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いじめの天罰について
- いじめを正当化する人々がいる中、なぜいじめの天罰について言及するのか疑問に思う。
- 先輩の体験を通して、いじめの天罰について再考する必要がある。
- 社会で成功している人々の学生時代におけるいじめ経験には注意が必要である。
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質問者が選んだベストアンサー
天罰なぞない。その通り、あなたは正しい。 そんなのは現実逃避の慰めです。 で、その慰めがこの世を維持してるんです。 その先輩さんは、天罰思想に感謝するんですな。 「先輩が中学の時いじめていた人の母親」は、天がいずれこいつに罰を下してくれる、そう信じているから我慢しているんです。我慢できるんです。 もしも天罰なぞ無い、そう自覚してたら、なにか実力行使にでてたでしょう。何をするか知らないけど、おそらく先輩さんは今頃、無事ではいられなかったでしょう。もしかしたら、あなたもね。 あなたが嘲笑する天罰の考え、いつか天が自分に代わって悪人を罰してくれる、この世は正義が勝つのだと、そういう思想が、守ってくれているんですよ、あなたを。感謝しなさい。 私なら言いますね、その母親に、奴等を絶対に許すな、天罰なぞ待つな、そんなものは無いと。 ついでに、余計なことを言えば、あなただって今後の人生で、きっと誰かから理不尽な行為を受けることもあろうかと思います。虐め、暴力、迫害、差別、色々とね。 しかし、あなたは正しい。 奴等は、あなたに対する非道な行為から、利益と優越感と満足感を得るだけ。 奴等に、天が罰を下してくれる事は絶対にない。 あなたの苦痛と憤慨と悲嘆は、奴等の大爆笑のネタ。仲間を集めて大笑いするだけ。 だから、現実世界で決着をつけるべき。
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- sinonomehiro
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根拠があるか、といえばないでしょう。 まぁ、かつては釈迦の時代から因果律というものなど色々天罰に関わる理論はあるので、そういったものに関心があれば調べて下さい。 悪いことをした人が幸せになる、というのではみんな納得いかないでしょうし、社会としてそうすべきではないでしょう。ですから、悪いことをすると天罰が下るんだ、と考えたり、悪事を働いた人を罰する法ができたりするのです。 ですから、誰もが天罰なんぞに頼らなくても良いような、社会を作ることが重要です。社会で成功している人云々は時代背景が異なるので何とも言えませんが、いじめをするような人が改心すると社会で成功することが多い可能性はあります。それはその人の資質の問題で、いじめをしたか否かによるものではありません。
- eneos121
- ベストアンサー率17% (118/658)
>何を根拠にそういうことを言ってるんですか? 根拠はありません >しかし、天罰が下るっていう表現を使う人は >結構多いように見えます。なぜでしょうか? 恐らく日本の宗教的な文化で 仏教用語の「因果応報」に由来するのではないでしょうか 「因果応報」てわかりますか?
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お礼
もしかしたら、あなたもね、といいますと? あとここでの奴らというのはなにを意味しているのでしょうか?