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コミュニケーション能力の高さは性格で変わる?

私は対人能力が低くて、人と接するのが好きじゃないです。 群れるのとか好きじゃないです。 冗談で馬鹿にされても、気にならないです。 でもクールな人とか変わった人と見られるらしく、誰も馬鹿になんてしてきません。 冗談を言うのも下手なので、つまんない話しかできません。 初めて会った人は明るく会話できますが(適当なこと質問できるので)長く一緒にいると、話題がなくなって最終的に無言です。 他人にあまり興味がわかないんです。 いつも誰かと仲良く会話をしている人を見ると、少し憧れるのと同時に、疲れないのかな?って思います。 こんな私なので、だんだん孤立していきます。 一人でも平気と言えば平気ですが、たまたま一緒になった人が気まずそうにしていると申し訳ないなと思います。 少し寂しい時もあります。 どうにかコミュニケーション能力を上げていきたいのですが、こんな性格の私に色々な会話を楽しくすることはできるのでしょうか? それとも、みんなでわいわいやってる人たちは、単純にそういう性格なだけなのでしょうか?

みんなの回答

  • soon4561
  • ベストアンサー率13% (55/398)
回答No.4

こんばんは。 傾聴の姿勢で微笑んで話を聞いてあげてはいかがですか? 私もつい最近まで人に興味を持てませんでしたがそれはある意味保身だったのかな…と、いまでは思います。 人の考えを学ばせていただくぐらいで丁度いいのではないでしょうか。 解りあえない人も居ますが、人が人と分かち合う。ってなかなかお目にかかれません。 なんだかんだで周りに人が増えて来てより厚みのある人生を送れますよ。

回答No.3

仲が良ければ、自然にわいわい出来るものだと思います。 やっぱり話が合う合わないありますから、自分に合う人探しから初めてはどうですか? 一緒にいて仲良くする人は、お互い無言になっても気まずい空気にならない人がいいですよね。 自分と合わなければ、一緒にいるだけで気を使ってしまって疲れるだけです。 質問者さまの質問内容から見たら、会話が続かなくて気まずくなりはするみたいですが、お話は出来るみたいなので、いろんな人と話してみるのもいいかと。 どんなにわいわい楽しそうにしている人でも、仲良くなるまでの最初のうちは、質問者さまと同じような経験されていると思います。 会話の内容とかはなんでもいいと思います。 別に無理に面白い話をする必要もないです。 友達の輪が広がったときに、自然にわいわいなるものだと思います。 相手の着ている服の話(洋服ブランドの話とか)、好きな歌の話をしてみる、いろいろ話しをしてみて自分と合う趣味があれば、それについて話しをすれば盛り上がるのでは? アーティストとか、話しを盛り上げやすいかな? 会話のネタがほしいなら、テレビを見たりとかして、話のネタの情報を増やす事も必要だと思います。 あまり参考にならなくてごめんなさい。

  • juli990
  • ベストアンサー率28% (23/82)
回答No.2

人間にはいろんな人がいます。 小学生、中学生、高校生、大学生、社会人、主婦、高齢者。 犬が好きな人、猫が好きな人、スポーツが好きな人、音楽が好きな人、勉強が好きな人、のんびりが好きな人。 もちろん「人とたくさん賑やかにするのが好きな人」と「一人をゆっくり楽しむ人」というのもあります。 そういう人々で、あれこれ重なり合いながら小さなグループをたくさん形成して成り立っているのが、人間の社会です。 グループが合わなければ、それが今の生活を支える条件でない限り、人はいくらでもグループを変えることができるのです。それが人に生来根付く、「自由」なのです。 ところが、子供のうちはその自由のありようがはっきり分かりません。もしもスポーツ大好きな子のグループに一人スポーツ苦手な子がいたとしたら、「みんな仲良く」しなければならない、とグループの子は時に全員真剣に悩んでもしまうのです。そしてスポーツ苦手な子が自分のスポーツ苦手を自覚してなかったり、グループの子たちに執着があったりしたらなおのこと厄介です。 こだわりは人を不自由にさせます。仲良くしなければならないという強迫観念が、誰をも不幸にしていくのです。 それから離れたら、人は自由を自覚します。誰も縛りませんし、誰からも縛られません。 私は質問者さんと同じで、集団行動が基本的に苦手です。生活がありますので仕事には行きますが、お金が無尽蔵に手に入ったら多分お勤めなんかしませんね(笑)。自分の好きなことだけやって生きていきたいのです。 孤立が寂しいのは、合う人が回りにいないからだと考えてはいかがでしょうか。ただ、合わないというだけで、誰も悪くはありません。あまり神経質にならず生きていけば、自分に合うグループは望み続けていればいつか必ず見つかります。 それから、八方美人というか、多くの友人がいる人々というのは実はとても大変なようです。あまりに多くの人を受け入れてしまっているために、問題のある人にもいい顔をしなければならないとか、正直あまり興味のない、性格も合わない人にも礼儀を尽くさなければならないとか、そんな感覚になるようです。それでも彼らが人を受け入れ続けるのは、人間の善性だけを見ようという確固たる信念があるからなのでしょうね。 私は人間の善性も悪性も両方見てしまうので、そんな生活はとても出来ません。ですから決して八方美人グループには入れないわけです(笑)。 だけど私はそれを肯定してもいます。自分の出来ないことはそれが出来る人に任せてしまって、自分は自分の出来ることだけやってればいいと、そんな考えです。 今後、質問者さんがマイペースで肩の凝らない仲間に出会えることをお祈りしています。そして楽しい人生を開拓していってください。

noname#135317
noname#135317
回答No.1

私も今まで質問者様のようなタイプでしたね、基本は今もそれほど変わってないかも。。。 でも色んな経験して失敗して、仕事上で必然的にコミニュケーションが問われる事が多々あり、 人の輪に率先して入り、みんなを楽しませたりすることを身につけたというか、学びました。 時々ストレスたまったり疲れが出ますけど、私は生きていくために不可欠な事だと身をもって 思いました。 最近はストレスよりも自分が楽しく思える事の方が多くなりましたけどね。