• 締切済み

人嫌いを克服された方

27歳女性、人嫌いです。 かといって全く人と話さない訳ではありませんが、踏み込んだ付き合いは最近していません。 家族と会話はないのですが、職場でのうわべだけの雑談などで結構満足できます。 こういう人間って理解されづらいと自分でも思うのですが、仕事はちゃんとこなし、それなりに周りに気をつかっているため、疎外されたりはしません。 楽しい感情だけ共有できればいいかなと思います。ただ、人が嫌い、という気持ちが何かのきっかけで出てくると人間関係がうまくいかなくなり、人と会うのがひどく辛くなってしまいます。もともと表向き大人しい性格なのですが、病的に引っ込み思案になるときがあり、仕事にも影響がでるため考え込んでしまうときがあります。また、たまに『この人とは仲良くしてみたい』と思うことがあっても、親しくできずじまいで悲しい思いをすることが多々あるのです。 喉に引っかかった小骨みたいなこの気持ちが和らいだら、少し人と接することに希望を持てるかもしれないと最近思うようになりました。 そこで、人嫌いを克服された方いましたら、どんなきっかけや気持ちの変化があったのか、教えて頂きたいのです。よろしくお願い致します。

みんなの回答

noname#164833
noname#164833
回答No.2

 コメントをいただき、ありがとうございます。  どうもまだ質問者様のことをわかっていないので、どのタイプの人嫌いなのかが不明です。  神経質なので、人の欠点が気にかかる。人の期待を余分に感じ取って息苦しくなる。自分が禁止していることを他人がやっているのを見て腹が立つ。表面だけの付き合いにうんざりする。人が期待通りにならないのが嫌になる。嫌いになる自分が許せない。単に人づきあいが楽しくない。他人の不機嫌の責任を感じてしまう。距離が近くなると自分を知られてしまうのが怖い。世間はみんな馬鹿である。  どんな場面で、どういう人を嫌いになるのか。詳しく見ていくことによって、自分がわかって来るのではないでしょうか。自分の中にある無意識のルールが見えてきます。何を当たり前とするかで、ものの見方は変わってきます。    http://www.counselingservice.jp/lecture/lec434.html    http://thinking.shiawasehp.net/13shitekurenai.html    http://thinking.shiawasehp.net/32sorenari.html    http://www.h5.dion.ne.jp/~fleur/essay2005-7.htm  総花的で申し訳ありませんが参考になるものがあれば幸いです。

momonononono
質問者

お礼

再度の回答ありがとうございます。お礼が遅くなり申し訳ないです。 人嫌いのタイプ、あまり考えたことがありませんでしたが、 神経質で人と接するのが苦手、というのがあるかなと思います。 ネガティブに私と居てもつまらないだろうな、とかいろいろ考えてしまう自分に疲れたり、人の嫌な部分を見るのが許せなかったりします。 少しずれてるので、人に合わせるのも苦手みたいです。空気を読まないことを言ってしまいますし、会話もうまくありません。 いろいろとどのタイプが考えてみようと思います。ありがとうございます。

noname#164833
noname#164833
回答No.1

 こんばんは。だいぶ年上のおっさんです。  僕も若いころは、人の内面を覗き込んでは、その中に悪い部分を見付け出して、嫌っていたように思います。わがままな面、偉そうにするたくらみ、優柔不断で八方美人、そういう奴らに利用されるかと思うと、いっそ関係を断ってしまいたい衝動に襲われます。他に対抗する手段を持っていなかったからかもしれません。そういう自分勝手な連中に対し、気分を良くしてやろうなどという考えも浮かんできませんでした。  >喉に引っかかった小骨…僕の場合は父だったのかもしれません。後に「自己重要感の亡者」と名付けるのですが、まぁ社会的地位とか出世とか甲斐性とかをよく口にしていて、(母の代弁を通して)恩着せがましいと感じていました。『感謝の気持を持て!』だの(母の口で)言われるのが一番嫌でした。経済的に自立して、解放されたことがやはり契機だと思います。  自己重要感    http://www2s.biglobe.ne.jp/~musimusi/coach18.html    http://homepage2.nifty.com/zunou/kannkei/2.html   これは社会的な動物である人間が持っている本能のような欲求で、この欲求自体が悪ではないと、今は思っています。親にとって、ひとりでは何もできない幼い子どもという存在は、「自分は必要とされる重要な存在である」と思わせてくれるに違いありません。だから、人間は子育てをする気になるのでしょう。このように欲求と行動を切り離して考えているので、他人の内面を覗き込んで、この“自己重要感にたいする欲求”が見え隠れしていたとしても、嫌ったりはしません。『偉そうにすればするほど、疎んじられるのに馬鹿だなぁ』と思うだけです。  ‘恩着せがましい’もそうですが、他人の中に「操作的な面」を見つけては嫌っていたように思います。    http://yukiduke.jp/hitorigoto/huko.htm  もともと甘えた性格ではないので、「他人が思い通りにならない」と、イライラすることは自分では少ないと思います。ですが、依存的な人、神経質な人は、こう思うのではないでしょうか。「自分中心」ということが重要でしょう。  あと、こういう人もいます。「何が人づきあいを難しくするのか」    http://www.katotaizo.com/lecture/index.html

参考URL:
http://yukiduke.jp/kyoizon2.html
momonononono
質問者

お礼

回答ありがとうございます。やはり自分の感情の変化より環境の変化が先ということでしょうか。