阪府のトップクラスに位置する源動力になったチーム&選手でした。 当時は宗教法人の学校に、全寮制で各地の有望選手を集めている事に郷土代表?の思い、多少の違和感が有った記憶があります。 <余りにも強く大活躍の両チームなので、春も夏もゴッチャ交ぜの記憶となりますが・・・>
- 佐藤 志緒(@g4330)
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板東英二
お礼
ご回答を賜りまして、誠にありがとうございます。 板東英二 徳島商高、魚津高校(村椿投手)との延長18回投げあいと再試合は有名ですが、ラジオや新聞の時代であり、その勇姿を鮮明に思い出すことは出来ないですが、延長18回再試合の切っ掛け(四国予選での延長戦の連続)を作り、甲子園で適用第一号であったらしい。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BF%E6%9D%B1%E8%8B%B1%E4%BA%8C#.E9.AB.98.E6.A0.A1.E6.99.82.E4.BB.A3
お礼
ご回答を賜りまして、誠にありがとうございます。 そうですね、私の場合もラジオ観戦の為に、当時もゲーム展開以外の余計な?情報は余り入らず、白熱の試合そのものを楽しんでいた記憶があります。 また、アイドル系で人気はプリンス『太田幸司:三沢高』やコウちゃん「島本講平:箕島高校』くらいから騒がれだして、バンビ『坂本佳一:東邦高』やサダちゃん『定岡正二:鹿児島実業』大ちゃん『荒木大輔:早稲田実業』へ・・・ 一方で、異色はスーパー高校級の豪速球豪腕投手達の活躍です→怪童『尾崎行雄:浪商』や怪物『江川卓:作新学院』が、私には冠の言葉は別として、真っ向勝負のピッチングには憧れ記憶に残っています。