信仰心を保たせる詭弁
栄養の摂取の効果の現れ方にも、複雑な条件が個人差を齎(もたら)しますので、健康食品類の長期的な摂取の価値を営業部隊の方々がプレゼンテーションで訴えたがやすい様ですが、そういう考え方を宗教への入信の効果に当て嵌めている諸団体もが存在しているそうです。
確かに、信者の方々の因縁の度合いの個人差の存在を指摘して、功徳の効果の現れ方の違いの正当性を訴え、しかも其の個人差を埋め合わせる為に、次の通りの手段を採用する判断は宗教法人の権利なのかも知れません。
(1)新規の入会者を募る精進やら護摩供養等の為の浄財の金額やらの積極的な追加を促す。
(2)他の宗教団体の教義との比較によって自分達の考え方を正当化させる為に、其の教義を「邪教」と見做して糾弾する。
でも、此の事情を考えた際に次の疑問が残ったものですから、教えて下さい。
たとえ入信の直後に簡単な問題が解決したとしましても、それが継続し得る可能性は低いのでしょうけれども、それが精進・浄財の不足に起因しているという詭弁をどうして其処の信者達は自発的に受け入れたがるのでしょうか?
補足
有り難う御座います。 分からない事が望ましいのかもしれませんね。