辞職後の温厚な変わりぶりをみると、「自爆テロ説」も、そうかもしれないと思えて来てしまいます。
自分が大臣としていかにも相応しくない暴言を吐き、管総理の任命責任を問わせて辞任に追い込み、自分はさっさと辞任をして責任を逃れ「責任をとるなら辞任」の構図を作る…。
オフレコ発言も、わざとカメラの前で言い、各記者に記事にさせる事で「政府は上手い事を言ってもオフレコの所ではとんでも無い事を言ったりしたりしていて圧力で情報規制をしている。信用出来ない。」という印象を効果的にアピールする目的があったのではないでしょうか?
事前打ち合わせ無しのいきなりサッカーボール打ち込みパフォーマンスなど、失敗しても当然の配慮の無さが帰って綿密な計画に基づくトラップであった様に思えてなりません。
原因を自分個人の性格由来とせず「九州」とか「B型」とした事で、九州人やb型の人を巻き込んで話を大きくする意図があったのではと思います。
補足
有り難う御座います。 任務を受け入れる行為自体が策略の一端だったのですね。