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鬱病について

ここ最近私は、自分なりに職が決まり安定しているのですが 仕事をせず、引きこもって一人でいたいとすごく思います。 2年前高校生だったのですが、高校生であったときも たまに学校を休んで、家にいると親が学校に行けというので ネカフェや、カラオケに行ったりしてました。 以前、1月下旬あたりに横浜のクリニックへ行き、お話しをさせてもらいました。 そして、地元の大きな精神科の病院を紹介していただき そちらにいきました。 私のその時の心境は もう仕事など辞めたくて、でも親に仕事しろといわれるから・・・・ なら居場所がないなら死んでしまおうかとも思いました。 ですが、病院へ行ったら先生に あなたには、頼れる周りの人が必要だね と、言われました。 私は、人に弱いところを見せるのが苦手で めんどくさがられるとか、弱いとこを見せるなんてあたしじゃないと 思っています。 そして、周りにも迷惑かけないようにといつも笑顔でいます。 正直そんな自分に疲れました。 こんなに病んでいるのに、私は本当に鬱じゃないんでしょうか? ストレスをどこかに出したくても出せない 母にも頼れません。 私が精神科の病院に行ったと話したら 小ばかにしたように笑いました。 母子家庭で、母はフィリピン人。ずっとスナックで働いていました。 ですが、パチンコへ行き、男と遊び・・・って感じで 私が小さい時は、家にいた記憶は、ほとんどありません。 母がいないと泣いてました。 そんなこと、母は知りません。 そしてこの20年間わたしが生きてきた中で 母がいくら悪かった事があっても 謝りもしてくれません。 そして、世間に私のことを恥さらしにしてきました。 そして今もそうです。 仕事が続かない、だめなやつだと 理由も分からずに・・・ もし、死ぬなら遺書かいてお前のせいでしんだと言いたい位です。 こんなに母を恨んで親不孝なやつだと思う方もいるかもしれません。 そう思う方は、お願いですので、私を追いやらないで下さい。 もうせいいっぱいなんです ほんとに私は、鬱じゃないんですか?・・

みんなの回答

  • 89228922
  • ベストアンサー率100% (1/1)
回答No.2

あまり自分を追いつめないで下さい。私も10代の時に親を信用できず、悩みも話した事ないですし、甘えた事もありません。高校をでた後、親元から離れました。親元を離れて一から独りで生きて見ると良いですよ。肉親より他人の方が自分を理解してくれたりしますから。離れてわかる事がたくさんありますよ。鬱病は恥ずかしい病気ではありません。現代人には多いポピュラーな病気です。薬や漢方薬、サプリメントで治ります。まだ若いので迷いやすい時期だと思いますが、未来があるので、自分を責めたり殺したりしないでくださいね。泣きたい時は泣いて、怒りたい時は怒る…。自分の感情に素直になって下さい。頑張りたくなければさぼってもいいし、いい加減でいいんですよ。

  • Gusdrums
  • ベストアンサー率39% (699/1787)
回答No.1

貴方の親御さんと同年代のおっさんです。 先ず、文面より、心中察します。 過去のことを引きずっていますね、お母さんが原因なのは、理解できます。 もう、貴方も大人、今までの苦悩をお母さんに打ち明けては如何ですか。 どういう反応を示すかは、わかりませんが、どんなことを言われようと貴方が受け止めれる決心がついたらですよ。 今まで傷ついて来たのだから、どのような反応にも対応できますね、これで引きずってきたものに決別するのですよ。 貴方はまだ若い、自分を追い詰めることは、絶対やめましょう。 私も、年齢を重ねてから、家族との別居、会社では左遷と辛いことばかりで、休日は、家に一人で引きこもっています。 私は鬱病かも知れません、しかし、立ち止まっていても解決せず、何か又、悪い方向に行くのではとの心配との葛藤や不安ばかりです。 もう、こうなりゃ、と、開き直っています。 それで精神的に少し楽になりました。 それでも寂しいですけどね。 貴方は無理して笑顔つくって・・・・・自分に疲れた-とありますが、会社なんか反面教師の集合体ですよ、しかし貴方は良い例です、腹黒いのに笑顔つくって八方美人みたいな最悪な奴も一杯です、そんな奴に私は裏切られました。 貴方は、そんな悪態とは間逆で、良い意味でのその笑顔に救われている人もきっといるはず、そう、貴方は良い環境を社内に提供しているのですよ、しかし疲れ果てるまでやる必要なんかありません。仕事に打ち込んでいる振りや要領掴んで適当に息抜きすれば良いのです。 貴方が鬱かどうかは、医師の診断によりますが、隠れ鬱とかも最近、多いし、鬱と上手に付き合って行って克服する人もいます。 とにかく、自分を追い詰めることは、やめて、過去を清算すべきと思います。 貴方が20年間背負ってきたものを少しでも下ろした時に、新しいものが、新しい自分が見えて来るのではないですか。